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アッパー・イーストサイドにある「Le Pain Quotidien」は、
ベルギーのベーカリー・カフェだ。 中はヨーロッパのカントリー風の作りで、フランス語もとび交う。 どんと置かれた長い木のテーブルを、ほかの客と囲み、 軽い食事ができる。 私は友人と、クロワッサンやフランスパンなどいろいろな種類のパンが入ったバスケットと、 生ハムやチーズ、オリーブなどの盛り合わせを頼んだ。 オリーブのペーストや粒入りマスタードをつけて食べる焼き立てのパンは最高だ。 シナモン・デニッシュなどのデザートもおいしい。 *** So, bring coffee and doughnuts. だから、コーヒーとドーナツを持ってらっしゃい。 コーヒーとドーナツといえば、 アメリカ人が大好きな朝食だ。 パバロッティとドミンゴの生の声を、1日おきに聞けるとは、なんという贅沢だろう。 早起きをし、地べたにすわり込み、ドーナツを食べながら、並んで待っていれば、 信じられない料金でそのチケットを手に入れることができる。 *** 家に戻らない人は、六十丁目とアムステルダム街のダイナー(庶民的なレストラン)で 時間をつぶしているわよ。 そう教えてくれる人がいた。 言われたとおりにそこへ行くと、それらしき人々がいた。 ソーセージと目玉焼きに、トースト、コーヒーという典型的なアメリカの朝食を注文したが、 睡眠不足で食欲もあまりない。 8時に戻ると、点呼が始まり、私たちはすらりと一列に並ばされた。 やがて徐々に列は乱れ始め、人々は地べたにすわり込み、寝転がり、 思い思いにドーナツやベーグル、コーヒーやミネラルウォーターといった朝食を口にしたり、 本を読んだりし始めた。 *** でも、天気のいい日には、マンハッタンのストリートをぼんやり眺めながら、 外ですわり込んで食事をするのが好きだ。 近くのピザ・ショップでイタリアン・ソーセージとマッシュルームのピザとコーラを買ったり、 デリでサンドイッチを作ってもらったりする。 総菜を量り売りしているデリで、ラザニアやチキン、パエリア、寿司の太巻き、 サラダなど、いろいろなものを少しずつ、透明なプラスチックの容器に入れてくることもある。 まだ少し肌寒い日は、スープにフランスパンを買ったりする。 昼時になると、五番街に面したニューヨーク公共図書館の長い石段に、 人が並んですわり、思い思いにランチを楽しむ。 *** マンハッタンのチェルシー・マーケットには、モロッコ人の経営する店がある。 モロッコ絨毯、皿、タジンというモロッコの伝統料理を作るための、 円錐形のふたのついた土鍋などを数多く揃えている。 タジンは、チキンやイモ、ニンジンをターメリック、サフラン、クミンなどで煮込んだもので、 見た目はカレーのような料理だ。 こってりとしていておいしい。 昨年、この店を訪れた私は、やけにモロッコが懐かしくなった。 数年前にモロッコを旅したんですよ、と店主に声をかけた。 彼の名前はモハメッドだった。 ちょうど、モロッコ人がよく飲むミント・ティーを入れているところだった。 ポットを持ち上げて、高い位置からミントの葉の入ったグラスに注ぐ。 彼を訪ねて立ち寄った、知り合いの男の人と飲むためだ。 近くのレストランのシェフだった。 僕らは祖国は違うけれど、宗教は同じなんだ、とモハメッドが言う。 シェフはトルコ人、ふたりともイスラム教徒だ。 君もミント・ティー、どう? 彼がいれてくれたティーは、ミントの香りが強く、そして甘く、 モロッコがますます近くに感じられた。 *** ゲイルのキッチンには、包丁もまな板もない。 だって、切るもの、ないんだもの、とゲイルは言う。 私、今日は料理をしたのよ、といかにも大仕事をやり遂げたかのようにゲイルが言えば、 それはターキーやチキンを一羽、オーブンで丸焼きした、ということである。 それでも一応、味つけはする。 ガーリック、オニオン、パプリカなどのパウダーをふりかけ、 オーブンに突っ込む。 ターキーを焼けば、ひとりで3週間もかけて食べている。 朝はコーヒーだけで、昼はほとんど毎日、お弁当を持っていく。 とはいえ、フランスパンにハムかターキーと、チーズのスライスをはさむだけだ。 夜はたいてい、中華料理のテイクアウトだ。 なぜか電子レンジはない。 冷蔵庫から出したネコのエサの缶詰ひとつ温めるだけでも、 大きなオーブンを使う。 包丁がないので、私はアメリカの巨大な野菜を切るのに、 幅1センチほどのステーキナイフを使う。 キュウリもピーマンもナスも、日本の3、4倍の大きさだ。 まな板がないので、それを皿の上で切るのがいかに忍耐力を要するか、 察することができると思う。 というわけで、ゲイルは野菜をほとんど食べない。 たまにトマトを買えば、買ったことすら忘れるので、 私が毎朝のように、トマトが腐るよ、と忠告する。 1週間後、腐ったトマトを私が捨てる。 私が作るのは、たいてい野菜たっぷりの料理なので、 勧めても彼女はほとんど食べない。 何、それ?海草に発酵した豆(納豆のことである)に、ゆで野菜? ノー、サンキュー。 お金をもらってもいらないわ、とゲイルは言う。 着色料や保存料たっぷりのお菓子やポテトチップスが、いつも欠かさず置いてある。 自分の食生活に改善の余地が大いにあることは、よくわかっているようだ。 つい最近も、言っていた。 こんな食生活していて、今も行きているのが、不思議だわ。 だったら、もっと野菜食べれば? Nah, I can't be bothered. 面倒くさい。どうでもいいわ。 今夜も彼女は、テイクアウトのスペアリブをかじっている。 *** レストランに入り、コロナビールに、チキンのブリートーとチミチャンガを オーダーした。 食事が終わると、ゲイルは素早く自分のクレジットカードをウエーターに渡した。 私があわてて自分のクレジットカードを出そうとすると、彼女が言った。 Tough! あおいにくさま、残念でした、というところだろうか。 自分がおごるそぶりをまったく見せずに、彼女は支払いを済ませた。 *** そうこうしているうちに、もうランチの時間だ。 パソコンや資料をテーブルの隅に追いやり、 サラダに、ツナとワカメのパスタをどんとテーブルの真ん中に置く。 緑を眺め、クラシック音楽を聞きながら、ヘルシーなおいしい食事を、 愛する夫といただく、午後の執筆がはかどらないわけがない。 *** ある日、そんなアメリカ人の母親が、ベビーシッターがうちの子にバター・サンドを食べさせたのよ、と息巻いていた。 それはひどいわね、と私の友人は同情した。 ふだんから、よほど栄養に気を配っているのだろう。 感心した友人が、いったい、ふだんはどんなものを食べさせているの、と聞いた。 アメリカ人の母親は胸を張って答えた。 ピーナッツバター・サンドよ。 これには、さすがのアメリカ人も笑うだろうと思い、 私は友人のローズマリーに話した。 彼女は60代、私の母の世代だ。 ローズマリーは大きくうなずいている。 そりゃ、そうよ。その母親が怒るのもムリないわ。 ピーナッツバターは、バターよりずっと栄養価が高いんだから。 *** 日本人の中には、ターキーは肉がパサパサしているので、 好きではない人も多いが、あの迫力のあるターキーの丸焼きなしのサンクスギビングは、 やはりさみしい。 しかし、巨大なターキーは1日では食べ切れない。 おせち料理のように、何日間かは食卓がターキーづくしとなる。 ターキー・サンドイッチ、ターキー・サラダ、日本人の友人宅では ターキー入り素麺までごちそうになった。 サンクスギビングから4日後の今日も、私の冷蔵庫にはターキーが入っている。 Enough is enough. 来年の今頃までは、もうたくさん、という感じである。 *** 礼拝のあと、メンバーらが外を歩き回り、 道をうろつく人たちに、サンクスギビングのディナーに来ませんか、と呼びかける。 この辺りにはドラッグ・ディーラーもたむろしている。 ホームレスの人たちのために、メンバーが手分けして、 80羽のターキーを焼き、ピラフを作り、テーブルを用意し、給仕しているのだ。 しばらくすると、教会の前には長蛇の列ができた。 並んでいるホームレスの男の人が、仕事でカメラを持っていた私に声をかけてきた。 俺の写真を撮ってくれよ。 今日、この場にいたことの証拠にさ。 来年はここにはいないように、頑張るからよ。 You never know. どうなるかは、誰にもわからない。 ひょっとしたら、来年のサンクスギビングには、彼はホームレスを迎える側にいるかもしれない。 *** ハヌカの初日の夜、ユダヤ人は家族や親しい友人と食卓を囲む。 この日、ニューヨーク郊外に住むゲイルの両親の家に呼ばれた。 集まったのは家族や親戚11人。 まず父親のマックスがヘブライ語で祈りを読み上げると、 全員がアーメンと言う。 料理はすべて、母親のローズが2日かけてひとりで作った。 ローズがテーブルに着く暇もなく、一品ずつ運んでくる食事を、 ワインを飲みながら、次々にご馳走になる。 ゲフィルタ・フィッシュと呼ばれる魚のすり身で作られた、つみれのようなもの、 チキン・スープにクラッカーのようなものを丸めた団子の入ったマッツォ・ボール・スープ、サーモン、ブロッコリー。 すでにお腹はいっぱいなのに、キッチンから香ばしい匂いがしてくる。 これがポテトで作られたラトケスと呼ばれるパンケーキだ。 8日間、燃え続けた“奇跡の油”をいつまでも忘れないように、感謝の意を込めて、 油を使ってパンケーキを焼くようになったといわれる。 ローズがフライパンにたっぷり油を敷いて、 ひとつひとつ焼いている。 これにアップルソースをかけて食べるのだが、 ゲイルと私だけはケチャップをつける。 最後は、これも手作りのアップル・デニッシュとブルーベリー・デニッシュに、 コーヒーだ。 お母さん、これ、おいしい!最高だよ!と口々にみんな、声をかける。 そうかい?よかった。 おいしいかどうか、心配してたんだよ、とローズはうれしそうだ。 *** Welcome home We missed you - especially Ashley. There is half a roasted chicken (1/2) and green salad (+tom) for a cold supper + milk & oj in frig. XOXOXOXO Love, J&R **** 夏、ハドソン川の川べりを散歩するのはとても気分がいい。 ゲイで有名なクリストファー・ストリートを、 川に向かって歩いていく途中に、「Malatesta Trattoria」という 庶民的なイタリアン・レストランがある。 ここは北イタリアの料理を出す。 プロシュートをはさんだピアディーナと呼ばれる薄いパンがとてもおいしい。 ラビオリはトマトとクリームのソースがチーズにマッチし、 口の中でとろける。 *** 夏、パーク街のセント・バーソロミュー教会では、 野外で礼拝を行う。 礼拝のあとは、クッキーをつまみ、コーヒーを飲みながら、 おしゃべりを楽しむ。 私の教会ではHomecomingの日がある。 夏が終わり、休暇などで街を離れていた人たちが、再び街に、 そして教会に帰ってくる。 お帰りなさい、という日なのだ。 教会の脇の55丁目は通行止めになり、たくさんの風船で飾りつけが施され、 フルーツパンチやサンドイッチ、クッキーなどがふるまわれる。 日本人観光客もいつの間にか参加していたりする。 もちろん、 "この街に帰ってきた”あらゆる人たちを歓迎している。 *** 2000年の元旦、私の教会では大晩餐会が催された。 ホームレスの人たち60人を招き、 教会のメンバーも同じテーブルを囲み、 一緒に食事と会話、音楽を楽しんだ。 参加者はあわせて150人だ。 私は10人ほどのメンバーに混じって、 赤いエプロンをつけ、ウエートレスを務めた。 ジュースにサラダ、スパイシーなチキン、ポテトにブロッコリー、 デザートにコーヒーというフルコースだ。 岡田光世著「ニューヨークのとけない魔法」 「きっとダイエットするわ、本当よ」
あの時、媚といくらかの恨みがましさを込めて発した言葉を 私は実行した。 エキササイズの後は、 クネッケを2枚とゆで玉子、そして輪切りにしたトマトだけの昼食をとる。 林真理子「ワンス・ア・イヤー」 ワタルはお茶漬を食べている。
夏の夕方、冷えた御飯(たきたての熱いのに、つめたいお茶をかける、というやりかたもあるけど)に、 熱い焙じ茶をぶっかけて、浅漬けのキュウリやお茄子、大根などのヌカ漬けでお茶漬を食べるほど、 いい気分のものがあろうか。 このあいだ山椒の実を煮いたので、 それも添えて私はワタルに食べさせた。 「絶品」 とワタルはいう。 「あたしが?」 「このヌカ漬けですよ。 極上とびきりの味。 こんなうまいもん、京都にもない。 あそこは言葉はていねい、物柔らかやけど、何たって、 することがちまちましすぎて、腹いっぱい食われへんからな」 *** そうだ、ヌカ漬けのお漬物が、今夜ごろ、 とてもおいしく漬かり上っている。 手が紫いろに染まるような茄子や、キュウリ、夏大根など。 それに、この間からガラスの広口瓶に漬けてるピクルスが、 いいあんばいにできて、一人で食べるにゃ惜しいナーと思ってたとこ、 今年は梅干を漬けなかったけど、 ラッキョウもおいしくできてる、これを、 (伊豆サンにあげようではないか) 伊豆サンのお好みは、私、前にもご馳走になったし、 この間の京都での食事を見てもわかる。 和食派で、それも手間と心をかけたものが好きらしい。 きっと、こういう漬物なんかが好きにきまってる。 田辺聖子著「風をください」 「友達がカニを持って来てくれるって」
「カニって、松葉ガニ?」 冬になって関西人があこがれるのが、山陰北陸の松葉ガニである。 このカニの美味でコクのある味ときたら、カニの中の王様である。 大阪では『かに道楽』という大きな店があって 安くたべさせてくれるが、 大阪人は、冬のたのしみの一つにする。 姿もよく、絵に描いたようなカニで 茹でると鮮紅色になり、甲羅から脚の先までびっしりと、 雪白のミがつまっている。 私は大好きなんだけど、といって、 いませっかく餃子で宴会してるのに、 その興をそぎたくなかった。 *** 「いま、餃子パーティしてます、どうぞちょっとだけでもお寄り下さい」 「餃子? ハア、それはそれは。 カニやらお節料理食べ飽きた身には魅力的ですなあ。 ….そんならちょっと…」 なんでこう、大阪人は食い意地がはってるのだ! *** 「その餃子は、すみれサンが作ったものでしょうな?」 「はあ、まあ」 まあ、というのは、皮は市販のものを使ってるからである。 「ニンニク入ってますか?」 「ニンニク、椎茸、白菜、豚の挽肉、お葱にショウガ…」 「つけ汁は何ですか」 「ゴマ油、練りがらし…お料理教室みたいですね…」 と笑ったら、 「期待が生れてよけいおいしく食べるためですよ」 と伊豆サンはどこまでも「楽しむ天才」なのである。 しかしあまり腰をおちつけられては困るんだ。 *** 「そしたら、半分だけ。食べてはるうちにアルコール気はとんでしまいますから」 といったら、伊豆サンは嬉しそうにビールを受けた。 餃子と肉団子のスープ、酢豚、などでテーブルはこぼれそうになっているが、 「旨いもんは宵越しすな」 と皆で言い合い、 「いつ天災が来ても心のこりせぬように」 とカニも食べることにする。 出刃で切れこみを入れて食べやすく、 身をせせりやすいようにするのはワタルの力仕事、 二杯酢をつくるのは私。 *** 「旨い。この餃子はよろしな」 と伊豆サンは叫ぶ。 「つけ汁がええ」 「スーパーで、腐乳(フールー)を買ってきました。 中国料理の材料の…。 それ、ちょっと混ぜて」 「うん、ええ味にしてある。 ぷんとくるこの匂い、なんやろ、ホンモノの中華料理店で食べたみたいやな、と思てたら、 その味ですか、すみれさん、料理の腕も相当なもんですなあ」 「見よう見まねですわ」 *** 伊豆サンはそういいつつ、ほんとにおナカをすかせていたのか、 酢豚に手を出している。 私はというと、目の前の大皿に盛られたカニに手を出さぬわけにはいかなかった。 雪のように白い身がぎっしり詰っている。 よく肥ったカニである。 海のなかのおいしい栄養分、海のエキスをたっぷり吸いとったような美味、 この甲羅にとろりとした味噌がいっぱいつまっている、これにはやはり、 「熱燗をそそいで、カニ味噌酒をつくらなければ」 ということで、ついに日本酒のお燗までして、 「しゃァない、タクシーで帰りますワ」 と伊豆さんは腰をおちつけ、宴会になってしまう。 *** 私はチョコレートムースを食べながら、自分も昂奮してくる。 「あたし、いうたった」 みどりはクリームパフェのスプーンをなめながら、 「『あんた、きれいなお化粧のわりに、えげつない口やなあ』いうたら、 『うるさいわね、仕事すんだらとやかくいわれることないわよ、 口も化粧もあたしの自由やろ』ですってさ」 *** 「このお水が、おいしおすのえ」 と、汲みたての水をコップについでくれた。 ほんとうにさわやかで、何ともいえぬ仄甘みもあり、 (水とはこういうものか) と目がさめたような気がする。 もうずっと昔、山登りして、山の崖に湧き出る山水を飲んだことがあった。 それも、まるで「山のジュース」というようなおいしさだったが、 これもさながら、 「初夏のジュース」というよう。 初夏そのものをギュッとしぼったら、こんな味がするのじゃないかと思われるほどだった。 「いや、この水を、みんなに飲ませたげよ、思て」 と伊豆サンは笑い、 「もう飲んだら、帰ろか」 といって、馴染みらしい店のおかみさんや娘たちを笑わせる。 「お水だけやったらタダやろ、また来るわ」 「まあ、そのお水使たお料理もおあがりやしとくれやす」 「ほな、ついでに食べよか」 と皆が笑っていても、私は気持の一部が晴れないのだ。 おいしい水でお薄をたててくれた。 それから松花堂弁当が出て、これが京都らしく、 ちまちまと美しい料理が並んでいる。 お吸物は、はもだった。 目の下は暑い道路だが、二階の座敷にはよく風が通り、 簾が日ざしをさえぎって、 「京都やなあ」という風情である。 女の子たちはよく食べ、まだゴハンが足らないというので、 茶そばなどを追加したりしている。 *** 「おひる食べたんやないの、あの子と」 私は挑戦的になっている。 「食べた、何やら目の中へ入りそうに小さい弁当箱に、 ままごとみたいなもんがチマチマ並んでて、食うた気ィがせえへんかった。 それにどこへいっても人がいっぱいで、 嵯峨野はまた、修学旅行の生徒で渦巻いとんのやもん」 田辺聖子著「風をください」
「今から?」
讃岐定食、うどんと煮物と小椀のかやく御飯にプリンが付いて780円、 これでいいか、と店に入りかけたところで背後から声がした。 「ここ初めてなんだけど、うどんは本格的らしいんだ。 ちょっと試してみようかなと思ってさ。 ちょうどいいや、今日は奢るよ」 渡瀬が昼食を奢ると言い出した時は、必ず魂胆があった。 渡瀬の小遣いは昼食代込みで月額3万円という噂だったから、 1回の昼食に1500円かけたらコーヒー代もなくなる計算だ。 渡瀬の妻は怠け者だと思う。 弁当くらい作って持たせれば、渡瀬の小遣いを1万円に減らすことができる。 あたしがこいつの妻だったら絶対にそうする。 弁当なんて、前夜の夕飯の残り物を詰め込んでおけば 一丁上がりなんだから。 渡瀬の魂胆がどこにあるにしても、 奢ってくれると言うのだから奢ってもらうことにする。 讃岐定食780円はキャンセルして、こんぴら定食870円にした。 煮物の替わりに小エビと野菜のかき揚げがついて来る。 天ぷらセット1200円を選ばなかったのは武士の情けだった。 うどんはまずくなかったが、 うどんを水洗いしているのが水道水なので、カルキの臭いがした。 東京で冷やしうどんを食べるのはやっぱり不正解だった。 つゆ物にしておけば良かった。 「でね」 あらかた食べ終わって、盆の隅に載っていたプリンの容器に2人が手を伸ばした頃、 渡瀬はやっと用件に入った。 **** 「いえ、その…あたし、今、レストランにいるんです。 ダンディーズです」 観光ガイドには必ず載っている有名レストランだ。 カンガルーだのクロコダイルだのが上品に食べられるので、 珍しいもの好きの観光客に人気がある。 それはいいとして、何よ、まさか今からあんなところで エミューでも一緒に食べませんか、なんて言うつもりじゃ… **** 開店して間もないので店は大混雑だったが、5分ほど待って運良く席が空いた。 まだ開店サービス期間中で、サラダと飲み物が付いたランチセットが 通常より100円安い600円。 パスタの種類は豊富だったが、 ランチセットになるものは限られていた。 心惹かれたのはガーリックのパスタだったけれど、 さすがに午後の仕事を考えて思いとどまり、 オリーヴとトマトソースの無難そうなスパゲティを選ぶ。 麻美は茄子入りのミートソース。 やはり若い子は肉っぽいものが好きだ。 **** 欲張って南禅寺まで歩いたらさすがにくたびれて、 名物の湯豆腐屋さんに入ってランチタイム。 ひとり客は冷遇されるかと少しびくびくしていたけれど、 幸い、選んだ店は感じよく迎えてくれて、 ひとりなのに庭園を眺められる和室の4人用席を用意してくれた。 湯豆腐の他に野菜の炊きあわせ、ごま豆腐、青菜の白和えと精進天ぷら。 少々予算オーバーの昼食だったけれど、 宿泊代を浮かせた分贅沢ができる。 なんて優雅。 なんてリッチ。 **** 「あたしもまだ、御飯の気分じゃないかな。 あのね、正木さん、トマトジュース、飲める?」 「割と好きですけど」 「ならよかった。 ここのブラディマリー、トマトジュースが本物の生絞りなのよ。 生トマトをジューサーで搾って作ってくれるの。 だからすごくおいしいんだ。 ね、試してみない?」 澄子が頷いたので、あたしはブラディマリーを注文した。 世間話というか、社内の噂を少しの間だらだらと喋りながら、 運ばれて来たブラディマリーをすすった。おいしい。 「ほんとにおいしいですね、これ」 澄子も嬉しそうな顔になる。 こういう笑顔の時、このひとは本当に綺麗だ、と思う。 **** そして翌朝は、なんと夜明け前に叩き起こされ、 バスに詰め込まれ、エアーズロックのサンライズを、朝食ボックスに入れられた バナナとマフィンにパックジュースをすすりながら眺める。 **** ショッピングアーケードには食料品を扱っているスーパーもあるので、 簡単に済ませたい人は、パンとハムを買ってサンドイッチにビール、 という手もあるが、いちばんカジュアルなホテルのバーベキューレストランなら、 買った肉をセルフで焼いて食べることもできて、それだと日本で定食を食べるのと 料金が変わらない。 **** 気楽にビュッフェで食べることにして、 ワインだけ選ぶ。 2人ともオーストラリアのワインには詳しくないと言うので、 あたしが乏しい知識から適当にセレクトした。 乾杯してから、まずは料理を取りに。 オーストラリアに住んでいて何より嬉しいのは、 狂牛病の心配がないので牛骨の髄が食べられることだ。 髄を焼いてとろっとさせたものは、 あたしの大好物なのだ。 日本に帰ってしまうと、そう簡単には食べられなくなる。 このレストランのビュッフェは豪勢だった。 タスマニア産の生牡蠣まで並んでいて、 野菜も果物もたっぷりある。 とりあえず、お腹がきつくなるまでは食べることを中心にすればいいので気楽だ。 **** 「このあたりのおしゃれなレストラン、なんて調べて来なかったもの。 いいわよ、展望レストランで湖畔定食でも」 「なんスか、湖畔定食って」 「いかにもありそうじゃない。 刺身と煮物に、湖でとれたって触れ込みの、養殖のアマゴのフライか何か付いてるの。 それでさ、茶わん蒸しとデザート付きで2500円」 「そのくらいだったら手を打ちます?」 「そうね。でも3000円なら考える」 柴田よしき著「ワーキングガール・ウォーズ」 おかげで上野駅は疎開の人たちでごった返していて、
切符を買うのも長蛇の列だった。 せめてもの思い出にと、そのころ話題になっていた雑炊食堂に入ろうとしたけれど、 これもまたものすごい人の列が続いていて、 結局、順番が回ってきたときには、売り切れてしまった。 どうせ、ろくなもんじゃないだろうと思っても、 食べられないとなると腹が立つ。 いっしょに並んでいた年寄りが言うには、 一杯じゃとても腹が持たないから、 すっかり食べた後でもう一度並んでも、 満腹にはほど遠いとのことだった。 わたしにしてみれば、 一度食べた者が二度も三度も並ぶから、 こんな行列になるのだと、そのことも腹立たしかった。 *** 十年も会わなかったから、さすがに両親は年を取っていたが、 それでも、母は、よく帰った、よく帰ったと、 旨い煮物を作って歓迎してくれた。 芋のたっぷり入った味の濃いごった煮は、 懐かしくて旨かった。 *** 「朝ど夜のほがに、昼の弁当もつくらんなね。 おかずもなにも、ねえもの」 「ほだなごど、自分で考えろ。 弁当のおかずまで、住職が考えるごどでねー」 住職の言うことも、もっともだったので、 弁当のおかずは自分で考えることにした。 こんにゃくの味噌漬けだとか、野草の佃煮を、 配給の玄米の上に散らした弁当をよく作った。 *** 親が会いに来ない子が気の毒で、 しょうがないから妹に頼んで、 かぼちゃの煮たのを作って持ってこさせ、 いっしょに食べたりした。 *** ある日、その、むしったようなハゲの男の子が、厨房にカエルを持って、やってきた。 「農作業のとき、見つけたの。 おばちゃんにあげろって、先生が言った」 おそらく先生は、子供同士がカエルを争って喧嘩しないように、 厨房に持っていけと言ったのだろう。 わたしはその場で開いて串に刺し、 醤油をつけて焼いてやった。 「け(食え)」 と言って差し出すと、男の子は困った顔をした。 「け」 「何?」 「お食べなさいって、言ったんですよ。 いまなら誰も見てません。 誰かに訊かれたら、おばちゃんが細かくして 今日の晩御飯にみんなに食べさせるって、お言いなさい」 「でも」 「自分で捕ったんでしょう? 早く、食べておしまいなさい」 「おばちゃんは、お母さんみたいな話し方をするね。 東京の人みたいな話し方をするね」 その子供も、山の手風の話し方をしたので、 懐かしかった。 *** また、駅の近くをぶらぶらして、今度は食いっぱぐれないようにと、 早い時間に雑炊食堂に行った。 なるほど菜っ葉の浮かんだ雑炊で、 旨いものでも、腹にたまるものでもなかった。 *** 「ねえ、タキちゃん、いま、何が食べたい?」 と、おっしゃった。 「え?いまですか? さっき、上野でお昼を食べましたから」 「そうじゃないのよ。 そうじゃなくて、もし、いま、何でも好きなものを食べられるって聞いたら、 どこの何を食べたいかって話なの。 恭一といっしょに、これを始めると、 旦那様、すごく怒るのよ。 いやしいことを言うって、おっしゃるの。 でも、いいじゃないの、ねえ? 思い出して、楽しんでるだけなんですもの。 たとえば、そうねえ、 コロンバンのショートケーキが食べたいわ」 わたしはびっくりして奥様のお顔を見つめ、 奥様は、ぷっと噴き出された。 「どうしたの、タキちゃん。 だから言ったでしょ。 楽しんでるだけよ。 これから食べようって、話じゃないのよ」 頭の中には、建物に小さなエッフェル塔をくっつけた、 銀座六丁目のハイカラな喫茶室「コロンバン」の様子が浮かんだ。 すると、なぜだろう、あの、平和で物がいっぱいあったころの都心の思い出が、 匂いや音ごと甦ってきた。 「奥様」 思いがつい、口をついて出てきた。 「それでしたら、わたし、資生堂のカリーライスが食べとうございます」 「あら、出たわね。やっぱり、カレーのタキちゃんね」 奥様は急に元気を出されて、手を打って喜ばれた。 「資生堂なら、わたしは、ミートクロケットをいただくわ」 「恭一ぼっちゃんは、どういたしましょう?」 「ぼっちゃんは学校だから、そうね、お土産に、 アイスクリームをポットでいただきましょう」 資生堂には取っ手のついた青いポットがあって、 お持ち帰り用のバニラアイスクリームを入れてくれたものだった。 「アラスカは、旦那様、ごひいきでした」 「東京会館もよ」 「千疋屋はいかがでしょう」 「冨士アイス」 「永藤パン」 「洋ものに飽きたから、麻布の姉さんに頼んで、 豆源のおとぼけ豆を買ってきてもらおう」 「甘辛でございますか」 「そうよ。甘いもの、辛いものと、交互に食べるのよ。 だけど、せっかく麻布から何かもらうなら、わたし、豆よりお稲荷さんがいいわ」 「おつなずし」 「ああ、ほんとに食べたい、ゆずの味」 旦那様が、よしなさいと言われるのも当然だったかもしれない。 この遊びは、始めはいいけれども、 続けているとつらくなってくる。 しばらく静かに黙った後で、奥様は、 お湯呑みを両手で握り、ほうじ茶の残った底を見つめられた。 「わたし、時々、とっても食べたくなるものがあるの。 東京のものじゃないのよ。 二楽荘のシュウマイ。 —ねえ、あなた、板倉さん、覚えてる?」 **** 奥さんが、盆にビールとグラスを載せて運んできてくれた。 小皿には塩漬けの鰤と、 色鮮やかな青葉の和え物が盛られていた。 名物だからね。 食べていくといいよと、平井氏が言った。 僕は初めて、北陸名物の巻鰤というものを食べた。 酒に浸して塩味を抜くのだという。 中島京子著「小さいおうち」 ワタルは漬物好きの男の子で、若い子には珍しい。
おばあちゃんに育てられたせいかもしれない。 そして私はワタルが漬物好きなのを知ってるので、 このごろは、いつ来てもいいようにセッセと漬けておく。 でも漬物は一人二人の分を、ちょうどいい具合になんか、 うまく漬けられないのである。 これはせめて、五、六人分、そして毎日食べていないと、 最高の状態にならない。 夏のヌカ漬けなんか、生きものだからとくにそう、 昼間、家にいない私は、どんなに手を入れても、漬かりすぎになったり、 浅すぎたり、むつかしかった。 それにくらべれば、さむくなった今は、 塩漬けだから、漬かったのを冷蔵庫に入れておけば、 しばらくは保つ。 私はワタルの好きな大根の刻み漬けをいまやっている。 民芸品点で、押しぶたのついた漬物用の重い陶器の桶を買って来て、 短冊に切った大根と茎を塩で漬ける。 葉っぱは茎にちょっと残るように、 小さく切ってあしらう。 茎はこまかく刻んでぱらぱらと短冊大根のあいだにまぜてしまう。 これがワタルは好きで、 自分でもうまく刻んで手つきよく重しのフタをのせ、 「まだ重みが足らへんかもしれん」 などとひとりごとをいい、 ドンブリ鉢などその上に重ねておいたりする。 そうしてこの刻み漬けは、そのまま食べるものなので、 ゴミなどかからないように上にそーっとビニール袋などかぶせたりする。 **** 「刻み漬けがあったらええ、よ」 とワタルはいう。 私が大いそぎで御飯をたいたからである。 私は漬物でキメてみることにする。 ちょうど母のうちへ寄って、もらいものの広島菜をお裾分けしてもらっていたので、その幅広の、青々した葉っぱの、水をぎゅっとしぼって巻き簀の上にひろげる。 「何すんの?」 とワタルは立って来て見てるので、 「まかしといて。音楽でもかけてて」 「ムード出して漬物食べるのか」 広島菜というのは酸っぱくもなく、辛くもなく、 青くさくもなく、それでいて色は青々と漬かってて、 歯切れよく、日本一である。 この上に御飯をひろげ、まん中に、黄色い沢庵(おこうこ)をこまかく刻んだもの、白ごま、青のり、などを巻きずしのようにならべて、 くるくると簀ごと巻き、巻ずしの要領で切ってもいいし、 端からかじってもいい。 これにあたたかいおすましのお汁(つゆ)をつけて— それも卵を溶いたもののほうが味のバランスがいい、 刻み漬けをすこし、それに小梅の梅干し。 「いつ来ても、はじめて食うた、というようなもんばっかり、やな」 とワタルはいい、それがまた私には嬉しくてならないのであるが、 しかしワザと、そっけなく、 「そうかなあ」なんて。 「ワタル、あんた器用なんやもの、家でもしてみれば? この広島菜、持ってかえる?」 「そらかなわん。そこまでマメやないよ、オレ。 ここで食べるからおいしいんでねえ。 おばあちゃんと食べててもしようがないやろ、 そんなことわかってるくせに」 *** 飽食をしたあとだから、何をしゃべってもおもしろいんだけど、 「パリッパリッ……」といいそうな、 ほどよく漬かった広島菜巻きの御飯をおなかいっぱい食べると、 もうお酒じゃなくて、こうばしいお茶を飲みたくなる。 それも、ぶあつい民芸品のお茶碗に、こうばしく焙じ茶など淹れて、 私は、 「漬物友達、ってもんになったら、おしまいだね… 茶飲み友達より、わるいんやない? あたしとワタルの仲がさ…」 *** そういえばずっと前、 ワタルと、前にいた女子アパートで、『シチューの素』でつくったのを食べたっけ。 それにしても、シチューにしろ、おいしい漬物にしろ、 うまいうまいと食べるだけ食べて「ホンナラまた」なんて。 *** 「ゴハン食べた?」 「これからよ」 「雀ずし買うていくから、待っててな」 「むはははは」 **** 「雀ずしをさ、ワタルに食べさせようと思って買ったのよねえ、ワザワザ」 「スウが好きやと思て買うたんですよ、これ」 「何さ、あんたが食べたかったから買ったんでしょ」 「どっちのいうこと」 なんていいながら、一人で二本ずつ食べちゃった。 雀ずしといっても別に雀をたべるのではなく、 小鯛の身をのせた箱ずし、その色や形が雀に似てるので 雀ずしというのだそう。 私は『すし萬』の小鯛ずしが好きなのだが、 ワタルはそれを知っていて、買ってきたのにまちがいない。 私のほうは、もっぱら自分がたべるつもりで買って来たのだが、 偶然、ハチ合せしたのである。 ワタルのために買ったというのはこの場合 「うそだまし」である。 この雀ずしに合う漬物は、小かぶらの薄塩、 かるくちょっと圧しをきかせたもの、 私は漬物圧し器、というのがきらいで、 拾って来た石をおもしに使うが、それの中くらいのがいい。 「うまい、この小かぶらはうまい!」 とワタルは絶讃して余念なく雀ずしと小かぶら漬けを食べている。 私は私のつくったものをおいしそうに食べるワタルにふかい満足を感じる。 餌付けに成功した飼育係りのような気分、といえばよかろうか、 正月の予定もたったことだし、 ひょっとしたら、今がいちばん幸福な時期かもわからない。 *** 「実はね、その日に、但馬の猪肉が手に入ることになってんの、 イノシシ。 これ、おいしいのよ、アンタ、本物の猪よ。 牛肉よりやわらかくて、おいしいの、アンタ、 本物なんか食べたことないでしょ。 あたし上手に、ぼたん鍋をつくるから」 約束させられてしまった。 ぼたん鍋というのは猪鍋のことである。 猪は身が赤くてぼたん色をしている。 それにしても、節子は「本物」というのも好きみたい、 自分だけが本物を知ってると思いこんでいる。 でも、 「ね、ね、おいしいの、食べさしたげるから、さ」 と一心に思いこんでいわれるのは、嬉しくなくもない。 女のやさしさを、身心にうけるたのしみ、というのもあるのだ。 **** 「見て見て!この肉。きれいでしょう?」 と節子は大皿をどんとホームごたつの天板の上にのせた。 鮮紅色の肉は、ふちに白い脂身をレースのようにつけて、 幾段かに重ねられてこんもり盛り上っていた。 同じことなら、この美しい猪肉、薄切りしてあるのだから、 一枚ずつきれいに並べて、花びらのように飾ったらずっと見映えがするのに、 そういう気はまわらないらしい。 私はやっと鍋に関心と視線が移り、 「手伝いましょうか」 と長い菜箸を持ったら、 「あ、それより、すみれはここ。こっち」 と伊豆サンの向い側へ坐らされる。 こたつへ膝を入れて、私の左手が藤沢氏、右手に節子が来たので、 野菜の籠や肉の皿は私と節子の間へ置く。 *** 猪鍋というのは味噌味に仕立てる。 その味噌に特徴があるのだろうけど、 八丁味噌に仙台味噌をまぜ、昆布だしで煮る。 野菜は、セリ、白菜、ささがきのゴボウ、焼き豆腐にこんにゃく、 などというもの、 猪肉がおいしくて柔らかくて、臭みはさらになく、 コクのあるところは牛肉より美味である。 脂身もかたくなく、微妙なうまみがあり、 食べるとホカホカと芯からあたたまって来て、陽気になる。 私がそういうと、 「昔の人は、猪のことを山クジラというて食べた。 四つ足を食べるのは仏教徒のタブーやから、 体のクスリやというて食べたんでしょ。 また実際、猪肉はクスリ、いいますねえ— 体の芯からホカホカする、いうのは当然かもしれません」 伊豆氏がニコニコという。 *** 私は胸あてのついたエプロンをして、 餃子を冷凍からもどし、焼いていた。 どうせお節料理やお煮しめ、お餅などを食べてきてると思うので、 そういう家庭料理はいっさいやめ、 冷蔵庫のなかは酢豚やら、ビーフシチューやら、そういう実質料理がぎっしり詰めてあるのだ。 桶や琺瑯の容器にはこれまたお漬物がやや漬かりすぎにいっぱい、 一週間ぐらい籠城できそう。 「あっ。餃子に酢豚か。しめた、正月にこんなん食えるとは思わへんかった。 ビールを飲もう」 ワタルは手をこすり合せて喜んだ。 さらに白菜のお漬物を見ると、待ち切れないように指でひときれつまみ、 口へ抛りこむ。 「漬物もビールのサカナになる」 「フン」 その漬物だって、ものすごい心がこもってるんだド。 *** 餃子の熱々をいくつもいくつもこしらえ、 あっさりした肉団子のすましのスープをつくった。 きれいな金色の焦げめのついた餃子をいっぱいにならべ、 酢豚も盛ると、暖房をとめてもいいほどあったかになる。 ビールで乾杯して、 「ことしもよろしく!」 餃子のせいで、部屋じゅうニンニクの匂いがぷんぷん—、 近所のビルはみなまだお休みなので、誰もいない。 窓をすこし開けて匂いを追い出し、 「ケンカ別れしなくてよかった!」 とビールをつぎ合う。 田辺聖子著「風をください」 レースが近づき、みんなが工場で頑張っている時、
福美はよく差し入れに行く。 お握りに鳥のカラ揚げ、卵焼きといった簡単なものだが、 5、6人分となると結構、材料費がかかる。 *** 怒りや疑問がうずまいているのに、 それでも途中のスーパーで食料品を買うのは忘れない。 邦彦の好物の豆腐と鶏肉を買った。 これで湯豆腐とそろぼ飯をつくるつもりだ。 そんなふうに献立を考えることは、2人の歳月の確かさを噛みしめることと同じで、福美はやっと心が静まる。 *** うっすらと汗をかいていた。 たっぷり買物をしたのでスーパーの袋は重たく、 邦彦のアパートに行くまで、3度も持ち直さねばならなかったほどだ。 袋の中には、カツオの刺身と、アサリが入っている。 邦彦は炊き込みご飯が好きだ。 今日はカツオの刺身と枝豆、そしてあさり飯というのはどうだろう。 林真理子著「イミテーション・ゴールド」
わたしは、初めて安心し、
道角の屋台で、4ドル出して買った半円形のサンドイッチ、 Farafa(ファラファ)にかぶりつく。 ゴマペーストの白いソースが、ピリッと辛いカレー味のコロッケの具と 抜群の相性で、うわあ、おいしい。 ファラファは中近東の食べ物で、売っていたのは、 アラブ人の太ったおじさんだった。 ティファニーで朝食を、ならぬ、ティファニーで昼食を。 五番街の通りを眺めながら、 ニューヨーカー気取りで、歩きながらファラファをほおばるのであった。 野田香里著「ニューヨークで夢がかなう」
かぶらむしだとか、ごま豆腐、とか、ひろうず、などと
一つずつ注文しているうち、 店の温気も加わって、心もほぐれて来て、 そこへ熱いお酒がはこばれてくるから、 なお楽しくなる。 *** 私は、ごま豆腐やかぶらむしをぺろりと食べながらいった。 そのうちに、てっさとてっちりがはこばれてくる。 *** ヒレ酒が来た。 熱いお湯呑みにそれははいっているが、 お茶を飲むための茶碗ではないしるしに、フグの絵がちゃんと描かれていて、 この店は器もおく吟味されており、 いかにもハイ・ミス好みというか、中年好みというか。 蓋をとると、ぷーんと香ばしい匂いが鼻をうち、 ほどよく焼けたヒレが、これもほどよい大きさで沈んでいる。 ヒレが金色の熱い酒をコクのある濃い味にしていて、 「ああおいしい……」 と私は思わずいい、 「これ作り笑いやありませんのよ、本心からの叫びです。 あたし、おいしいものを食べたい、という業がありまして…」 「そういう業はみな持ってるほうがよろしいですなあ。 僕もその業のために働いております。… いや、話が哲学的になりましたな」 「そりゃ、テツですもの、食べてるのが… ごめんなさい、アホなこというて」 「ハハハ」 と伊豆氏は私のヘタなシャレに、うれしそうに笑い、 「かしこい人ほどアホなことをいうものです。 アホほどかしこそうにいう。ハハハ」 てっさ、というのは、「テツの刺身」の略である。 テツというのは、いうまでもなく、ふぐのこと。 中ると死ぬ、鉄砲みたいなもの、だからテツというのだけど、 この、「てっさ」のなんときれいなこと。食べるのが惜しいみたい。 私、ケーキ、つまりチーズケーキやチョコレートムース、ババロアなんてお菓子も、 それから日本の桜餅、柏餅、ぎゅうひ、こし餡、干菓子、 およそ銘菓とよばれるもの、 またカリン糖、ねじり飴、せんべい、おかき、あられ、 ペロペロキャンデー、なんていう駄菓子にいたるまで 甘いものはなんでも食べるんだけど、 この、酒の肴になりそうなものも、みな好き。 とくにヒレ酒と「てっさ」「てっちり」なんてとり合わせ、 たべものの芸術品としか思えない。 てっさはうすくうすく、透けるほどうすく皿にそっと貼られている。 かたちも、それから先端がちょっぴりうす赤く色づいているところも、 桜の花びらそっくり。 時ならぬ冬に、小料理屋の店内で、 皿の桜がひらくのである。 それをそっとはがしてポン酢で食べるおいしさ、 その上に、香ばしい熱いヒレ酒でしょ、 これをやはり、ひとひら、ひとひら、 (うーむ) と吟味して堪能して食べるほど、もののありがたみのわかる人でなくちゃ、ならない。 これを、ワタルなんかの年ごろの若者であると、 むざと2、3口でたべてしまい、 (腹のどこへ入ったか、わからへん) という顔をする。 勿体ない。 といって、若者で、高価な芸術品みたいなたべものの値打ちをよくわきまえて (うーむ)なんていってるのも、さぞ厭味だろうし、 まあ、たべかたにも年代があるってことだ。 それから場所も相手もある。 新世界の『づぼらや』などへ会社の人間といったときは、 安いてっさやてっちり、白子をふんだんに「むざ」と食べられるのであるが。 田辺聖子著「風をください」
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