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親子丼とお好み焼き

必ず30分以内にお届けしますというピザを、
この数ヶ月もう何枚注文したことであろう。
あの油っこいにおいをかぐだけでもうたくさんと、
日花里は言ったばかりではないか。

それなのに聡のためならば、今夜のメニューはそれでいいと言い出したのだ。
娘の心の粘っこさに、瑞枝はかすかな嫌悪をおぼえる。

「お母さんは、あそこのピザだけはもうご免よ、
どうせ出前にするなら、ひさご屋の親子丼にするわ」
「じゃ、私もそれでいいよ...」
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「お母さん、久瀬さんだよ。お好み焼きをつくりに来てくれたんだって」

「あのさ、今日は焼きソバの玉も買ってきたからさ、デラックスダブルといこうよ」
昨日とは別な店の袋を高く掲げた。
日花里は彼の腕に、まるで小猫のようにじゃれつく。
「わー、おいしそう。私ね、お好み焼きってあんまり食べたことない。
焼きソバが入ってるのなんか初めてだよ。
でも大好きだと思う」

「久瀬君が来るかどうかわからなかったから、
もう出前を頼んじゃったわ。
親子丼、もう来る頃かもしれない」
「日花里、親子丼なんかいいよ」激しい口調だった。
「そんなの、とっといて明日食べればいいよ。
私、久瀬さんのお好み焼きを食べるから」
その時、まるでタイミングを見計らっていたようにインターフォンが鳴った。
二人前の親子丼が届いたのだ。
瑞枝と日花里は見つめ合う。

「毎度ーッ、ひさご屋です。今日は暑いですねえ」
聡と同じ言葉を口にした。
手渡された赤絵の丼はほかほかと温かい。
こんな季節に親子丼を頼むのは珍しい客かもしれなかった。

テーブルの上に親子丼を2つ置く。
紙に包まれた小さな発泡スチロールも一緒だ。
この中には今どき珍しいほどの発色剤を使った、真黄色の沢庵が2切れのっているはずだ。
沈黙が続いた。
たかが親子丼ふたつに、母と娘の思惑がからみあっている。

「OK、じゃ、こうしようよ」
聡が突然大きな声を出した。
「この親子丼、すっごくおいしそうじゃん。
オレもすっごく腹減っているからさ、これ、ご馳走してよ。
3等分すればさ、そんなにたいした量じゃないだろう。
その後、お好み焼きつくるからさ」
「そうだね、そうしようよ」

冷蔵庫の中をのぞき、貰いもののラッキョウやつくだ煮といったものを小皿に盛る。
ちまちまとした皿や醤油差しを並べると、
丼物だけのわびしいテーブルも急に家庭の色彩を持った。

日花里は親子丼の蓋を大切そうに開けた。
もう冷めて湯気は上がらない。
「じゃ、日花里、久瀬さんから半分、お母さんから半分もらうよ」
「ちょっと待ってくれよ」
聡が大きな声を出す。
「日花里ちゃん、算数の時間に割り算もう習ってるだろう。
2個を3で割れば、3分の2じゃないか。
オレとお母さんから半分ずつ貰えば、半分と半分で日花里ちゃんは1個親子丼を食べることになる。
日花里ちゃんだけが得をするんだよ」
「あっ、そうか」
「だからさ、こうして、日花里ちゃんはこの丼とこの丼から3分の1ずつ取るんだ」

聡はそれぞれの丼に箸をつきさし、上手に飯と具をすくった。
何のためらいもなく瑞枝の丼にも箸を伸ばす。
そして日花里のために新たな丼をつくってやった。
聡は思いのほか箸づかいがうまく、
日花里の丼はつぎはぎが見えないように玉子の具を平らに整えてある。
「それじゃ、いただきまーす」

林真理子「ロストワールド」
by foodscene | 2010-02-28 13:12 | 日本


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