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清貧なるイギリス料理

イギリスと食文化のかかわりとなると、たいていは悪口に終始することになる。
フランク・ミューアというイギリス人の著書に
『無遠慮な文化誌』(中西秀男訳 筑摩書房)なる一風変わった書物があって、
その「飲食」の項をみると、イギリス伝統のボイルド・キャベツについて猛烈な
悪口がとりあげられている。

あの伝統的なイギリス風にボイルしたキャベツにくらべたら、
フィンランドの破産した屑屋から買いこんだ古新聞を一たん蒸してから燃焼不完全な
石油ストーブの上で焼いたしろものでも、まず飛びきりの珍味といえる。
(略)

これほどひどい悪口でなくても、
イギリス人の食生活についてはあまりいい評判をきかない。
ヨーロッパへ旅行してイギリスの料理のおいしさをほめたたえる人はロシア人の
サーヴィスをほめる人と同じくらい少ないのではないか。

アントニー・グリンというイギリス人が書いた
『イギリス人 その生活と国民性』(正木恒夫訳 研究社)は、
イギリス人の生活に密着してその国民性をユーモアたっぷりに描き出した好著だが、
このなかの「パイとプディング」と題された章は、
イギリス人の食生活を語ってとりわけおもしろい。

イギリス人(あるいはグリンの言葉を借りればブリテン人)は
大昔から名うての大食漢だったという。
なるほどシェイクスピアの生み出した古今東西最高の喜劇人物フォルスタッフの食欲たるや、
常人どころか超人をもしのぐほどである。

そうした大食の伝統が頂点に達するのは20世紀初頭だそうで、
この時代には肥満体の人物が多く出た。
ところが、いつの頃からか、とにかく20世紀が進むにつれてイギリス人は
食欲をなくしてしまう。

その理由については憶測の域を出ないが、
上流階級に関しては戦争の影響が大きい。
(略)
グリンはこれをまとめて、
「食物は必要悪ならぬ不必要悪なのであり、
少なければ少ないほどよい」という。
(略)
それはともかく、現在のイギリス人が食物にあまり興味も望みも抱いていないというのは、
一部の変わり者を除けば事実のようで、
彼らはあいもかわらずポテトとベークト・ビーンズ(大豆を煮こんでトマト味をつけたもの)と
グリーンピースで日々をすごしているように思われる。

かつてイギリス特有の食物として必ず引きあいに出されたものに、
「フィッシュ・アンド・チップス」がある。
たらを天麩羅風に揚げたものにフライド・ポテトをつけあわせるというやつで、
テイク・アウト食品としては圧倒的な人気を集めてきたものだ。

町中あちこちにあったこの手の店では、
揚げたてのフィッシュ・アンド・チップスを粗雑な紙に包んでくれたもので、
一説では高級紙『タイムズ』より、大衆紙のいわゆる「イェロー・ペーパー」に包んでくれたもののほうが
味がいいといわれた。

ところが、最近ではこの手の店がだいぶ姿を消して、
かわりにピザ・チェーンが幅をきかせているのである。
もちろんレストランやパブには必ずといっていいほどこのメニューがあるけれど、
専門店の衰微ぶりたるや目をおおわんばかりである。

小林章夫著「イギリスの味わい方」
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by foodscene | 2012-05-30 16:41 | イギリス

英国貴族と結婚した私 1

こんな状況の中であったが、出された食事はおいしかった。
ワインも上等だったし、メニューも種類こそ少かったけれど、
3コースで、私が注文したペパーステーキは、肉も柔かく、上手に焼けていた。

***
大きな邸ばかりある静かな通りをぬけると、
小さなマーケット広場に出た。
ゴザや、小さな台の上に果物や野菜をのせて売っていた。

赤みがかった色の、おいしそうなモンキーバナナが、
50本もついていて、一房200円かそこらだったと思う。
それを買い、ついでにライチーも買って、
それが翌日からの私の朝食となった。

あさ黒い肌の、丸い目をした小柄な女性たちは、活き活きとして美しかった。
さまざまな色の、無地や模様のブラウスと長いスカートをはいているのが、
何ともよく似合って優雅だった。

***

バンコックは、人と騒音と色彩にあふれた近代都市だった。
友人の紹介で泊ったホテルには、
山盛りの南国の果物と花が飾っており、
プノンペンのホテルとはうって変わった待遇の良さだ。

もちろん、冷房が入っていて、カンボジアでの睡眠不足をとり戻すのには
最適のようだった。
ロビーでオレンジ・ジュースをたのむと、
大きいグラスに細かく割った氷をいっぱい入れ、
その上に生のジュースを注いで持ってきた。
そのおいしかったこと。

***

食事は、広場に小屋がけしている食堂で、
カレーややきそばを食べた。
家中で働いていて、おかみさんが作る料理を10歳かそこらの子供たちがテーブルに運んでいた。
もっと小さい子供まで、さかんに手伝っていたが、
いかにも誇らしげで微笑ましかった。

夜遅く通りに出る屋台のおかゆも、本当においしかった。
ホテルで食事をする気にはとてもなれなかったものだ。

***
寺院を出ると男は、「面白かったか」ときき、
私が「うん」と答えると、今度は広い境内に、
日本のお祭りとそっくりにたくさん並んでいる屋台やテントへ私を連れて行った。
そして一つ一つのぞきながら、
木の葉に包んだカミタバコや辛いおまんじゅうなどを買ってくれた。

そういえば、バンコック以来、屋台でものを食べたことがなかった。
この国では何だか気持ち悪くてそういう所へ一人で近付けなかったのだ。
私はすっかり楽しくなり、テントの一つに入って夕飯を食べ、
遅くまで男と一緒にほっつき歩いた。

***

台所は簡単なものだった。
水を貯めるための大きな素焼きのカメがいくつかと、
大小の鉄のナベとフライパン、それで全部であった。
料理はガスでした。

盛るのはアルミの皿、弟の奥さんが仕事から戻ると、すぐに台所へ入る。
そしてゴトゴトやっている。
男たち(この家の主人と弟、それにいつも何人かの友人がくっついている)と私は
バルコニーに座ってビールを飲む。

ピリリと辛い、うすい大きいおせんべいのようなもの(パパドム)が出てくる。
もちろん、今焼いたばかりだ。
それを指で割って食べながらしゃべり、かつ飲む。
しばらくしてから、大きな皿に、二、三種類のカレーと白い御飯が出てくる。
しょうがをレモン汁に漬けたもの、小さいみどり色のとうがらしのピクルス(むせるほど辛い)、
ヨーグルトなども出てくる。
それらを各自の皿に少しずつとり分けて、右手の指でつまんで食べる。
手でクチャクチャつかんだり、あちこちべとべとにしてはいけない。
三本の指だけ使って、口に放り込むようにする。

どのカレーもおいしかったけれど、初めは辛くて弱った。
私が口を歪めているのを見て、みんな笑った。
「水をくれ」といったら、
「水を飲むともっと辛く感じる。
ヨーグルトを食べるのがいい」といって、ヨーグルトをとってくれた。
その通りだった。

女たちはGの家でもほかの家でも、
ナベとフライパンだけで見事な料理を作った。
ピクルスもチャトニーもヨーグルトも自家製だった。
Gの従弟の家に招かれたとき、料理を教えてくれるといったので、
喜んで作るところを見せてもらったことがある。

男の料理人が、大きな鉄ナベに玉ねぎのきざんだのを入れてよく炒め、
たくさんの香辛料を入れて、これもまたよくよく炒め、
それから何キロものトマトを入れてとろ火で長いあいだ煮た。
その中に鶏肉なり、ラムなりを入れるのだが、
トマトから出る汁だけで決して水を入れてはいけないと教えられた。

日本では、カレールウを使うのが当り前と思っていたから、
毎日作る何種類ものカレーにこんなに手間と時間をかけていたのかと驚いた。

ここで暮らしているあいだに、何かが私の中で変化していった。
日本では、私も店屋ものをとっていたし、
漬けものでも、つくだにでも、みんな店から買っていた。
ここの人たちのように、食事ごとに平たいパンを焼いたり、
長い時間をかけて料理することなど、私の母でもやらなくなっていた。

しかしここでは女たちが丁寧に料理を作っていた。
男たちもそれを期待して待った。
いつも何人かの友だちや客がとび込んできたが、
女たちは文句をいわずに全員にお腹いっぱい食べさせるのだった。
彼らはそろって夕方から夜中まで、ゆっくり食べておしゃべりした。
テレビはなかった。

料理自体も種類は少かったが、味は上等だった。
ここでは食事をすることが安息につながった。
「忙しく働く女たちはどうなのだ」などと誰も問う者はいない。
女たちは、男たちに食べさせるのを誇りとしていた。
しゃれた料理や飾りがあるわけではなかった。
それはただみんながお腹いっぱいになるように
心をこめて作られた料理だった。

こんな彼らが宝物のように居間に飾っていたのが、
プラスチックのバターとジャムを入れる容器だったからおかしかった。

***

ホテルはラッセル・スクエアに近いタビストック・ホテルだった。
ロンドン大学に近いということで旅行会社が選んでくれたものだ。
私はここに一週間ほど滞在しているあいだに、
英国人の朝食の量にふれ、たいへん驚いたものだ。

ジュースやコーンフレークス、トーストなどのほかに、
キッパーズ(にしんのくん製)やスクランブルド・エッグにソーセージ、
またはベーコンなどをたっぷり食べるのだった。

***

仕方がないから、朝はパンとジャムと紅茶、
昼は大学の近くでサンドイッチ、夜は家でオムレツか、
そんなもの、あとはおいしくて安いりんごか、オレンジをたくさん食べてすませた。

ときおり、Yさん宅にお邪魔して、ほかにも大勢集まってくる独身者たちに奥さんが
たっぷりと作って出してくれるカレーライスをごちそうになった。
この有難さが身にしみたから、
その後自分で家を持ち、お金のゆとりができてくると、
一人で下宿住いをしている人にはいつも声をかけて、
たとえおソバでも、ごはんにみそ汁だけでも食べにきてもらうようにした。

***
友人をたくさん招いて、大騒ぎをするこの種のパーティーは、
大体ブッフェ・スタイルで、
食べものはソーセージやじゃがいもを焼いて大皿にもり、
みんなそれらを勝手にとって食べる簡単なものだった。
飲物は安ワインかビール。

マークス寿子著「英国貴族と結婚した私」
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by foodscene | 2012-05-07 13:35 | イギリス

A Royal Duty 2

時計が午後5時を知らせると、
女王陛下がどこにいらっしゃろうとも、
サウジアラビアの宮殿だろうが、ロイヤルヨットのブリタニア号の中だろうが、
牛乳を添えたアールグレー紅茶と、
パンの耳を切り落としたサンドイッチ、そしてお菓子が運ばれる。

ダイアナ妃がアレクサンダーに手編みのダブルの部屋着ジャケットを持って来たこともあった。
マリアとコーヒーを飲みながら、おしゃべりをして、
戸棚にあったチョコレートビスケットを食べながら、大笑いをして。

ダイアナ妃は、私が彼女のためにワイン用冷蔵庫に入れておいた
ホワイトチョコレートをかじりながら、パントリーに詰めている私に
よく話をしにやって来た。

私は階段を降りて、皇太子の紅茶を入れた。
ハイグローヴで皇太子が好んで飲んでいた、
ミルクを少し落とした濃いアールグレイだった。


ポール・バレル著 "A Royal Duty"
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by foodscene | 2012-03-02 16:24 | イギリス

A Royal Duty 1

2階には絨毯敷きの床に布張りの椅子が並ぶ執事の食堂があった。
20年以上王室に仕えてきた年輩のスタッフや従者、従僕の長、女王陛下の衣装係やおかかえ運転手が
ここで食事をする。
特別メニューとして、パンとチーズの盛り合わせとクラッカーが供せられる。

王室の生活は規則正しく、いつも定刻通りに行われた。
女王陛下の衣装係は毎朝8時に陛下のベッドルームの戸を叩く。
「お目覚めの盆」とアールグレー紅茶が入った陶器のポット。

王室専属の牛乳配達は、誰よりも朝早く起きて、
ウィンザー城から牛乳の入った箱を届ける。
ウィンザーのグレート・パークにはジャージー種の乳牛がいて、
女王陛下とロイヤル・ファミリーのために、
毎日広口瓶に入れる新鮮な乳を提供していた。

瓶には「E2Rロイヤル牛乳、ウィンザー城」という青いスタンプが押され、
緑と金のフタがかぶさっている。
同じような紋章がついた鑞塗りの箱に入れられた生クリームも届く。

午前9時には女王陛下は居間を通り抜けて、
ダイニングルームへ向かう。
旧式のラジオからはいつでもBBCラジオ2の放送が流れていた。

私が用意するのはつましい朝食だった。
殻粒入りトーストにバターが少々、
それに果肉が入ったマーマレードがほんの少しだけ。
ダイニングルームはご家族用だったが、女王陛下はひとりで召し上がることが珍しくなかった。

サイドボードの脇に立たれ、電気ポットのお湯が沸くのを待っている女王陛下の姿を
よく見かけたものだ。
お湯が沸くと、ご自身で銀製のティーポットに注いでお茶を入れる。

任務を終了して居間に戻り、
「飲み物は用意できているかしら、ポール」とお聞きになるのも無理はない。
昼食の前にはご自身でお気に入りのお飲み物を供されることもよくあった。
ジンと、デュボネという名前のベルモット酒を半分ずつ混ぜ、
氷2個とレモン1切れを加える。
昼食はいつも午後1時からの1時間ほどだった。

ポール・バレル著 "A Royal Duty"
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by foodscene | 2012-02-29 17:03 | イギリス

給食

月曜日、シチュー&ライス。
火曜日、チーズパスタ。
水曜日、シェパーズ・パイ。
木曜日、スパゲティ・ミートボール。
金曜日、魚のフライ。以上。

これが息子の通う幼稚園の給食である。
入園が決まって間もない頃、先生に「給食の献立表はありますか」と聞いたら、
「献立表?メニューがお知りになりたいのなら、今、お教えしましょう」という答えに続いて、
冒頭の日替わりメニューがスラスラと、まるで口上でも唱えるかのように彼女の口から流れ出たのだった。

「あの、つまり、これが毎週毎週繰り返されるっていうことでしょうか」
「そうですよ」
にっこり笑って、この道20年というベテランの先生は答えた。

何年か前、当時英国に留学していた友人が、ホームステイ先の家庭で出される
「日替わりメニュー」というものについて「信じられないでしょ」と目を丸くして私に話して聞かせたことを
思い出した。
おぼろげな記憶ではあったが、その友人が口にしたメニューと、
息子の学校のメニューがとても似通っていることに気づかずにはいられなかった。
これら主菜に添えられるのは茹でたグリーンピースとか、マッシュド・ポテトとか、
ただ切っただけのトマトとか、
そんなような物であるという点においても、二つのメニューはそっくりだった。
こういう食生活が、息子という仲介者を通して、我が家に侵入してくる—
それは恐怖ともいえる戦慄だった。

現在、30代のあるイスラエル人の女性は、父親がロンドンで子供時代を過ごしたが、
その父親から聞かされた「給食の話」に強い印象を受けたといった。
「何しろ、5種類しかないんですって。毎週毎週それが繰り返されるんですって」
「ひょっとしてそこにシチューアンドライス、あった?」
「あった、あった」
「フィッシュフィンガー?」
「あった、あった」
「デザートには...」
「ライスプディング!」
「わーそれ、うちにもある、ある」

彼女の父親は今、60代後半である。
私立の女子校に娘を通わせるアメリカ人の母親はいった。
「うちのところはちょっとましだわ。
1週間交代じゃなくって、2週間交代だから。
ただ、変わるのは副菜だけよ。
メインディッシュはやっぱり1週間交代だわ」
何でもロンドンの町中にスクール・ディッシュ・レストランという店があり、
そこでは郷愁に駆られてやってくる客のために、
冒頭のような日替わりメニューが、煮すぎてくたくたになった野菜と共に供されるのだという。
ウェイトレスは、学校の女校長といういでたちで、客に対する口調もあえて「先生調」なのだそうだ。

そういえば、かつてフランスに住んでいた頃、
よく通った散歩道に区立の保育園があって、そこの掲示板に張り出されていた献立表をみるのを楽しみにしていたものだった。
「○月○日 オードヴル、小エビのカクテルとアスパラガス。主菜、羊の香草焼き。デザート、イチゴのババロア。○月○日 オードヴル、野菜のテリーヌ。主菜、七面鳥とキノコのソテー。デザート、クレーム・ブリュレ...」

長坂道子氏
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by foodscene | 2009-04-14 23:08 | イギリス

君がずっと好きだった

ピッツァとワインも美味しかった。
僕はシシリー風のピッツァというのを食べたのだが、これはイタリアのピッツァに比べてもなかなかのものであった。
食事代が10ポンド。

(村上春樹著「遠い太鼓」より)
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by foodscene | 2008-05-06 23:28 | イギリス

今ではsecond hometown、UK

夕方に仕事を終えると、近所に買い物に行って、
簡単な料理を作って食べる。
僕はロンドンで暮らしているあいだ外食というものをほとんどしなかった。
正直に言って、何を食べてもたいしておいしくなかったからだ。

もちろんどこかにおいしいレストランはちゃんとあるのだろうと思う。
でもイタリアから来ると、ロンドンで金を払ってレストランに入ろうという気がまず起きない。

悪いとは思うのだけれど、率直に言って自分で作ったほうがまだおいしい。
食パンはおいしかった。
料理と呼ぶほどのものではないけれど、スーパーでロースト・ビーフとパンを買ってきて、
ロースト・ビーフ・サンドを作って毎日食べていた。
カレーを作ったり、トマト・ソースを作ったりもした。

(村上春樹著「遠い太鼓」より)
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by foodscene | 2008-05-06 22:35 | イギリス

真っ赤な空を見ただろうか

ランチでも一応、スリー・コースの食事である。

立派な紙ナプキン、ナイフ、バターナイフが用意された席に着席する。
最初にスープ、パンを食べる。

パンは自分でパンナイフで好きなだけ切り取る。
イギリスのパンナイフは実によく切れる。
ある時など、左手の上にパンを置いて切ったら、加減したつもりなのに自分の手まで
切ってしまった。
女房はパンナイフを土産に日本へ1本持ち帰ったほどだ。

次にメインディッシュを取るが、必ず暖食系と冷食系の2種類がある。

暖食系としては、チキン・カットレット、ラザーニア、それに炒めたほうれん草や、
茹でたにんじん、チップス―イギリスではフライドポテトをチップスといい、日本のポテト・チップスはクリスプスという―をつけ合せにし、冷食系としてはハム、チーズ、パスタ、生野菜サラダ、
コールスローなどを適当に取り寄せる。

デザートには、果物を取る人もいるし、甘いものを食べる人もいる。
果物はバナナ、ブドウ、オレンジなど取り立てて変わったものもなかったが、
イギリス人は甘いもの好きの人が多く、カスタード・プディングがほとんどの場合用意してあった。

カスタード・クリームをぬるく温め、それをプディングにかけて食べるのだが、最初、こんな甘いもの、大の男が食べられるかと思ったものだ。
だが何回か食べているうちに、不思議なことに一番の好物になってしまった。

(安部悦生著 「ケンブリッジのカレッジ・ライフ」から)
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by foodscene | 2006-12-05 00:24 | イギリス