というわけで、数マイル離れたラコストのレストラン<ル・シミアーヌ>の主人が
馴染みの客に料理六品とピンク・シャンパンの昼食をもてなすと聞いた私たち夫婦は、 これこそ一年のはじまりを祝うにふさわしい耳寄りな話といそいそと出かけて行ったのだ。 12時半にはもう、こぢんまりとした石造りの店はいっぱいだった。 健啖を競うとなればいずれ劣らぬ猛者揃いと見受けられる家族連れの客もいた。 毎日2時間ないし3時間は食べる歓びに専心するためでもあろうか、 みなおしなべて丸々と肥え太ったその家族は、 私語を慎んでテーブルに目を伏せ、店の主人が掌るフランス好みの儀式に神妙に 付き合っていた。 店の主人がまたかなりの巨漢でありながら、 宙を舞うがごとくにテーブルからテーブルへと渡り歩く術を心得た男で、 この日はヴェルヴェットのスモーキングジャケットにボウタイという晴れ姿だった。 ポマードで塗り固めた口髭をふるわせて、 彼は思い入れたっぷり、節をつけてメニューを読み上げた。 フォアグラ。ロブスターのムース。 ヒレ肉の包み焼き。消化の良いデザート。そして食後酒。 メニュー紹介は主人がテーブルごとに歌って聞かせる美味礼賛のアリアだった。 そのつど、彼は自分の指先に接吻したが、 あれでは店中をまわり終る頃には唇が摺りむけてしまうのではないかと 他人事ながら気になった。 「ボナペティ!」どうぞごゆっくり、と主人が紹介を締めくくると、 店内はしんと静まり返り、 寛いだ雰囲気の中で客たちはおもむろに食事にとりかかった。 ***** プロヴァンスの夏の豊富な食べ物はよく知られている。 メロン。モモ。アスパラガス。クルジェット。ナス。コショウ。トマト。 ニンニクをきかせたアイヨリにブイヤベース。 緑の濃淡も鮮やかなレタスを敷いて、オリーヴ、アンチョヴィ、ツナ、茹で卵、 土の香のするジャガイモの薄切りをのせ、オリーヴ油のドレッシングをたっぷりかけた山盛りのサラダ。 新鮮や山羊のチーズ….。 イギリスのレストランのみすぼらしいメニューを前にするたびに 私たちはプロヴァンスの人々の豊かな食生活を思い出して羨望やみ難く、 憧憬は募るばかりだった。 冬は冬でまた別の、味にかけては勝るとも劣らない料理があろうとは、 私たちは思ってもみなかった。 プロヴァンスの冬のご馳走は農家の家庭料理である。 丹精込めて作られる田舎料理は腹持ちがよくて体が暖まり、元気が出て、 満たされた気持で寝につくことができる。 都会のレストランの盛りつけに凝った小粋な料理にくらべたら、 必ずしも見た目はよくないかもしれないが、 ミストラルが肌を刺す極寒の夜は何といってもこれに限る。 ある晩、近くの知人が私たちを夕食に招いてくれた。 その家まで、わずかな距離を行くにも思わず小走りになるほどの寒い夜だった。 ドアを潜るとたちまち眼鏡が曇った。 億の壁いっぱいを占めるような大きな暖炉に火が赤々と燃えている。 眼鏡の曇りが消えて、見るとチェックの布をかけたテーブルに十人分の席が設けられていた。 親しいご近所や親類筋が集まって私たち夫婦を品定めしようという趣向である。 片隅のテレビはつけっ放しで、キッチンからはラジオの音が洩れていた。 何匹もいる犬や猫たちは客が来るとそのつど外へ追い出されたが、 次の客にあやかってまたちゃっかり入り込んだ。 早速、飲み物が運ばれてきた。 男にはウイキョウの香をつけたパスティス、 女にはよく冷やした甘いマスカット・ワインだった。 *** 生涯忘れることのできない食事だった。 胃袋の容量を超える献立といい、かかった時間の長さといい、 桁はずれとはこのことで、正しくは、生涯忘れることのできない何回分かの食事だった。 はじめに自家製のピザが出た。 それも一種類ではなく、アンチョヴィ、キノコ、チーズの三通りで、 どれも必ずひと切れは食べなくてはならないこととされていた。 テーブルの真ん中に置かれた二フィートはあろうかという棒状のパンをてんでにちぎって皿を拭くと、 次の料理が運ばれてきた。 ウサギとイノシシとツグミのパテ。 豚肉の角切りをマールブランデーで味つけしたテリーヌ。 コショウの実の入った大きなソーセージ。 新鮮なトマト・ソースに泳がせた甘みのある小さなタマネギのマリネ。 これを平らげてまたパンで皿を拭くと、今度はカモ料理だった。 マグレを扇形に並べてうっすらとソースをかけたところはいかにもうまそうで、 何やら洒落た新種の料理かと見紛うばかりである。 実際、これほどの料理はそんじょそこらでお目にかかれるものではない。 胸肉も脚もそっくりそのままで、まわりに天然のキノコをあしらい、 濃い目のグレイヴィがまた格別の味だった。 やっと残さず食べきって、やれやれと椅子の背にもたれたのも束の間で、 みんながまたぞろ皿を拭き、 そこへ熱い湯気の立つ大きなキャセロールが運ばれて来た時には、 私たちは驚きうろたえ、声もなくただ目を瞠るばかりだった。 当家のマダムご自慢のウサギのシヴェ(シチュー)で、 ほんのひと口という私たちの哀訴もやんわり笑って黙殺された。 私たちはシヴェを食べ、さらにニンニクとオリーヴ油で揚げたパンとグリーン・サラダを食べ、 山羊のチーズの大きな塊を平らげ、その上、 娘さんが腕をふるったアーモンドとクリームのガトーを詰め込んだ。 イギリスの名誉にかけて、私たちは食べた。 コーヒーとともに、ひしゃげた酒瓶がいくつかテーブルに並んだ。 消化を助ける薬用の地酒であるという。 胃袋にまだ多少なりと余裕があったとしても、そこへこんなものを流し込んだら 心臓が破裂してしまうに違いない。 しかし、主人は頑として私の辞退を認めず、十一世紀の頃、 低地アルプス地方の修道僧たちが編み出した処方に従って調合した一服を 飲めと言って聞かなかった。 *** プロヴァンスの標準からいっても、決してこれが毎日の食事ではない。 地に働く人々は昼しっかり食べて、 夜は簡単に済ますのが普通である。 健康のためには実に理にかなった結構な習慣だが、 私たちにはこれがなかなかむずかしい。 この土地に暮すようになって私たちは、 昼食がうまければうまいほど、夜はますます食欲が湧くことを知った。 驚くべきことである。 食べ物が豊かな土地で、男と女の別なく食べることに異常なまで執念を燃やす人々に囲まれて 暮しているせいもあるだろう。 例えば、肉屋は肉を売るだけではない。 私たちの後ろに客の列が長く伸びるのもお構いなしで、その肉をどう料理して、 盛りつけはこう、付け合わせには何、酒はこれこれ、 とことこまかに講釈しないと気が済まない。 はじめてこれを体験したのは、ペプロナータと呼ばれるプロヴァンス風シチューにする子牛の肉を 仕入れにアプトへ出かけた時のことである。 私たちは人に薦められて、料理の名人で職人気質と評判の高い旧市街のその肉屋を訪ねた。 肉屋夫婦は揃って大柄で、私たち二人が土間に立つと、それだけでもう小さな店はいっぱいだった。 主人は料理の目論見を説明する私たちの言葉に熱心に耳を傾けた。 そういう料理を知っているか、と私は言わずもがなのことを言った。 主人は憮然として大きな肉切り包丁を研ぎにかかった。 そのあまりの権幕に私たちは思わず一歩退った。 *** 私たちの畏敬の念は充分主人にも通じたに違いない。 彼はやおらヴィールの大きな塊を取り出し、 講義口調で料理の心得を話しながら、それを角切りにした。 細かく刻んだハーブを袋に詰めて肉に添え、 彼はさらに、香辛料はどこそこの店で買うようにと教えてくれた。 彩りを考えて、ピーマン四にトウガラシ一の割合と量まで指定する気の配りようである。 私たちが失敗しないように、彼は料理の仕方を二度繰り返し、 ワインはコート・デュ・ローヌを薦めた。 見事な手捌きと話術はそれ自体、一幕の名演技だった。 *** 一度イギリスまで足を伸ばしてリヴァプールのホテルでロースト・ラムを食べたことがある。 真っ黒な上に焼き冷ましで、味も素っ気もなかった。 もっとも、知っての通り、 イギリス人はラムを二度殺すのだから、期待する方が無理というものだ、と ムッシュー・バニョーは言った。 つまり、一度は肉にする時、もう一度は料理する時、というわけだ。 イギリスの料理をこうまでぼろくそにけなされては立つ瀬がない。 次のボキューズ行きを夢見ながら床磨きを続けるムッシュー・バニョーをその場に残して、 私は早々に引き揚げた。 *** 皮を剥ぎ終えた肉を冷たい流水に一昼夜漬けて臭みを抜く。 水を切り、袋詰めにして夜干しにする。 できれば霜の夜がいい。 翌朝、その肉を鋳物のキャセロールに入れ、 血とワインをよく混ぜてひたひたにかける。 ハーブ、タマネギ、ニンニクの塊を加え、 一日二日とろ火で煮込む。 (マッソーは、煮込む時間はキツネの年齢や大きさによって変るのではっきりとは言えないと弁解した。) 以前はこれにパンと茹でたジャガイモを添えて食べたが、今はディープ・ファット・フライヤーなどの便利な道具があるので、 ポム・フリットを付け合わせにすることもできる。 *** 暖房を入れることが決まると、 私たちは一足飛びに夏のことを考えはじめた。 石塀をめぐらせた裏庭を青天井のリヴィングルームにする計画である。 すでに一隅にバーベキューの竈とバーがある。 あとはどっしりとした大きなテーブルを据えればいい。 6インチの雪の中に立って8月半ばの昼時分を思い浮かべながら、 私たちは敷石の上に一辺5フィートの正方形を描いた。 これだけの広さがあればブロンズ色に日焼けした裸足の連衆8人がゆったり坐れ、 真ん中にサラダの大鉢、パテにチーズ、ローストペパー、 オリーヴ・ブレッド、よく冷えたワイン、と盛りだくさんの料理を並べることができる。 ミストラルがたちまち雪中のテーブルを掻き消したが、 その時にはもう、私たちの考えは決まっていた。 テーブルは一枚岩を切り出した四角い大きなやつがいい。 *** 彼らは石の壁を攻略するのと同じ破壊力をもって弁当に立ち向かった。 サンドイッチの軽い食事とはわけが違う。 プラスチックの大きな籠にチキン、ソーセージ、シュークルート、 サラダ、パン、と盛りだくさんで、皿小鉢やナイフ、フォークも本式である。 幸い、誰も酒は飲まなかった。 *** 職人たちが帰った後、私たちは北極探検にでも出かけるような重装備に身を固めて、 仮のキッチンではじめての炊事にとりかかった。 バーベキューの竈と冷蔵庫はそのまますぐ使える。 ホームバーのカウンターには流しとガスコンロふたつが作りつけになっている。 必要なものはすべて揃っているのだが、 惜しむらくは壁がない。 気温は相変わらず氷点下である。 これで壁があったらどんなに有難いことだろう。 とはいえ、葡萄の小枝は盛んに炎を上げて、 あたりはラムチョップとローズマリーの香りが漂い、 セントラルヒーティングに代ってワインが芯から体を温めてくれる。 私たちは冒険家気取りで意気軒昂だった。 が、食事が済んで、外の井戸で洗い物をする段になると、 高揚もそれまでだった。 *** 私はお薦めは何かと尋ねた。 「何なりと」老人は言った。 「連れ合いの料理はどれも天下一品でしてね」 彼はテーブルにメニューを広げて、折りから来合わせた別の客の相手に立った。 なるほどどれもうまそうで、私たちは選択に迷った。 スタッフィングにハーブを使った子羊の肉。 ドーブ。 トリュフを添えたヴィール。 <ファンテジー・デュ・シェフ―シェフの気紛れ> とだけ記された正体不明の料理…。 老人は戻って来るとまた腰を降ろして私たちの注文を聞き、 心得顔にうなずいた。 「ああ、やっぱり。ファンテジーの注文は男のお客さんと決まっていましてね」 私ははじめのコースに白ワインのハーフ・ボトル、後は赤と注文した。 「いや、それは違う」老人はヴィザンの赤ワイン、コート・デュ・ローヌを薦めて、 上等のワインといい女はヴィザンと相場が決まっていると言い、 暗く奥深い酒蔵からその瓶を運んできた。 *** 料理はゴー=ミヨー・ガイドに書かれている通り、頬が落ちそうなほどだった。 ワインもまた老人の言葉に違わず、私たちはコート・デュ・ローヌがすっかり気に入った。 山羊のチーズの小さな塊にハーブをあしらったオリーヴ油のマリネが運ばれてきた時には、 すでに瓶は空だった。 私はハーフ・ボトルをもう一本頼んだ。 ピーター・メイル 池 央耿訳「南仏プロヴァンスの12か月 」
by foodscene
| 2012-04-19 15:41
| フランス
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