ここの旅館にには食堂はついていない。そこまではとても手が回りきらないのである。
そのかわり、彼女は近くにある美味しいリストランテを紹介してくれる。車で十分ほどで、いちばん近い村に着くし、ここには美味しくて安いリストランテが何軒かある。 昼はラ・ビスコンドーラという森の中にある戸外のリストランテで、三種類のパスタもりあわせとキノコと牛肉の料理。 夜はラ・サロット・ディ・キャンティーという小さな店で、ヴェッケ・テーレ・デ・モンテフィーリの86年を飲み、ポモドーロ・ストゥッツキーニと夏野菜のマカロニと茄子のグラタン・ア・ラ・メントゥッチャというのを食べた(ついでながら僕のつれあいは夏野菜のムースと、リゾット・アル・ドラツィーノとチョコレート・ムースを食べた)。 どちらの店もまず文句のない味だったし、値段もリーズナブルだった。材料もとても新鮮だったし、料理も丁寧に作ってあったし、接客態度もフレンドリーであった。何よりもあくせくしていないところがいい。とくに後者は若い人が二人で新しく始めたという店だけあって、料理にもいろいろと新鮮な工夫があったように思う。 朝になると、奥さんが眠そうな顔をしながら車を運転して、町まで朝食の食品の買い出しに行く。そして新鮮この上ないヴォリュームたっぷりの朝食を作ってくれる。パン屋の窯から出たばかりの焼きたてのクロワッサンと、ロールパン。大きな皿に並べた何種類ものチーズとハム。生みたての卵で作ったスクランブルド・エッグ。たっぷりと水差しに入った生ジュース。コーヒー・フルーツ・カクテル。庭で取れた果物のもりあわせ。アップル・パイ。 僕はどちらかというと目が覚めてすぐにおなかが減るので、朝食をたっぷりと食べる方だが、それでもこの朝食はとても食べきれなかった。でもすごく美味しかったので、奥さんにお願いして洋ナシとアップル・パイをお弁当にしてもらった。 旅館を出るときに、いろいろありがとう、とても楽しかったです、と言うと奥さんはとても嬉しそうな顔をした。でも僕らがまた今度来る時に、彼女がまだ旅館を経営しているかどうかは、かなりむずかしいところだと思う。だってそんな朝食を用意するだけでも、本当にすごい重労働だと思うから。 (村上春樹著 「遠い太鼓」より)
by foodscene
| 2006-04-17 03:09
| イタリア
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