僕はよく本を読んだが、沢山本を読むという種類の読書家ではなく、
気に入った本を何度も読みかえすことを好んだ。 僕が当時好きだったのはトルーマン・カポーティ、ジョン・アップダイク、 スコット・フィッツジェラルド、レイモンド・チャンドラーといった作家たちだったが、 クラスでも寮でもそういうタイプの小説を好んで読む人間は1人も見あたらなかった。 彼らが読むのは高橋和巳や大江健三郎や三島由紀夫、あるいは現代のフランスの作家の小説が多かった。 だから当然話もかみあわなかったし、僕は1人で黙々と本を読みつづけることになった。 そして本を何度も読みかえし、ときどき目を閉じて本の香りを胸に吸いこんだ。 その本の香りをかぎ、ページに手を触れているだけで、僕は幸せな気持ちになることができた。 18歳の年の僕にとって最高の書物はジョン・アップダイクの『ケンタウロス』だったが 何度か読みかえすうちにそれは少しずつ最初の輝きを失って、 フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビイ』にベスト・ワンの地位をゆずりわたすことになった。 そして『グレート・ギャツビイ』はその後ずっと僕にとっては最高の小説でありつづけた。 僕は気が向くと書棚から『グレート・ギャツビイ』をとりだし、 出鱈目にページを開き、その部分をひとしきり読むことを習慣にしていたが、 ただの一度も失望させられることはなかった。 1ページとしてつまらないページはなかった。 なんて素晴しいんだろうと僕は思った。 そして人々にその素晴しさを伝えたいと思った。 しかし僕のまわりには『グレート・ギャツビイ』を読んだことのある人間なんていなかったし、 読んでもいいと思いそうな人間すらいなかった。 1968年にスコット・フィッツジェラルドを読むというのは反動とまではいかなくとも、 決して推奨される行為ではなかった。 *** 彼は僕なんかははるかに及ばないくらいの読書家だったが、 死後30年を経ていない作家の本は原則として手にとろうとはしなかった。 そういう本しか俺は信用しない、と彼は言った。 「現代文学を信用しないというわけじゃないよ。 だた俺は時の洗礼を受けてないものを読んで貴重な時間を無駄に費したくないだ。 人生は短かい」 「永沢さんはどんな作家が好きなんですか?」と僕は訊ねてみた。 「バルザック、ダンテ、ジョセフ・コンラッド、ディッケンズ」と彼は即座に答えた。 「あまり今日性のある作家とは言えないですね」 「だから読むのさ。 他人と同じものを読んでいれば他人と同じ考え方しかできなくなる。 そんなものは田舎者、俗物の世界だ。 まともな人間はそんな恥かしいことはしない」 村上春樹「ノルウェイの森」
by foodscene
| 2009-12-28 13:47
| Books
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