カテゴリ:ノンフィクション日本( 18 )

妻と私

その晩の食事は、松本楼で取ることにしてあった。
日比谷公園の松本楼が、海軍と縁の深い西洋料理屋だったことは家内も知っていて、
テイク・アウトのカレーライスを買って来たことがある。

「九十歳の老総督のために、お嫁さんが買いに来たと、
先方ではきっと思っていたわよ」
と、そのとき家内はいたずらっぽい顔でいったものだった。

松本楼のフランス料理は、少々古風だが悪くなかった、と、
少くとも私はそう思っていた。

***

それがほとんど唯一の息抜きで、眠れようが眠れまいが
朝は六時過ぎには起床し、七時に食堂が開くのを待ち兼ねて朝食を取り、
そのあいだにランチ・ボックスを作ってもらって、
八時少し舞えには病室に到着する。
そこで夜の附添婦と昼間の附添夫である私とが交替し、
それから十時間病室にいる。

ランチ・ボックスは、バターと苺ジャムのサンドウィッチにピクルス、
それにゆで卵二個という至極簡単なもので、
私はそれを「コロスケ・ランチ」と呼んでいた。

家内と私との共通の幼時体験に、
「仔熊のコロスケ」という漫画がある。
そのなかで、コロスケが苺ジャム付きの食パンを食べている一コマが実に旨そうで、
家内も私も以前から鮮明に覚えていた。

その「コロスケ・ランチ」を持って、
附添夫の私が毎日現れる。
どうだい、面白いだろうと、私は家内の反応にはお構いなく、
勝手に面白がってみせた。

江藤淳著「妻と私」
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by foodscene | 2012-09-01 15:02 | ノンフィクション日本

慈愛のひと 美智子皇后

竹山校長は、市場の見学を終えると、
そのまま生徒たちを近くの寿司屋に引率した。
その寿司屋は、椅子のない、立ち食いの寿司屋である。
客のなかには、昼間から酔っている者もいた。

生徒の大半は、このようなところに足を踏み入れたことがない連中ばかりである。
彼らの当惑ぶりを見るのが、竹山校長の楽しみでもあった。

竹山は寿司屋のカウンターに全員を並ばせるや、
寿司の講義をはじめた。
「寿司の御飯のことを、シャリというんだよ。
その名の通り、口の中でべたつかず、
しゃりっとした舌ざわりでなけりゃいけない」

竹山校長は注文した。
「ではまず、ギョクを握ってもらおうか。
ギョクというのは、タマゴ焼きのこと。
最初にこれを食べるのが通とされている」

ギョクのにぎりが出されるや、
竹山校長は、手づかみで口に放りこんだ。
生徒も、眼の前ににぎりを出されると、竹山の真似をして、手でつまんで食べた。

竹山校長は、次々に注文を重ねる。
生徒たちも、大トロ、ヅケ、ヒモ、カッパと、
竹山の真似をして注文した。
美智子も、嬉々として寿司をつまんでいた。

***
マザー・ブリッドは、こうも、いっていた。
「ものを頼むときには、忙しい人に頼みなさい。
暇そうな人には、頼まないこと」

***
そんな美智子の唯一の気休めが、学校の坂下にあった団子屋であった。
美智子は、自治会の仕事で遅くなった日は、
かならずここに寄った。
渋茶に団子を頼みながら、ひとつ息を吐いていった。

***

サンドウィッチの黒い文字は、焼きのりでつくることにした。
同時に、かっぱ巻きなど、手軽につまめるものもつくった。
が、白黒ばかりでも色合いが悪い。
マザー・ブリッドは、とても色彩に気を配る人物であった。

美智子たちは、色合いを考え、テーブルクロスをパステルピンクにし、
アペリティフと呼ばれる食前酒にワインをつけた。

***

谷本は、美智子と組になった。
ふたりで話し合って、その日の献立はカレーライスということになった。
が、つくりはじめて材料が足りないことに気がついた。
いまさら、買いに走るわけにもいかない。

「ねえ、玉ねぎが足りないわ」
「茄子はあるけど…」
「入れてみましょうか」
「そうね、変わった味になるかもしれないわ。
ついでに、このトマトもなんとかしない?」
ふたりは、おもしろ半分に、カレーの鍋の中にどんどん野菜を放りこんだ。

いざ食事となり、ひと口、口に入れた者がいった。
「これ、なあに?」
美智子は、すました顔をして答えた。
「ステガバ料理よ!」
美智子たちは、学生自治会、つまりスチューデント・ガバメントのことを、
略して「ステガバ」と呼んでいた。
見かけのわりに、味は好評であった。

***
食事の献立も、あるもので間に合わせるのがやっとだったので、
毎日、ほぼ同じであった。
朝は、ふかしたサツマイモにおひたし。
昼はうどんか雑炊。
夜が、麦入りの御飯と野菜のいため煮である。

食べ物は、家族もお手伝いもいっしょだった。
館林でも、ヤミならば肉や砂糖も買えた。
が、母親の富美子は、そういうことはできるだけしないでいた。
平素の食事はなるべく切り詰め、
週末、父親の英三郎と長男の巌が来たときは、ここぞとばかりご馳走にしていた。

美智子たちは、出されたものを、文句もいわずにきれいにたいらげた。
学校へは、麦めしのおにぎりかふかしイモを持って登校した。

***
別の日に井上が遊びに行ったときには、おやつにサンドウィッチが出た。
井上は、眼をまるくした。
当時、食事はまだ芋が主流であった。
白米でさえ珍しいのに、パンが出た。
パンは、小麦粉をイーストで練ってつくった手製のものであった。
井上は、おいしくて美しい食べ物を前にして、いたく観劇した。
<いつか自分の手で、サンドウィッチをつくってみたいなぁ…>

***
美智子は、マシュマロが好物であった。
修学旅行にも、しっかりとマシュマロを持って来ていた。
美智子は、マシュマロの袋を抱いてストーブのところに行った。
集まっている友達に、それとなくいった。
「こうやって食べると、おいしいのよ」
美智子は、そういうや、ストーブの上にマシュマロを乗せはじめた。
当時、マシュマロは、珍しい菓子であった。
美智子が、それを焼いて食べるのに、みな眼を見張っていた。

マシュマロは、外をこんがり焼くと、中がとろりととろけ出す。
それを半分に割り、あつあつのところを、フーフー吹きながら食べるのである。

美智子は、みんなにひとつずつ配った。
おいしいものだから、みな次を要求する。
またたく間に、袋は空になった。

大下英治著「慈愛のひと 美智子皇后」
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by foodscene | 2012-06-07 17:02 | ノンフィクション日本

走ることについて語るときに僕の語ること

ボストンでの生活には、生ビール(サミュエル・アダムズのサマー・エール)と
ダンキン・ドーナッツは欠かせないものだが、
それでも日々の執拗な運動がものを言うのだ。

***

8月14日、日曜日。
朝のうちに、カーラ・トーマスとオーティス・レディングの音楽をMDで聴きながら
1時間15分走る。
午後にはジムのプールで1300メートルを泳ぎ、
夕方にはビーチに行って泳ぐ。

そのあとでハナレイの町の入り口近くにある
「ドルフィン・レストラン」でビールを飲み、
魚料理を食べる。
ワルー(Walu)という白身の魚だ。
炭火焼きにしてもらい、醤油をかける。
つけあわせは野菜のケバブ。
大きなサラダがついてくる。

***

暑すぎないし、寒すぎない。
長距離を走るにはまず理想的なコンディションだ。
ゼリー状の栄養剤を2つ流し込み、
水分を補給し、バターつきのパンとクッキーを食べた。

村上春樹著「走ることについて語るときに僕の語ること」
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by foodscene | 2012-04-23 13:12 | ノンフィクション日本

バターの思い出

結局、バタースープの夢は実現しなかったが、
その後小学生になってから、
何かの雑誌で「バター茶漬け」というものを見つけたときは狂喜した。

はっきりとは覚えていないけれど、
なんだか和洋入り混ざったアイディア料理のようなものだったと思う。
ご飯の上にちりめんじゃことパセリのみじん切りを乗せ、
その上にバターをひとかけ。
お醤油数滴と塩で味付けし、アツアツのお茶をたっぷりかけて食す。

「そんな気持ち悪いもの、やめなさいよ」といくら家族友人に非難軽蔑されても、
嬉々として実行していた時期があった。

そのお茶漬けの場合もそうだが、バターは完全に溶けてしまってからでは、
おいしさにも面白みにも欠ける。
熱いご飯やトウモロコシ、お肉、じゃがいもなどの上で、
半分溶けるか溶けないかの瀬戸際に、
溶けてバターの香りがしみこんだ部分と、
まだ多少冷たさを残しているバター自体の固まりの歯ごたえを、
混ぜ合わせながら口に入れるときの感触がいい。

もとを糾せば、そんなバターのおいしさを覚えたのは父のせいもある。
子供の頃から父に遊んでもらったり世話をしてもらった記憶は皆無といっていいけれど、
唯一朝食時、子供のパンにバターを塗るのは、父の仕事だった。

パンをトースターから取り出して、父のお皿に乗せる。
すると自動的に父は、ナイフでバターの固まりをたっぷりと切り取り、
焼きたての食パンの上に上手に塗ってゆく。

決して父は手先が器用なほうではない。
面倒見がいいとも思われない。
が、パンにバターを塗る技術に関してだけは、
父に勝るものはいないと思った。

父を真似して自分で塗ると必ず失敗した。
冷たいバターをパンに強くこすりつけ過ぎて、
パンがつぶれてしまうのである。
ホカホカとしたパンのふくらみを崩すことなく、
たっぷりと隅々までバターを塗り付け、
溶けたバターの汁がしだいにパンの中までしみこんでいく。

そのタイミングを逃すことなく、
「ホイ、塗ったぞ。食べなさい」と言って父から手渡されるパンは、
どういうわけか本当においしかった記憶がある。

父にしてもらったことでいちばんの思い出は、
なんていう質問を受ける機会があったら、
迷うことなく答えるであろう。
「パンにバターを塗ってくれました」

阿川佐和子著「バターの思い出」
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by foodscene | 2012-04-10 16:04 | ノンフィクション日本

泣き虫ナッチン

阪田家の人々は全員が大阪弁を使い、
子供は親のことを「かあちゃん、とうちゃん」と呼ぶ。
と思えば、妙に西洋風なものが家のあちこちに溢れていた。

市販のケーキより数倍おいしい、
自家製の苺のショートケーキの味を知ったのはこの家でのことだったし、
銀色のアイスクリーム製造器で、
卵のたっぷり入ったバニラアイスクリームを作る
手伝いをさせてもらったこともある。

なんだかテレビに出てくるアメリカの家庭のようで羨ましく思ったのを覚えている。

阿川佐和子著「きりきりかんかん」
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by foodscene | 2012-04-06 16:27 | ノンフィクション日本

作家以前 3

日暮れに帰り、夕食には皆で、醤油、酒、砂糖で甘辛く煮つけた巻き貝を、
針で身を引き出して食べた。
煮汁のついた指先からは、潮の匂いがしばらく消えなかった。

***

1月4日 昼前に起きる。各局のニュースを見ながら、乾しそばをゆでる。
そばにも、このところ、凝っている。
食べ歩きをする一方で、家でもいろいろなそばをゆでている。
専用の器も揃えてしまった。
薬味はゴマとワサビと大根おろし。
酢の物、電子レンジで作るだし卵、沢乃井の純米酒を一合。

***

出雲空港からタクシーで両親の家へ。
昼食は久々に母の手料理、牡蠣のてんぷら(フライもおいしいが、てんぷらもオツである)や
ワカサギ料理など。
幼い頃から大事にしていた御殿付きの雛人形が飾られていて懐かしい。
私と同い年の人形を見ていると子供の頃の雛祭りが思い出される。

***

旅先で不意に始まった病院暮らしに、滅入らなかったのは、
今思うと、いかにも贅沢な読書三昧にひたることが出来たからである。

そして、優しかった同室の人たち。
佐久や松本の出身というおばさんたちが、味噌で炒めた茄子入りの饅頭、
みずみずしい野沢菜漬け、花梨の蜂蜜漬けなどを競うようにして分けてくれた。
長野のお国言葉とともに、とても珍しかった。

***

夏休みは、手作りの西瓜や味瓜を井戸で冷やし、
昼食の後のおやつに食べた。
井戸の内側は鮮やかな苔に被われており底知れぬ様子が恐ろしかったが、
ふつふつと水が湧き出て僅かに揺れる水面や、独特の甘いような水の匂いには、
心惹かれるものがあった。

祖父が近くの斐伊川からとってきた鯉を処理するのも井戸端だった。
腹を裂く様子は怖くもあり興味深くもありで、
私は顔をしかめつつ足を踏んばってしっかり見ていた。

鱗を落としはらわたを出した後は、
台所で調理するために中へもって入る。
祖父がいた跡の地面は血で赤黒く染まり、青く光る浮袋が転がっていた。
私は、そういうものを見ずにはいられない子供だった。
鯉の身は、洗いや、濃い味の味噌汁になった。
私は生魚が嫌いだったが、祖父のために平静を装い、噛まずに呑み込んだ。

祖父は投網が趣味で、夜明け前に起き、
車で2時間かけて中国山地の渓流に行く。
新鮮な天然鮎をたくさん塩焼きにして貰った。
清流の苔を食べて育った鮎は、内臓が美しい緑で、それを塩漬けにしたうるかを作っていた。
子供には気色悪かったが、今の私には素晴らしい酒の肴である。

鶏も飼われていた。
朝御飯の目玉焼きの黄身や手作りのカスタードプリンは、
濃くて紅味がかっていた。
卵を生まなくなった鶏は、明治女の曾祖母がつぶした。
子供たちには内緒で処理されたが、
どういう訳か私は、殺され羽をむしられる気配をいつも察知した。
お昼の肉うどんや親子どんぶりになって出て来たが、
肉は硬く、古い家屋特有の暗い台所が、一層暗く思えた。

核家族で貧弱だった自宅のおせちに比べ、年始客の多いこの家では、
すべて祖母の手作りのおせちが輝くようだった。
祖母は酒の燗をしながら、小鯛のお吸いものや茶碗蒸しなどの客料理を手際良く作った。
早足で廊下を行き来する若やいだ後ろ姿は今も忘れられない。

そして春休み。
祖父と近くの山に蕨取りに行った。
長閑かな雲雀の声に誘われうろついた私は、森で祖父からはぐれ不安になったものだ。
蕗のとうの味噌和えのほろ苦さ、ちらし寿司にのせた山椒の木の芽の青い香り、
祖父が作った小豆を祖母が粒あんにしたお彼岸のお萩も、春の思い出だ。

松本侑子「作家以前」
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by foodscene | 2009-12-28 11:22 | ノンフィクション日本

作家以前 から

杉田さんは、天気が、店でのメニューの出方と関連があることにも気付いた。
雨の前はスタミナのつく物(焼肉定食など)がよく出て、
晴れの前は、野菜類や塩分の多い物(野菜いためやタンメン)の注文が多いという。
***
子供のころから私は、このお茶の時間が楽しみだった。
私の家では、午前と午後の2回で、ときにはコーヒーや紅茶、ココア、
そして洋菓子が並ぶ。
そんなときはテーブルの上の色合いが目に鮮やかで何だか嬉しかった。

まだ、友だちの家でも手作りのお饅頭をいただきながら、
その家の方とお話しする。
人見知りする子だったから、恥ずかしくもあったが、やはり楽しい思い出だ。

と言っても、子供の脳細胞にカフェインが悪影響を与えると母が言い張り、
中学に上がるまでコーヒーも禁止され、薄い緑茶しか飲ませてもらえなかった。

ただしミルクをたっぷりいれた紅茶だけは例外だった。
来客時やおいしい洋菓子があるときは、
母が熱い紅茶を入れてくれた。
当時はティーバッグだったが、甘いミルク・ティーの味は、ほんわかした湯気と楽しいおしゃべりがあった
幼い日のお茶の時間を思い出す。
***

私はリプトンの青缶やアールグレイの缶を買い、
家族が寝静まった夜更け、受験勉強のあいまに1人でいれた。
台所の時計はすでに午前を指していて、静まり返った深夜のお茶の味は忘れられない。

1人暮しを始めたとき、紅茶用ポット、ミルクピッチャー、シュガーポットなどをそろえた。
まだ学生だったから、ウェッジウッドなどの外国製品は買えず、
国産のボーンチャイナ。
流れるような花模様が気に入って、茶渋をこまめに落とし、いつもぴかぴかにして、
もう何年も使っている。

そういえば大学生のころ、紅茶にうるさいボーイフレンドがいて、
いつも砂時計で抽出時間を計ったりして丁寧にいれたお茶を飲ませてくれた。
しかし茶飲み友だちとはよく言ったもので、
車を飛ばして会いに行っても、紅茶ばかり飲んでいて手すらつながなかった。

当時はオーブントースターしか持っていなかったのに、
紅茶に添えるスコーンを焼いた。
材料は小麦粉と膨らし粉とミルクなどの簡単な菓子だが、焼き上がると
部屋中にバターの甘い香りが漂って、幸せな気分だった。

私は料理が好きだが、一番得意なのが、緑茶や紅茶を入れること(料理のうちに入らないか)、
でも皆がおいしいと言ってくれる。

松本侑子「作家以前」
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by foodscene | 2009-12-28 11:08 | ノンフィクション日本

もしかして愛だった まぜごはん

小学生の頃、頻繁に作っていたのが「炒り卵ご飯」である。

まず片手鍋で半熟炒り卵を作る。
砂糖と醤油を少し入れ、甘めの味つけにしておく。
卵がコロコロ転がるほど硬く炒ってしまってはおいしくない。
あくまでもドロンとした部分の残る半熟状態でなければいけない。

理想的な炒り卵ができたところで、そこへ賽の目に切ったキュウリ、
紅生姜を適量入れ、さらに白いご飯を混ぜ込む。
冷や飯でもいっこうにかまわない。
割り箸でよくかき混ぜて、お醤油チラリで味を調え、
卵の黄色、キュウリの緑、紅生姜の赤がほどよく混ざったら、お椀に盛る。
これで出来上がりだ。

学校から帰って少しお腹が好いたら、おやつ代わりによく作ったものである。
母から教わったのか自分で思いついたのか、まったく覚えていないけれど、
好物であったことは間違いない。

同じく好きだったのは、ガーリックライスである。
ガーリックライスなどと洒落て呼ぶほどのものではない。
ただ、晩ご飯のおかずにステーキや肉のバター焼きを作ったとき、
肉を焼いたあとフライパンに残った肉汁に、ご飯を混ぜてチョチョッと炒めるだけである。
つまりは肉汁チャーハン。
バターとニンニクと醤油の味がたっぷり染み込んで、そこへ数滴、
レモンを垂らしたりすると、これがまたこよなくおいしい。

阿川佐和子「もしかして愛だった」
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by foodscene | 2009-12-21 11:47 | ノンフィクション日本

養老院より大学院

先日、編集者が仙台に遊びに来た。
言っちゃナンだが、本当にみんなよく来るのである。
私は大学院生として学ぶために仙台にいるということを、
彼らはすっかり忘れている。

特に三陸沖のサンマに脂がのってからというもの、
先客万来である。

暑いうちは来なかったのだから、彼らの意図はミエミエ。
とは言え、仙台は本当にお酒も食べ物もおいしく、編集者やプロデューサーが来るたびに
「今夜は牛タン」、「今夜はサンマ」、「今夜は天ぷら」と、院生に教わった店を
大喜びで渡り歩いている私であり、これではホントに学びに来ているんだか飲みに来ているんだかわからないわ・・・・・・。
でも、彼らのせいである。

(中略)

川原は聞きしにまさる賑わいで、あっちでもこっちでも芋を煮る煙とサンマを焼く匂いの饗宴である。

私たちは大鍋に2種類の味を作った。
私はこれも初めて知ったのだが、ひとつは芋煮の本家「山形風」で「里芋、牛肉、醤油味」である。
もうひとつは「仙台風」「里芋、豚肉、みそ味」だ。

両方ともコンニャクや野菜やキノコなども加わって、熱い芋煮と冷たいビールのおいしいことと言ったらない。

色づいた木々を眺めながら、川原に吹く風を受けることの何という気持ちよさ。

夕陽が西に傾く頃には寒くなり、続きは研究室でやろうと、また歩いて帰る。
残った薪などを自転車にくくり、私と慎太郎君と喬君と寛子ちゃんとでおしゃべりしながら歩く。

3人は大学院の同期である。私とはすごい年齢差なのだが、常日頃から何らのいたわりも頂いていない。
この日も大きな酒びんを持たされる。


(内館牧子著 「養老院より大学院」より)
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by foodscene | 2007-02-12 22:15 | ノンフィクション日本

モーニング・レイン

この時間だとまだ食堂が空いているので、
食堂のおばさんが10円足しただけでいろんなサービスをしてくれる。

たぬきうどんの大盛にきつねや卵を入れてもらったり、
ご飯に野菜の天ぷらを載せて、うどんのつゆをかけてもらったり、
なんでも自由自在にできる。

一度加藤が、かき揚げたぬき卵入りカレー丼というのを作ってもらったこともあった。
僕らはもう完全に食堂の顔になっている。


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今日はクラブがなかったので、帰りに加藤とケネディと村木といっしょに
学校の近くにある肉屋にコロッケとハムカツを食べにいった。

両方とも10円で、ここのコロッケとハムカツは最高に美味しい。

僕らは学校の帰りにしょっちゅうここに寄っていく。
(クラブがあるときは、練習が終わったあと、米屋に寄って、
 ジュースを飲んでいく)

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滝が、学校の近くにピザ屋ができたという情報を仕入れてきたので、
盛と滝とケネディと僕の4人で、クラブが終わったあと、ピザを食べにいった。

が、結局僕はひと口も食べられなかった。
僕にはチーズというものがまったく食べられないのだ。
あんなに臭いものがなんでみんな平気で食べられるんだろう?


(井上一馬著 「モーニング・レイン」より)
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by foodscene | 2006-08-10 00:39 | ノンフィクション日本