「急にハラがへってきた。めし、めし」
とさわぎたてた。 「そうね。もっとボリュームのあるものを買えばよかったかな」 近くの店で手当り次第買ってきたのは、 三日月パンと赤ワインの安もの、カマンベールチーズ、オレンジである。 私はハンケチを石のベンチに敷いて、それらを並べた。 「いやいや、これで充分。 大ごちそうですよ。 タベモノなんて少ない目にあるほうが、うまい気ィするのんとちがいますか」 *** 小山がゆるぎ出したような太っちょのおじさんが、 エプロンをつけたまま出て来て注文をきいた。 「スパゲティ、たべる?」 と矢富クン。 「もちろん、もちろん、大もちろん!」 と私は勢いこんでいった。 ローマも今夜で終り、なんだから。 そしてローマのスパゲティはやっぱり日本でたべられないくらいおいしい。 スパゲティ・アッレ・ボンゴレ、貝入りのスパゲティに、仔牛のカツレツをたべることにした。 うれしくて、何ということなく廻りをみまわし、 「ハハハハ......」 と笑えてきた。 矢富クンといると「何ということなく」ということが多い。 それぐらい気を使わなくていいからかもしれない。 「サリューテ(乾盃)!」 と赤いワインのグラスをうちつけ合う。 ワインはガラスのでキャンタになみなみと満たされる。 淡いコクのあるワインで、これもわるくない。 スパゲティも仔牛のカツレツもおいしくて、夢中で食べていた。 *** 三輪ふく子はすき焼きの用意をして待っていてくれた。 小学校3年生の男の子と、5つの女の子がいて、 子供たちは先に食べさせ、私とふく子はビールをあけて飲む。 ふく子はどっさり肉をたきながら、 「テキのおらへんときほど、張りこんだるねん」 といっていた。 テキというのは夫のことである。 **** ゆうべ、母のところでもらってきたタベモノがあるので、 パックからそれを鍋にうつして暖める。 鳥肉やにんじん、たけのこ、絹さやなどをたいた筑前煮、 それにアジの南蛮漬け、といったノコリモノである。 **** ここのトマトソースは、ニンニクが入っている。 お昼ごはんに食べるにはすこし困るが、 そんなこと、いちいちいってたらせっかくの楽しみに水をさすことになるから、 「おいしい?」 と矢富クンがいったとき、私は顔も上げず、 「ウン!」 といった。 どっさり貝が入っていて、スパゲティを食べたあとも、 まだソースと貝を楽しめる。 私も矢富クンも夢中で食べた。 私がやかましくいったので、ワインはとらない。 赤い顔をして会社へ戻るわけにいかないもの。 「ゆうべのシチューとどっちおいしい?」 矢富クンは聞いた。 「シチューって?」 私は自分でいったウソを、自分で忘れている。 「パーティしたんでしょう、2人で」 矢富クンはひやかすようにいう。 *** 矢富クンはちっとも変っていない。 ク、ククク...と笑うのもそのまま、 よく冷えたシェリー酒を、まず私についてくれるのもそのまま、 私が、 「今夜はあたし、払う」 というと、愛嬌よくあたまを下げてニッコリするのも見慣れた感じ。 ニンニクのきいたトマトソースで、また、 たっぷりスパゲティをたべ、そのあと、鶏の手羽の焼いたのや、 トマトソースのかかった車エビを夢中でたべた。 エビは熱々でカラをむくのも指をやけどしそうなくらい、 よく身がしまって雪白で、それが油に焼かれて金色になっている。 それへ、ピリッと辛いソースがかかっている。 しびれた舌を、冷いワインでひやし鎮めるのである。 私もよく食べるが矢富クンも健やかにくらう。 ほそいくせに、いくら食べても満腹みたいな顔をしない。 ウチの会社の若い男の子なんか、うどん1ぱいも食べられず、 5すじ6すじくらい食べるとサーッと立ってしまう。 (もったいないことをするヤツだ!) と私はいつも腹を立ててしまう。 *** 旦那と天候をいっしょくたにして怒っている。 私は冷蔵庫からまず、冷いコーラ、それに私がつくって冷やしておいたプリン (粉末をミルクで溶いて火にかけたもの)を出してきた。 三輪ふく子は、コーラを飲み、プリンをたべ、扇風機にあたって、 やっと人ごこちがついたようであった。 「何をゴチャゴチャいうの?...」 私は小さな台所でキャベツを1枚ずつ剥いで洗っている。 どうせふく子は食事をしていくことになるだろうと思ったので、 2人ぶん用意することにした。 尤も、冷凍庫に入れてあるコロッケを電子レンジで解凍して、 油で揚げるだけだから、簡単である。 *** 冷いそうめんを食べて人ごこちがつくと、 だいぶ機嫌がなおってきた。 京都らしい、しっとりした店で、どのテーブルの上にも、 造花でない、ホンモノの露をふくんだりんどうが一輪ずつ飾ってある。 それに、お薄にくず饅頭なども食べられるところがよい。 *** 炉ばた焼きの店はいつ行っても、たくさんの客がぎっしりつまっていて、 目立たなくてよい。 小松菜のおひたしとか、ぜんまいのたいたのとかもあって、 それにイカの丸焼きをぶつぎりにした一皿をもらい、 お酒を飲んでいると、1人ぼっちの空間が、 たまらなく慕わしく、なつかしくなる。 *** 「ねえ、何か、たべさしてくれるの、シチューは。 スウちゃん、シチューつくってたやろ。いつか」 「シチューなんて、すぐできないわよ」 「シチューの素あるよ。ウチのスーパーにも売ってる。 あれだとすぐできる。 僕、買うてきます」 「ようし、そうしようか」 私はメモに買物を書いて、財布と一緒にワタルに持たせた。 ワタルは嬉しそうに出ていったけど、 私も嬉しくって。 ありあわせの材料をよせ集めて、鍋を火にかけた。 こういう楽しみは、まだしたことがなかった。 誰かのために料理してやる、それも、 三輪ふく子のグチをききながらするのではなくて、 ワタルと食事をたのしむため、なんていうのは、 ふく子には悪いけれど、比較にならない楽しさである。 ワタルはウイスキーの瓶まで買ってきていた。 尤も、私の財布からだけれど、しぶちん(ケチ)の私が、いやもう、 ワタルに使う金は全然、惜しくないのだ。 シチューの素は、カレーの素みたいに、板チョコ風である。 割り入れると、いい匂いが立って、 3時間煮たシチューと、かわらない。 「お皿どれ?」 「あ、下の戸棚あけて」 なんていうのは、私には大げさにいうと、何年ぶりかの楽しさである。 *** シチューは申し分なく、結構いけるのであった。 サラダといいハムを少し、それに塩味のパン、バターの代りにクリームチーズを 私は冷蔵庫から出してきた。 「いつもこんなご馳走たべてるの?」 「そーんなこと、ないわよ。 だけど、わりと、あたし、気が向くとチャンとする。 お皿も並べてきちんと品数をそろえて食べたりするわね- でないと、1人ぐらしはトコトンおちてゆくから」 ワタルはおどろくほど食べる。 細い軀にしてはよく食べる。 私が冷蔵庫に入れたままになっていた、 大根と厚揚のたいたオカズ、それも暖めて出すと、 「うまい。僕トコのおばあちゃんと同じ味」 おばあちゃん子のワタルは、こういう田舎料理が好きらしかった。 それで残りものの御飯を、私は少しあたため、 紫蘇を粉にしたものをまぜて、 紫蘇御飯にし、おにぎりをつくった。 ワタルはそれも、すっかり、食べてしまった。 この紫蘇の粉は、母のしていたのを真似てつくってみたのだ。 梅干の紫蘇だけ残ったので、それを絞ってザルで乾かし、 手で揉んですり鉢でつぶして粉にする。 それをコーヒーの空き瓶に入れてある。 御飯が残ると、混ぜて紫蘇入りおにぎりにする。 そうすると、おいしく食べられるのだった。 そういうことも、私は手まめにやっている。 *** 私は玉葱を注意ぶかく、いためていた。 この、いためかたがコツ。 ちょっとでも焦がしたらすべてパーになり、 も一度やり直さないといけない。 焦げた臭いは、鍋を洗ってもしばらく落ちず、 あたらしい鍋を使わなければならないことになる。 だから細心の注意を払って、気長に、しんなりと薄切りの玉葱をいためていた。 弱火にし、腕がだるくなってくるくらい、 木杓子でかきまぜるのである。 だんだん透き通ったアメ色になり、いい匂いがしてくる。 そこへ小麦粉を入れて充分、いためる。 そうして、かねて作ってあるスープを少しずつ入れ、煮つめるのである。 このへんの味つけが、たのしいところ。 *** お昼は、外の中華食堂「長崎楼」で、皿うどんを食べていた。 係長が偶然はいって来て、 席がいっぱいだったから、 「よろしおまっか」と私の前に坐り、同じように皿うどんを注文した。 *** 私は会社が終るなり、息せききって帰ってきた。 今夜来るワタルのために、オニオングラタンスープをつくってやろう、と思って。 どっさり、おろしチーズをスープにふりかけて、 もう7時前になっていたから、 オーブントースターに入れた。 こんがり焼けて15分、チーズがとろりととけて美味しそうにでき上ったが、 ワタルは来ない。 私はサランラップにつつんだりして、けんめいに保温していたが、 そのうち、だんだんさめ、ついに、すっかり冷えてしまうまで、ワタルは来ない。 ミルクだけコップ1杯飲んで、食べものはみな冷蔵庫へしまいこみ、 足でドアを蹴って閉めた。 昨日の夕方、あんなに精魂かたむけて玉葱をいため、 おいしいオニオングラタンスープを作ったのに、 ワタルは来なかったから食べそこねた。 肉を焼くばかりにしてニンニクなんか摺りおろしていたので、 ニンニクの匂いが部屋に沁みついていた。 *** 急にワタルが来てもいいように、と思って、 サラダをたくさんつくったり、していた。 しかしそのうち、オナカが空いてきたので、 ゆうべの残りモノで食べてしまう。 *** 私はバニラエッセンスを入れて作ったゼリーを、ワタルに食べさせた。 ワタルはしかし、ゼリーをおいしそうに食べた。 コーヒーゼリーと、2つとも食べてしまった。 *** 私はニンジンだの、ゴボウだのの、下ごしらえをしている。 もう1つのレンジには朝からずうっと、 黒豆がコトコトとたかれていた。 私はニンジンの乱切りをザルに上げながら、 何ということなく、ワタルに金を貸した話をふく子にしてしまう。 *** 尤もその最後の言葉は、そのあくる日、 係長に誘われていった、れいのミナミの小料理屋、というより、安直な飲み屋でいったのである。 私たちは、暖かいおでんを皿にとってもらった。 *** 「美味しそうな、大根ねえ。刻み漬けにしたら美味しいでしょうねえ」 「漬物はどっさり、あるよ。 ここの漬物はうまいな」 と漬物好きのワタルは邪念なくいっていた。 *** 食事はなるべくおそくていい、といっていたけど、 8時ごろが限度らしくて、もう出てきた。 仕方ないから1人で食べた。 海から離れているが、カニが出た。 田辺聖子「愛してよろしいですか?」
by foodscene
| 2011-08-28 12:46
| 日本
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