永遠のとなり

卵や野菜、豆腐やしらたきなどを手早く片づけると、イチゴのパックと何やら肉の包みらしきものを両手に持ち、
あっちゃんは私を目で促してじいさんのそばに近寄った。
コタツの片側に二人並んで正座する。
「じいさん、イチゴ買って来たよ」
と坂下老人の鼻面にパックを突き出した。
白髪頭を角刈りにし、突き出した額がいかにも頑固そうな老人は、
落ち窪んだ眼窩におさまる意外に力のある目で一瞥をくれ、
「腹が冷えるけんイチゴはいらん」とぶっきらぼうに言う。

「まあそう言わんで気が向いたとき食べり。
ちゃんと洗ってヘタも剝いて冷蔵庫にしまっといちゃるけん。
たまにはビタミンCも取らんと早よボケるばい」

あっちゃんは手を引っ込めると、私が運んできたレジ袋から、
発砲酒とサントリーオールドで、それにつまみ類を取り出してコタツのテーブルに並べた。

***
「じいさん、岩田屋でうまい鶏肉も買うて来たけん、今夜はとりすきばい」
さらに肉の包みを持ち上げてみせると、
「そら、ごちそうやな」
じいさんがわずかに口の端を切り上げて笑みらしき表情を作った。

やがて始まった食事は和やかに進んでいった。
坂下老人は今年で八十とのことだったが、大した健啖家で、とりすきもどんどん食べ、
あっちゃんが買ってきたサントリーオールドの水割りをぐいぐい飲んだ。

***
「じいさん、明日の昼はこのすきやきの残りにうどんば入れればいいけん」
「わかっとる」
「イチゴもラップかけてしまっとるけん、ちゃんと食べないかんよ」
「わしはイチゴはあんまり好かん」

***
昼飯はレストラン街の「麺王国」で食べた。
あっちゃんは博多ちゃんぽん定食、私は東筑軒のかしわ飯とわかめうどんで、むろん勘定はこちらがもった。
***
真鯛のしゃぶしゃぶをメインに久美さんの手料理をご馳走になり、
遅くまで三人で過ごした。
この日ばかりは、普段の節制を解いて好物のビールをしこたま飲んだ。
***
トーストとハムエッグ、トマトサラダの朝食をとり、ゆっくり風呂に入った。
***
目の前で野菜カレーを注文している山田も一足先に辞めていった。
彼の場合は、外資系損保へそのまま横滑りしたのであったが。
同じカレーをオーダーし、ウエイトレスが置いていった水を一口飲んだ。

***
弁当もあっちゃんが二人分持ってきている。
下枝さんが今朝出勤前に作ってくれたものらしい。

ご飯は握り飯で、おかかご飯を海苔で包んだもの、焼き辛子明太子入り、梅干入りがそれぞれ一つずつ。
おかずは、フグの唐揚、玉子焼き、ポテトサラダだった。
デザートは小さなリンゴが二個。
「下枝はあんまり料理はうまくないんよ」
握り飯を頬張りながらあっちゃんが照れ臭そうに言う。
「おにぎりも唐揚もすごいうまかよ」
言うと、ちょっと嬉しそうな顔になる。

***
リュックに入れてきたレジャーシートを出して平らな芝地の上に敷く。
弁当も一緒に取り出した。
握り飯二個に昨夜の里芋の煮付けの残り、それとジャスコの総菜売り場で焼きたての焼き鳥を三本買ってきた。
飲み物の方はポットのお茶と、もう一つ、サントリーオールドの水割りを別のポットに氷と共に詰めてきている。
オールドは、坂下老人のアパートを訪ねた折に敦が土産にした酒だが、たしかにうまいと思った。
翌日さっそく一本買って、寝酒がわりに毎晩愛飲するようになった。
シートに座ると、焼き鳥のパックを開け、紙コップに水割りを注ぐ。
水割りを口に含んで舌で転がすように味わい、ゆっくりと飲み下す。
口内にウィスキーの香りがふわっと広がる。
その香りが実にふくよかなのだ。
***
水割りをちびりちびりやりながら、焼き鳥を頬張る。
スーパーで売っているのに「炭火焼」と表示されていた。
一本八十円。なるほど焼き加減もほどよい。

昨今のスーパーの総菜売り場の充実ぶりは目を見張るものがある。
ひとり暮らしを始めた三年半前と比べても、品数の多さ、量の多さは倍量どころではない。
コーナーを覗くたびに目移りするし、感心してしまう。

***
水割りを紙コップ二杯飲んで、焼き鳥三本を食べ終え、ほろ酔い加減になった。
お茶に切り替えて、握り飯と里芋の煮付けを腹におさめる。
もう満腹だった。
***
リビングのテーブルの前に座ると、あっちゃんが私の持ってきたワインをさっそく開けてくれた。
ドイツの安い黒猫ワインだが味には定評がある。
チーズやクラッカー、ソーセージなどを運んできた下枝さんも一緒にテーブルについて先ずは乾杯した。
「今日は、地物の鰆のとびっきりのやつを一本仕入れてきたけん、
わしがさばいて旨い焼き魚ば食わしてやるばい」
あっちゃんが言う。
「鰆かあ、そらよかねえ」
いよいよ春だな、と思う。
「トルコ風の塩焼きやから、普通の塩焼きとは一味違うけんね」
「トルコ風て何ね」
「まあ、出てきてからのお楽しみたい」
***
あっちゃんの焼いたトルコ風の塩焼きは絶品だった。
鰆を二枚におろして、それぞれ半身の半分を焼いてくれたのだが、
その大きな切り身をぺろりと平らげてしまった。
多めの塩とタイムを振った魚をしっかり焼き上げ、
そこにたっぷりオリーブオイルを注いで、さらにその上にタマネギのすりおろしとオリーブオイルと醤油で作ったトルコ風ソースをこれまたたっぷりとかけて食べる。

「むかし、カッパドキアに行ったとき、途中にトゥズ湖という有名な塩湖があってさ、
そこは湖といっても一面真っ白な塩の平原で、湖畔の土産物屋にはそのトゥズ湖の塩がひとかたまり幾らで売っとるんよ。
トルコの人たちもそこの塩ば常用しとるんやけど、わしも一つ買ってみたと。
そいで、この魚の塩焼きはイスタンブールで食ったっちゃけど、やっぱりトゥズ湖の塩ば使っとった。
日本に返ってきてさっそく土産の塩で同じごと魚ば焼いたら、ほんとにうまかったとよ」
あっちゃんが自慢げに解説してくれたが、
今日の塩はトルコ産ではなく、シベリア岩塩を使ったとのことだった。
「このシベリア岩塩も焼き魚にはもってこいの塩ばい」
もちろん力説していた。

鰆の塩焼きのほかには、フライドポテトの山盛りとつまみにも出たチーズとソーセージ、
それにトマトのスライスサラダとフランスパンだった。
あっちゃんが用意しておいた勝沼の無濾過ワインも抜いたが、
これも淡白で飲みやすかった。
***
駅の真向かいに建つ旧門司三井倶楽部のレストランに入って、昼を食べる。
三井倶楽部はアール・デコの時代に三井物産の社交クラブとして建築されたもので、
その一階の大広間が現在はレストランとして使用されていた。
室内は真紅の絨毯が敷き詰められ、大きな窓にかかるドレープカーテンも真っ赤だった。

久美さんはふぐのステーキランチ、私はふぐかつ丼を注文した。
「何か仕事を始めようと思ってるんです」
食事が終わり、コーヒーが出てきたところで久美さんが言った。

***
九州鉄道記念館や海峡プラザなどを巡って、栄町銀天街の中にある「純喫茶 なか川」という喫茶店でお茶を飲んだ。
アイスティーとココアを注文した。
品書きでは「コールティー」となっていて郷愁をそそられる。
届いたココアを一口啜った彼女が「これ、甘くないわ」と嬉しそうな顔になる。
「たまにこうして知らない町に来ると、何だか気分が変わっていいですね」
「ほんとですね」
***
うな重が片づいた頃には、二人でロング缶を四本、空けていた。
「私、焼酎にするけど、青野さんはビールでいいですか」
下枝さんが当たり前のように言った。
「じゃあ、僕はお湯割りで」
酔いも手伝って、また乗ってしまう。

テーブルの上に焼酎の五合ビン、グラス、アイスペール、保温ポット、チーズやクラッカー、さきいかなどを盛った大皿が並ぶ。
どうやら本格的に飲むつもりのようだ。
お湯割りを作ってくれると、下枝さんは、氷を入れた自分のグラスに麦焼酎をなみなみと注いだ。
***
私と久美さんがたっぷり刺身を取っていると、
すでに自分の皿に料理を盛りつけ終わったあっちゃんが大きなお盆を盛ったまま近づいて来て、
「うまそうやねえ。ああ、わしも刺身が食いたかあ」
と羨ましげな声を出す。
「そげん食いたいなら、いっそ食べればよかろうも。
無理に我慢する方が却って良くないっちゃないと」
目の前には新鮮なマグロ、ヒラス、タイ、スズキ、イカなどの刺身が大皿に盛られ、
バイキングスタイルだからいくらでも取り放題なのだ。

「一度始めたら、そげん簡単にはやめられんと」
あっちゃんはきっぱりと言ったあと、「やけど、つらかなあ」と一つぼやいて先にテーブルへと戻っていった。
「せっかく食欲が出てきたというのに、魚も肉も食えんというのはちょっとかわいそうですね」
となりでスズキの刺身を自分の皿に豪勢に取り分けている久美さんに声をかける。
「いいんです。あの人が自分で言い出して始めたことなんですから」
彼女は涼しい顔をしている。

席に戻ってみると、それでもあっちゃんのお盆の上にはたくさんの料理が並んでいた。
タラの芽と茄子の天ぷら、野菜ビーフン、三つ葉の胡麻和え、筑前煮、小芋の煮っころがし、
ひじき、高野豆腐の含め煮、きのこの冷製パスタ、ごぼうサラダ、枝豆、汲み豆腐、
ところてん、芋粥などなど。

こうして見る分にはなかなか豪華だし、こんなにたくさんのものを食べたいと思えるようになっただけでも、
あっちゃんの回復ぶりが十分に窺える気がして、素直に嬉しかった。

博多の地ビールとして有名な杉能舎(すぎのや)のビールが置いてあるというので、
久美さんと一本ずつ注文した。
***
二本目のビールと共に、別注の「春わかめの豆乳しゃぶしゃぶ」が届いた。
旺盛な食欲で料理を片づけていたあっちゃんが、これこれ、と言いながらさっそくザルに盛られたわかめを箸でつまんで
沸騰した豆乳の中に放り込んでいる。
志賀島といえばわかめが一番の特産物であるらしい。
「海草類は免疫力アップに最高やけんね」
きれいな緑色に変わったわかめを胡麻ダレにつけてうまそうに食べる。


白石一文著「永遠のとなり」
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by foodscene | 2012-10-23 16:31 | 日本


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