カテゴリ:学習( 7 )

Joy of learning Italian.

For years, I 'd wished I could speak Italian
- a language I find more beautiful than roses -
but I could never make the practical justification for studying it.

Why not just bone up on the French or Russian I'd already studied years ago?
Or learn to speak Spanish, the better to help me communicate with millions of my fellow Americans?
What was I going to do with Italian?
It's not like I was going to move there. It would be more practical to learn how to play the accordion.

But why must everything always have a practical application?
I'd been such a diligent soldier for years -
working, producing, never missing a deadline,
taking care of my loved ones, my gums and my credit record, voting, etc.

Is this lifetime supposed to be only about duty?
In this dark period of loss, did I need any justification for learning Italian other than that it was the only thing I could imagine bringing me any pleasure right now?

And it wasn't that outrageous a goal, anyway, to want to study a language.
It's not like I was saying, at age thirty- two,
"I want to become the principal ballerina for the New York City Ballet."
Studying a language is something you can actually do.

So I signed up for classes at one of those continuing education places
(otherwise known as Night School for divorced Ladies).

My friends thought this was hilarious.
My friend Nick asked,
"Why are you studying Italian?
So that - just in case Italy ever invades Ethiopia again,
and is actually successful this time -
you can brag about knowing a language that's spoken in two whole countries?"

But I loved it.
Every word was a singing sparrow, a magic trick, a truffle for me.
I would slosh home through the rain after class,
draw a hot bath, and lie there in the bubbles reading the Italian dictionary aloud to myself,
taking my mind off my divorce pressures and my heartache.

The words made me laugh in delight.
I started referring to my cell phone as il mio telefonino
("my teensy little telephone").
I became one of those annoying people who always say Ciao!
Only I was extra annoying,
since I would always explain where the word ciao comes from.
(If you must know, it's an abbreviation of a phrase used by medieval Venetians as an intimate salutation:
Sono il suo schiavo! Meaning: "I am your slave!")

Just speaking there words made me feel sexy and happy.
My divorce lawyer told me to worry;
she said she had one client (Korean by heritage) who,
after a yucky divorce, legally changed her name to something Italian,
just to feel sexy and happy again.

Maybe I would move to Italy, after all...

E. Gilbert "Eat, Pray, Love"
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by foodscene | 2010-09-27 05:21 | 学習

英語と1日1冊の読書

その夜、ビジネスホテルのわびしい部屋で胸に浮かんだのは、
仕事以外に何か自己を高めることをしないと、本当に「都会のみんな」に置いていかれてしまう、という
焦燥感でした。

何ができるか。
自分の好きなことは何か。
直感的に、自分に対してこの問いを投げたのです。

答えは「勉強」でした。
都会のみんなも簡単に手が出ないような高みに到達するほどの猛勉強をやろう!と。
それは英語の勉強と、1日1冊ビジネス書を読むこと。

英語は、英検を受験することに。
読書は、ひたすら読むことを目指しました。
感想文を書くとか、二次的な目標は立てませんでした。
結果的にこれが良かったようです。
目標設定の時には、シンプルに、後で検証しやすいものが良いですね。

英語は英検2級合格、1級は筆記試験で落第し、そのままです。
でも、その後翻訳できるまでに上達。
雑誌『TIME』を定期購読したのが効果的だったようです。
読書は、何と、18年後の現在も続いています。
出張で移動が多い時は1日2冊読むことも。

この読書体験が現在の私の知的活動の土台となりました。
つまり、広島に長くいて、都会の同僚との距離で焦ったことは、プラスに働いたのです。

坂本啓一「氷河期の乗り越え方」
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by foodscene | 2009-12-28 10:29 | 学習

暗唱

毎日、ローラは少しでも時間を見つけては、勉強した。
1時間もつだけの干し草をよりおわると、
メアリのそばで、ストーブとテーブルの間に座り、教科書を開いた。
でも、頭がぼうっとして、何もできない。
歴史がぜんぜん頭に入らない。
ほおづえをついて、石板に書いた問題を見つめたけれど、
解き方もわからないし、解こうという気もおこらないのだった。

「さあ、さあ、みんな!
くよくよしてはいけませんよ」と、かあさんがいった。
「しゃんとなさい、ローラ、キャリー! ちゃんと勉強したら、あとでお遊びをしましょう」
「えっ、どんな?」
キャリーが知りたがった。
「まず、勉強をしてからですよ」
と、かあさんが答えた。

勉強の時間がすむと、かあさんは独立読本の第5巻をとりあげた。
「では、あんたたちがどれくらい覚えているか、暗唱をしてもらいましょうか。
メアリ、あんたから始めましょう。何がいいかしら?」
「レグルス(紀元前250年頃のローマの名将)の演説」と、メアリが答えたので、
かあさんは本をめくって、その場所を探しだした。
メアリは暗唱を始めた。

「『なんじらは自らの道徳をもって、ローマ人の道徳をはかり、こう思ったにちがいない。
われはこの地にもどり、なんじの復讐を耐えしのぶより、かたく誓った約束をやぶるつもりだろうと!』」
そのすばらしい挑戦の演説を、メアリはみごとに暗唱した。

ワイルダー 谷口由美子訳「長い冬」
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by foodscene | 2009-12-09 16:47 | 学習

創作科

ある日、彼女の家に呼ばれた時に、『ライフ』の最新号を見せてくれた。
見せてくれた理由は、
その号に東部のある大学教授の特集記事が出ていたからだ。

その教授は英文学の先生で、
彼自身詩人でもあるのだが、そのY大学に詩と小説の創作教室を作った。
そこまではそう変った話ではないのだが、
彼は更に進んで、詩や小説を学位論文の代りにして、
学位をとれるようにしたのだ。
<マスター・オブ・ファインアーツ>の修士号だ。

それだけではない。
彼は企業や富豪などを廻って歩いて、基金を募り、
アメリカばかりでなくヨーロッパからも著名な作家や詩人を呼んで、
講演したり、創作教室の講師になってもらったりするということを始めた。

その結果、彼の創作教室には全米からたくさんの詩人や作家志望の学生が集るようになり、
その中から選ばれた者がお互に競い合うので、アメリカでもトップクラスの創作教室と目されている。
ことに詩の創作教室としては全米一だという評判なのだそうだ。

三浦清宏<カリフォルニアの歌>
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by foodscene | 2009-11-02 15:10 | 学習

近藤氏のすすめ

7.読書について

新聞と違って何100ページもの大著となると、
内容に興味がわかなければとうてい読破できないので、
なるべく面白そうな本を選ぶのがコツである。

たとえば、アガサ・クリスティのものは、
犯人探しの意外さに加えて、きわめて平易で、しかも洗練された英語という点で
第一級の教科書といえる。

イアン・フレミングも、アマチュア作家らしく、ジェームス・ボンドの活躍とあいまって読みやすいが、
同じスパイ小説でもプロのジョン・ル・カレとなるときわめて難解で、
凝った難しさを楽しむ英国人一流の知的ゲームと心得て取り組む必要があり、
私にとってはむしろ睡眠剤的効果のほうが強い。
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by foodscene | 2008-10-27 01:20 | 学習

German

「ウロコが落ちてから」  池内紀

ひととおり文法を終え、2、3の読本などを読みあげたある日、
おそるおそるトーマス・マンの『魔の山』をひらいて読みはじめた。
ぐんぐんひきずられてやめられない。
辞書をひきひきのおぼつかないはじまりが、やがていつしか、のめり込んだ。

知らない単語ずくめで細部はどんどんとばしていくのに、
おもしろくてたまらない。
何がどうと、はっきりいえないにもかかわらず、これがドイツ語で書かれた大文学であることは
よくわかった。
まるで言葉で建てられた大伽藍をへめぐっている。
見上げると壮大な天蓋があり、辺りにどこから射し落ちるともしれない薄明かりが
みなぎっている—。

ふと顔を上げて窓から外を見ると—
当時、私は東京・雑司ヶ谷の安アパートにいたのだがー目の下に隣家のちっぽけな庭があった。
老主人が丹精こめて世話をしている盆栽が並んでいた。
その向こうには貧相な木造二階建て、さらに無秩序に重なり合った、
安普請の屋根の波がつづいている。

目を活字にもどしたとたん、まるきり別の風景が立ちあらわれた。
白一色のサナトリウムと、
幾何学状に区分された部屋の並び。
遠くに石の町が幻のように浮いていた。
石のかたまりのただ中から矢のように突き出た塔とドーム。

2週間目、憑きものに憑かれたようにして700ページあまりを読み終えた。
目からウロコが落ちたような気がした。
ドイツ語の特性なり性格なりが、目の前で絵解きされたように思った。
土を掘り下げ、石で埋め、整然とした平面上に何か結晶のような言葉の建築物を
建てつらねていく。

盆栽の美学とは、およそ異質のものであって、
そこには思想を実感させる構造の力といったものがつらぬいている。

いま振り返ると苦笑を禁じえない明察だが、10代終わりの私は、
なぜ人間が遊んでばかりいないで「仕事」をしなければならないのか、
ハタとわかったような気がした。
とともに、どうして自分がヨーロッパにあこがれるのか、
おぼろげながら呑み込めた。
(略)
ドイツ語独特の造語能力に目をみはった。
再帰動詞という厄介なものが、いかにこの言葉に意味深い陰影を与えているかを了解した。
直接法に加えて接続法というヘンテコな文法体系が、人間の生理そのものに対応して、
ドイツ語という一言語の生命体にひとしいことを感じとった。
(略)
目からウロコが落ちて以来、私のドイツ語に対する態度は、
いささかマジメさを欠くようになったようだ。

ドイツ語というと決まって連想が及ぶところの「哲学」や「真理」に、
すこぶる冷淡であり、世界観とか人生の疑問とかに結びついた考え方をしようともしない。
言葉はおのずから、その書き手なり語り手の知的体系をつたえるものながら、
私にはむしろ、その表現なり構造が美的な満足を与える対象であるかぎり魅力があった。

レトリックや詭弁といった、つね日頃、警戒の目で見られるものが、
名人芸の軽わざのように私をたのしませた。

そのようなドイツ語の読み手にとって、ゲーテの散文のおおかたは、
冗長なおしゃべりの愚作だった。
シラーの戯曲は紋切型辞典にとどまった。
当時、学生の必読書めいていたリルケの『マルテの手記』は、思い入れたっぷりの
稚拙な作文集であり、ヘルマン・ヘッセは開くたびにアクビが出た。
(略)
逆に、たとえばフロイトの『夢判断』が、優れた推理小説のようにたのしめた。
他人の意識下に忍び入って、そこで演じられたひそかな犯罪にたちいるに際し、
この精神分析家は入念に言葉の網の目でたしかめながら、
読者にそれを提示するにあたり、
最後の一点は慎重に伏せていた。
あるいは何くわぬ顔で、ぼかしておく。
新しい学問の名において明るみに引き出しながら、
時代のモラルをはばかって、とどのつまりは示さない。

そういえば私がカフカやカール・クラウス、ヨーゼフ・ロート、
あるいはフロイトといったユダヤ系の人々に親しんできたというのも、
何よりも言葉の操作に自分と同質の傾向を嗅ぎとってのことかもしれない。
彼らドイツ語圏の部外者こそ、言葉というものの複雑な生命を、
とことん利用しつくした者たちだった。
(略)
このような自分とドイツ語との「関係」はへんなものかもしれないが、
私自身、それがまちがっていたとは思わない。

それにドイツ語に親しまなかったら、
私のようなナマケモノは学ぶべきものすら学ばなかったし、
それに今よりももっと孤独だったにちがいない。
私は日本語で得た友人よりも、
ずっと多くの友人や人生の連れを、ドイツ語の書物によって得た。
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by foodscene | 2008-10-27 01:16 | 学習

with 五輪

・フィクション翻訳終える
・小翻訳出す
・コラージュデッサン
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by foodscene | 2008-08-17 21:31 | 学習