カテゴリ:アイルランド( 2 )

ジョン・バンヴィル「プラハ 都市の肖像」

これまで私は、世界各地で不味い食事をしてきた。

たとえば何年も前、ロンドンの友人宅で、ふくれっ面の料理人によって供された、
牛の腎臓片を上にちりばめたマカロニ料理を私は一生忘れないだろう。
料理人の名は、嘘ではない、ミス・グラブといった
(*Grubは元来「地虫」、口語では「食い物」「餌」の意)。

ブダペストから遠からぬ気持ちのよい小さな町にあった宿屋では、
鴨のスライス、マッシュポテト、ザワークラウトがぎらぎら光る三段階の灰色を構成している。
湯気の立つ大皿を突きつけられた。

さらには、メキシコはオアハカでの素晴らしい秋の午後、
観光地から少し離れた小さな食堂で出てきた、
一見何の害もなさそうな、私も何らためらわずに食べたグリーンサラダはどうか。

そのサラダに隠れて、メキシコのジャンピング・ビーン(トビマメ)のように忙しく動き回るバチルス菌が私の消化器系に侵入し、腸の内壁に三ヵ月の長きにわたって貼りつき、
吐き気に染まった、断続的に電流の貫流する日々をもたらすことになったのである。

チェコとバイエルンは地理的にも近接しており、
両地は不可解な、しかしほとんど偏在的と言ってよい情熱を共有している。
すなわちそれは、ダンプリング(茹で団子)に対する情熱である。

この御馳走の大きさはさまざまで、小さければ頑丈なおはじき—私の小さいころはナックラーと呼んでいた—程度であり、大きければ水を吸った使い古しのテニスボールほどあって、
手触りもいくぶん共通しており、もしかしたら味も共通しているかもしれない。
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by foodscene | 2009-02-11 01:45 | アイルランド

デザートはセロリ

セロリが印象的に使われているもうひとつの小説として、
ジェームズ・ジョイスの短篇「死者たち」を挙げたい。
堅実な暮らしながら食べ物はケチらず、
ふだんから「ダイヤ型の骨がついたサーロイン、3シリングの紅茶、最高の瓶ビール」等を
飲食して暮らしている独身女性3人の家で開かれるクリスマス・パーティが
この小説前半の舞台である(「3シリングの紅茶」は、普通の真っ当なお茶のだいたい3倍の
値段のようです)。

丸々太った狐色の鵞鳥がテーブルの一方の端に横たわり、
もう一方の端には、ひだひだに折った紙を敷いてパセリを散らした上に大きなハムが置かれていた。
ハムの外の皮は剥いてパン粉をまぶし、脛骨には小綺麗な紙のフリルが巻いてあり、
その横には、香辛料で味付けした牛の腿肉。
これらライバル同士の肉たちを両端にして、
あいだにはさまざまなサイドディッシュが平行線を描いている―
2つの小さな寺院のごとき赤と黄のゼリー、浅い皿にどっさり盛ったブランマンジュと
赤いジャム、草の茎をかたどった取っ手のついた大きな緑色の葉っぱ型の皿には、
紫のレーズンや皮むきアーモンドがいくつも山になっていて、
それと並んでスミルナ無花果がどっしりした長方形を描き、
隣にはナツメグをすってふりかけたカスタード、金と銀の紙に包んだチョコレートや
キャンディーをうずたかく盛った小さなボウルと、
ひょろ長いセロリが何本か立っているガラスの花瓶があった。

―居並ぶ食べ物の描写はこれでまだ半分、このあとにもオレンジと「アメリカリンゴ」があり
ポートワインにシェリー酒があり、蓋を閉じたピアノの上にはプディングの巨大な皿が待ち構え、黒ビールに白ビールにミネラルウォーターがそれぞれの瓶のラベルの色を
きわだたせ.....と、20世紀初頭のダブリンでの華やかな晩餐のメニューが
生き生きと伝わってくる。

むろん、豪華な食卓を活写すること自体が眼目ではたぶんなく、
その華やかさのなかで主人公のインテリ男ゲイブリエルが
1人妙に浮いていることをきわだたせるために食べ物たちはそこにあると言ってよいだろう。
が、そうした役割を果たすためには、何よりもまず、
食べ物が食べ物として自らの美味しさを文字から浮かび上がらせねばならないし、
それは見事になしとげられている。

雪の降る寒い街を歩いてきて、
年輩で独身の(それぞれうるさいところはあるけれど基本的にはみんないい人の)
女性たちの迎えてくれる家に入り、
これだけの食べ物が並んだ食卓につくのは、同席者との人間関係さえ
まずまずならきっと素敵なことだろう。(略)

こういうディナーで大きな鵞鳥やら七面鳥やらを切り分けるのはふつう家長の仕事だが、
ここは女所帯、その役割は3人のうち2人の甥っ子にあたる
ゲイブリエルに振られる。
で、これがみんなから浮いているインテリとなると、
よくある展開としては、張り切ってナイフを入れたはいいがインテリにありがちな
不器用さ
「ちょっと、あたしの紙みたいに薄いわよ」
「なんだよこれルービックキューブかよ」等々の苦情が殺到する......となりそうだが、
そうはせず、家長役はひとまずきっちりやってのけさせる
(「彼はいまやすっかり落ち着いていた。肉を切らせたら彼は熟練であり、
たっぷり食べ物の載った食卓の上座に陣取るのは何より好きだったのだ」)
あたりも巧み。

そして、肉をたらふく食べてデザートの段階に至ると、
制作者ジュリア叔母さんに気を使ってみんなはプディングを頬張るのだが、
ただ1人、甘い物を食べないゲイブリエルは代わりにセロリを齧る。

30年前に初めてこの短篇を読んだときには、
そのしばらく前につましいイギリス人一家の夕食に招待されて、
「はいこれデザート」とみんなでセロリを1本ずつ、
子供たちも喜んで齧った記憶も新しかったので、
いいじゃないかよべつにセロリ齧ったって、と思ったものだが、
これはやはり、
ゲイブリエルがみんなから浮いていることのもうひとつのしるしとして
否定的に見るべきだろう。

(柴田元幸著「つまみぐい文学食堂」より)
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by foodscene | 2008-08-16 12:34 | アイルランド