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ミスティ

ドライブの途中立ち寄った田舎町で
「大衆食堂」という看板の出た料理屋に飛びこみ、簡単な昼食を注文したのだったが、
畳一帖大のテーブルいっぱいに無虜数十枚の小皿が並び、その一つ一つに
違う料理が盛りつけられているのである。

到底四人ぐらいで食べきれる量ではない。
これとまったく同じような驚きを味わったことがあるのもギリシャだった。

やはり田舎町の居酒屋でウズという強烈な地酒を飲みながら肴を注文したら、
直径15センチぐらいの小皿が3、40枚あれよあれよというまに運ばれて来て、
テーブル狭しと溢れかえったのである。

こういうのをギリシャ語でメゼス(Mezzes)と呼ぶと知らされて、
同行のアメリカ人が、
なるほどこれがメスの語源かと叫んで大笑いになった。

まさしくそれは偉大なる混乱ともいうべき複雑怪奇な大ごちそうだった。
ギリシャのMezzesも安かったと思うが、
韓国の”メゼス”ときたら、このテーブルに若い女性二人がつききりにはべって
魚の肉までほぐして口に運んでくれても勘定書きの人数割りはわずか250円だった。

材料代としてさえ心許なく思われるこのささやかな金額の中から、
あのおびただしい品数を作りもてなし、
それから皿を洗うその労力までをまかなうのである。
どんなに人間の値段が安いかを、いたましく思い知らされる。

人間の値段が安いのは悲しいが、食物の値段も安いのがせめてもの救いである。
白米は贅沢だから粟を炊き込むべしというような規制がいくらかはあるようだが、
魚や野菜は豊富にとれるらしい。
ともかく彼等はよく食べる。
出会いの挨拶は天候の良否ではなく、
「飯を喰いましたか」なのだ。

(桐島洋子著「よきものとの出逢い—旅」より)
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by foodscene | 2008-04-29 03:25 | 韓国