カテゴリ:ノンフィクション・アメリカ( 58 )

輝ける日々

しばしば彼は夜遅く、リハーサルの後などに、真夜中、
バンドのメンバーたちとやって来た。
そして、スクランブルドエッグを注文した。
彼は、私が作るものを気に入っていたのである。

それは、チーズを溶かしこみ、固まる前にさっと仕上げるトロトロの卵料理だった。
一度に一ダースの卵を使ったものを、さあ、食べなよと、彼は皆にすすめた。
他の人たちが残すと、彼はそれをかき集めて平らげ、
うちの母さんは料理がすごくうまいと言った。

料理がうまいなどと私を褒めるのは全人類の中でニックだけよと言いかけたけれども、
彼を失望させたくないので、そのセリフをのみこんでしまった。
また彼は、私が作るフレンチトーストとタコスが好きだった。
でも、最も好きだったのは、スクランブルドエッグだった。

彼がたまに家にいる時、私たちは夜遅く階下に下りて行き、
料理をしたものである。
いつも私はあなたのそばにいるよ、そう感じさせてやりたかった。
そして、たいてい私はそばにいたのだが、私たちにとって真夜中のキッチンは語り合う場であり、
時間を共有する場であった。

ダニエル・スティール 畑正憲訳「輝ける日々」
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by foodscene | 2012-09-11 16:11 | ノンフィクション・アメリカ

スティーブ・ジョブズ 2

リージーはフライパンを持参し、ベジタリアンのオムレツを作った
(このころジョブズは、絶対菜食主義を少しひかえていた)。

***
それでも、この不運なマネジャーが選んだレストランへの反応に比べればずっとましだった。
絶対菜食主義の料理を要求したジョブズに、
ウェイターはサワークリームたっぷりのソースがかかった料理を出してきたのだ。

***

しかしジョブズは、彼らしいといえばそうなのだが、
もらったプレゼントをすべてホテルの部屋に置いて帰ってしまう。
なにひとつ、持ち帰らなかったのだ。

ウォズニアックをはじめとする古参のアップル社員のなかには、
パーティーで出されたヤギのチーズとサーモンのムースなどが口に合わず、
パーティー後にみんなでデニーズに出かけた人もいた。

***
夜の冷気が身にしみるようになると屋内に移動し、
家具がほとんどない部屋で暖炉のまわりに集まった。
カードテーブルの上には、お抱えの料理人が全粒粉で作ったベジタリアンピザがある。
マークラは、近くで穫れたチェリーを箱から直接つまんでいた。
ジョブズがいつも用意しているオルソンのチェリーだ。

***

どれほど細かな点も細かすぎることはなかった。
招待者のリストもランチのメニュー
(ミネラルウォーター、クロワッサン、クリームチーズ、豆もやし)も、
ジョブズ自身がチェックした。
***

「リサにはとても優しくて。
スティーブはベジタリアンだしクリスアンもそうでしたが、
リサは違いました。
それでもよかったらしくて、チキンを頼んだらどうだいなんて言ってましたよ」

チキンは、ベジタリアンで自然食品を神聖視する両親のあいだを行ったり来たりするリサにとって
ささやかなぜいたくとなった。
当時について、リサはのちにこう書いている。

「食料品は、いつも、髪を染めた人が見当たらない、酵母のにおいがするお店で買っていました。
ブンタレッラとか、キノアとか、セロリアック、キャロブナッツなどです。
でもときどきは変わったものも試してみました。
チキンがずらりと串焼きにされているお店で香辛料が効いた熱々のチキンを
紙袋にいれてもらって車に戻り、手づかみで食べたりしたのです」

父親は自分が食べるものにもっと厳格で、狂信的とも言えるほどだった。
バターが使われているとわかってスープを吐き出すのを見たことがあると言う。
***

ジョブズはリサを連れて東京へ行き、機能美にあふれたホテルオークラに泊まったことがある。
エレガントな寿司店で、ジョブズは穴子を頼んだ。
大の好物で、これだけはベジタリアン側に入れている一品だ。
穴子は塩とたれ、2種類が出てきた。
温かい穴子が口のなかで崩れるほろりとした感覚をいまもよく覚えているとリサは言う。
穴子といっしょにふたりの距離も崩れていった。

「乳といてあれほどゆったり落ちついた気分になったのは、
穴子のお皿を前にしたあのときがはじめてでした。
冷たいサラダのあとの温かな許し、度を過ごしたのは、
閉ざされていた部分が開かれたことを意味します。

すてきな天井のもと、小さな椅子に、穴子があって私がいて、
父は自分を少し緩めていたのです」

***
ウェディングケーキは、ヨセミテ渓谷の端にある花こう岩の峰、
ハーフドームの形をしていた。
ただし、絶対菜食主義のレシピで卵や牛乳なども使わないものだったため、
とても食べられないと思った人が多かった。
***
料理は高名なシェフのアリス・ウォーターズで、スコットランドのサーモンのほか、
クスクスや庭で育てたさまざまな野菜が供された。
***

結婚して子どもが生まれても、ジョブズは怪しげな食生活を変えなかった。
レモンを搾ったにんじんサラダだけ、
あるいはリンゴだけなど、同じものを何週間も食べたかと思うと
それを放り出し、なにも食べないと宣言する。

そして、ティーンエイジャー時代と同じように断食に入り、
それがいかに優れているのかをテーブルでしきりに講義するようになる。

パウエルも結婚したころからベジタリアンだったが、
ジョブズの手術後は、魚などのタンパク源を家族の食事に取り入れるようになった。
その結果、ベジタリアンだった息子のリードは熱烈な"雑食"主義者になったという。

皆、父親にとってさまざまなタンパク源が大事だとよく理解していた。

このころ、ジョブズの食事は、多才でおだやかな料理人、
ブライヤー・ブラウンに作ってもらうようになる。
アリス・ウォーターズの有名レストラン、
シェ・パニーズで働いたこともあるシェフだ。

毎日、午後になるとやってきて、パウエルが庭で育てたハーブや野菜を使って
壮観で健康的なディナーを作った。
にんじんサラダ、バジルパスタ、レモングラススープなど、
ジョブズが食べたいと思ったものがあれば、それがなんであろうと、
黙って根気よく作ってくれる。

ジョブズは昔から食べ物にはうるさく、
一口で至高か最悪かに分けてしまうことが多い。
ふつうの人には区別がつかないアボカド2個を食べて、
片方は史上最高のアボカド、もう片方は食えたものではないと評したこともある。
***

ニューヨークに行ったとき、ジョブズはニューヨークタイムズ紙の経営幹部50人とアジア料理のレストラン
「プラーナ」の、ワインが並ぶ個室でディナーをともにした
(ジョブズが注文したのはマンゴースムージーとシンプルな野菜パスタ。
どちらもメニューにはない品だ)。

***

プレゼンを終えたジョブズは元気で、妻とリード、そしてリードの友だちであるスタンフォード大学の学生ふたりとともに
フォーシーズンズホテルでランチを取った。
私も同席した。

いつもと違ったのは、彼が食べていたこと—
やはり、なんだかんだと料理に難癖はつけるのだが。
ジュースは搾りたてを頼んだのに瓶詰めじゃないかと3回も換えさせたし、
パスタプリマベーラも食えたものじゃないと一口でやめてしまった。

でも、私のクラブ・ルイ・サラダを半分横取りしたあと、
結局、ひとり分を頼んで全部食べたし、最後にアイスクリームも食べていた。
客の望みを徹底的にかなえようとするこのホテルは、
ジョブズの口に合うジュースさせもなんとか作ることに成功した。

***
午前の中途半端な時間に、ジョブズは、なにか食べたいと言い出した。
自分で運転できるほどの元気はなかったので、
私が車に乗せ、ショッピングモールのカフェまで連れて行く。
カフェは閉まっていたが、時間外にジョブズがノックするのはいつものことらしく、
主人はにこにこしながら我々を招き入れてくれた。

「僕を太らすんだって彼がうるさくてね」
とジョブズはご機嫌でオムレツを頼んだ。
良質なタンパク源として卵を食べろと医者に言われているからだ。
***

ケータリング会社が提案してきたメニューをドーアからもらうと、
小エビ、タラ、レンズ豆のサラダなどは派手すぎるとして
「ジョン、君らしくないよ」などと反対した。

クリームパイにトリュフチョコレートをあしらったデザートにはとくに強く反対したが、
これは、大統領の好物だとしてホワイトハウスの先発チームが異議を却下した。

すっかりやせてしまったジョブズはすぐに体が冷えてしまうからと、
ドーアがしっかり暖房を効かせたせいで、
ザッカーバーグが大汗をかくという一幕もあった。
***

「無理にでも食べてほしいと思い、家の中はすごい緊張に包まれていました」
毎日、午後になるとブライヤー・ブラウンが来ては
健康的な食事を用意してくれるが、
ジョブズは舌先をちょっとつけただけで食べられないとやめてしまうのだ。

ある夜、
「小さなパンプキンパイなら食べられるかもしれない」
そう、ジョブズがつぶやいた。
穏やかなブラウンは、たった1時間でおいしそうなパイを焼き上げる。
そのパイをジョブズは一口しか食べられなかったが、
それでも、ブラウンは震えが走るほどうれしかったという。

ウォルター・アイザックソン 井口耕二訳「スティーブ・ジョブズ」
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by foodscene | 2012-09-08 16:20 | ノンフィクション・アメリカ

スティーブ・ジョブズ

もう1冊、大学1年のジョブズに大きな影響―大きすぎる影響かもしれない―を与えた本がある。
フランシス・ムア・ラッペの『小さな惑星の緑の食卓ー現代人のライフ・スタイルを変える新食物読本』だ。
この本では、菜食主義が個人にも地球にも大きなメリットをもたらすと絶賛されていた。
「あのとき以来、僕は肉をほとんど口にしなくなった」だけでなく、
この本に影響され、浄化や断食、あるいはにんじんやリンゴなど、1~2種類の食べ物のみで
何週間も過ごすといった極端な食事をすることが増えていった。

ジョブズもコトケも、1年生のときにベジタリアンとなった。
「スティーブのほうが本気で取り組んでいました。
ローマンミール社の自然食系シリアルで暮らしていましたから」
ふたりは農協で、1週間分のシリアルや健康食品などを買い込んだ。

「スティーブはナツメヤシやアーモンドを箱で買っていました。
ジューサーを持っていたので、にんじんも大量に仕入れてジュースにしたり、
サラダにしたりして食べていました。
にんじんの食べすぎでスティーブの肌がオレンジ色になったという話がありますが、
ある程度は本当なのです」

20世紀初頭、栄養学の普及を熱狂的に推進したアーノルド・エーレットの
『無粘液食餌療法』を読んで、
ジョブズはますます極端な食事をするようになってゆく。
果物と、デンプンを含まない野菜しか食べないのが最善、
そうすれば有害な粘液ができないと信じ込んだのだ。

また、長期にわたる断食をときどきおこない、
体内を浄化すべきだとも考えた。
つまり、ローマンミールのシリアルもだめなら、お米もパンも穀類も、
牛乳もだめなのだ。
友だちにも、ベーグルを食べると粘液ができて危ないぞと言いはじめる。

ウォルター・アイザックソン 井口耕二訳「スティーブ・ジョブズ」
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by foodscene | 2012-09-08 15:42 | ノンフィクション・アメリカ

ハリウッド女優になったOL奮闘記

その週の土曜日、私は自慢のリンゴのスライスとクルミの入ったお手製のサラダと、
お気に入りのCD2枚を持参して、ビルの住むそのスペシャルな家を訪れた。

彼が言ったとおり、家はマリブを見下ろす丘の一番上に建てられていて、
とてもプライベートな環境にあった。
勝手口のドアが開いていたのでそこからなかへ入ると、
ビルはエビとパスタをからめた前菜を作りながら、
ラビオリをゆでるためのお湯を沸かしていた。

***
ビルのラビオリがそろそろ茹で上がるころを見計らって、
ダイニングへ戻ると、テーブルにはビルが庭から摘んできた黄色とオレンジのポピーが飾られていて、
私の持ってきたサラダがきれいなサラダボールに分けられて、テーブルに置かれていた。

海を眺めながら二人で昼食をとった。
ビルの選んだCDと私のお気に入りのエンヤとパトリシア・カースのCDから交互に流れる曲を聴きながら、
私たちは自分たちがそれぞれの曲にどのような思い出を抱いているかを語り合った。

食事が済むと、ビルは私の大好きなお茶、アールグレイを入れてくれた。
お茶菓子はペッパーリッジ・ファームのミラノ・クッキー。
お腹も満たされ、いい音楽のなかでマリブのきらきら光る海を見下ろしていると、
時が経つのを忘れてしまう。

クッキーを紅茶に浸して香りを染み込ませて、それを口に頬ばっていると、
ちょっと席をはずしたビルがコードレスホーンを持って戻ってきた。
「お母さんに電話をする時間だよ」

中村佐恵美著「ハリウッド女優になったOL奮闘記」
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by foodscene | 2012-08-06 15:19 | ノンフィクション・アメリカ

「Shall we ダンス?」アメリカを行く

ホテルのレストランでトルティーヤスープを飲む。
もしかしたらここで食べたこのスープが、アメリカでした食事の中で最高に美味しかったものの一つかもしれない。

***

さて、まったく土地勘のない二人で、
今夜の夕食はどうしようと途方に暮れていると、
渡邊さんから連絡があったので、食事の相談をすると
「御一緒しましょうか」と親切なお言葉。

その夜は渡邊さん御夫妻と「パパブロス」という地元で評判の、
まさに本場テキサスのステーキハウスに行った。
ショーケースの中は色々な種類の肉で溢れていて、
その中から好みのものを注文するのだが、
とにかく満席で、バーで待つお客さんも座るところがなくて皆立っている。
お酒を飲みながらの談論風発は滅茶苦茶楽しそうで、
日本のレストランでは考えられない賑やかさに圧倒された。

僕の選んだ約700グラムくらいのニューヨークカットステーキは、
厚さ8センチはあろうかという巨大サイズ。
付け合わせで選んだベイクドポテトも掌サイズで、
これ一つでお腹いっぱいという感じ。
それでもアメリカで食べたステーキの中では最高に美味しくて、
なんとか3分の2は食べました。
渡邊夫妻に感謝。

翌日の日曜はゆっくり11時まで寝て、
食事はルームサービスのトルティーヤスープと果物で済ませ、
自室でニューヨークからヒューストンまでの取材経過を整理する。

周防正行著「「Shall we ダンス?」アメリカを行く」
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by foodscene | 2012-06-21 15:03 | ノンフィクション・アメリカ

天才!

彼らはイタリアでは身体にいいオリーブオイルを使っていたが、
いまではラードで料理している。
イタリアで食べていたピザは、塩とオイルを使った薄いクラスト生地に、
例えばトマトやアンチョビー、オニオンを乗せていた。

だがアメリカでは、パン生地にソーセージやペパローニ、
サラミにハム、ときには卵を乗せている。
ビスコッティや、タラッリと呼ばれる故郷プーリアの代表的なパンは、
クリスマスやイースターのお菓子だった。
ところが、いまでは日常的に食べている。

典型的なロゼト住民の食生活を栄養士に調べさせたところ、
全カロリーのなんと41%が脂肪で摂取されていた。

***
ある夏などは、ネイティブ・アメリカンの保護特別保留地の円錐形のテントで暮らし、
政府が余剰品として放出したピーナッツバターとコーンミールで生きていた。
ネバダ州のヴァージニアに住んでいたこともある。

***
母親はいつも、朝食代
—ニディックスのスタンドでドーナツ3個、オレンジジュース、コーヒー1杯分として
10セント硬貨を渡した。

***

ラドローストリートにある妹の魚屋に出かけ、
ニシンをつけで分けてくれるように頼んだ。
そして、魚の入った樽を歩道にふたつ置き、
樽の間を飛び跳ね、ドイツ語で歌った。

油で揚げて
焼いて
調理して
食べてももちろんおいしい
ニシンはどんな料理にも
どんな階級の人にももってこい!

週の終わりには8ドルを売り上げた。
翌週は13ドル。

***
中国南部の人々の朝食は、
少なくとも食べる余裕のある家族の場合は、
レタスや魚のペースト、タケノコ入りの粥が定番である。
昼食も粥。
夕食は米に”トッピング”。
米は市場で売って生活必需品を買うものだ。
富や身分の尺度でもある。
彼らの労働は米にはじまり米に終わる。

マルコム・グラッドウェル著 勝間和代訳「天才!」
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by foodscene | 2012-05-15 15:39 | ノンフィクション・アメリカ

アメリカの男と女

食生活も変わった。
肉や卵やバターを食べる人は少なくなり、
菜食主義者がふえた。
朝食も昼食も食べない人もいる。

ニューヨークのパーティーでは、
どのくらい短時間の睡眠ですみ、どのくらい少量食べ、
どのくらいの距離を走れるか、が最も頻繁に話題になる。

広告会社ヤング&ルビカムのアートディレクターをしている
24歳のキャシー・クラウチは、毎朝5時半に起き、
セントラルパークに行って自転車を乗り回す。

それから10時間働き、退社後は泳ぎに行く。
夕食後には電車に乗ってバレーボールをやりに出かけ、
深夜まで練習をし、最後にまた泳ぐ。

それでいて、彼女の食事といえば、朝はシリアル、昼はヨーグルトとナッツ、
夜は野菜だけだというのだ。

戯曲家のジャンクロード・ヴァンイタリーは、
乳製品、肉、塩、砂糖、コーヒー、紅茶、酒を一切とらず、
朝食も食べない。
毎月1日、毎年1週間は絶食することにしているという。
そして、毎日ジョギング、重量挙げ、エアロビクス、ヨガをやっている。

この新しい傾向は「新ピューリタン主義」と呼ばれるようになった。

千葉敦子著「アメリカの男と女」
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by foodscene | 2012-05-10 15:01 | ノンフィクション・アメリカ

アメリカ居すわり一人旅 2

「日本では見たことがないのか(でもアメリカにはあるんだぞ)」
と、優越感を丸出しにした顔で、
「これはアーティチョークという野菜である」
と教えてくれた。
一枚一枚、そのつぼみみたいなものをひきはがし、
その裏についている部分を食べるのである、と、
食べ方まで実演してくれた。

私も真似して食べてみたが、
味はそら豆にそっくりだった。
「まだまだ世の中には、わけのわからぬ食べ物があるわい」
感心しながらアーティチョークを食べている間にも、
延々と三巨頭会談は続いていた。

***

かたつむりの殻から出て、今度はメトロポリタン美術館に行くことにした。
フィフィスアベニューをてくてく歩いていくと、
だんだんおなかがすいてきた。

しかし、パラムスとは違って、ニューヨークはちょっと歩けば、
なにかしら食べ物を売っているからまことに都合がいい。

ファーストフードの店に入り、
オニオンリングフライとコーラを買った。
その店には、白、黒、黄色、いろいろな人々がいろいろな格好をして
むしゃむしゃハンバーガーなんかを食べていた。
私はオニオンリングを食べながら外に出た。

***

カウンターのお兄ちゃんが大きなオーブンから焼きたてのピザを取り出して切り分け、
私に手渡してくれた。
今までこんなにおいしいピザを食べたことがなかった。
生まれてから今までに食べたものを全部ひっくるめて、
おいしいものベスト・スリーを作ってもそのなかにランキングされるくらいの味だった。

私はゲイのお兄ちゃんたちの不思議そうな視線を浴びながらピザをむしゃむしゃと
食べてしまった。
アメリカにはいろんな人がいるので楽しくなった。

もっとここでおのぼりさんをしたかったが、
今日のところはマジメにモーテルに帰ることにした。
物貰いのおじさんや金をせびる少年たちの間をひょいひょいとすり抜けながら、
ファーストフードの店で晩御飯のハンバーガーを買った。

***
そして部屋の隅にはものすごく大きい、
サンドウィッチと飲み物の自動販売機があった。
販売機の窓には、十種類くらいのサンドウィッチが縦に並んでいた。
赤いボタンを押すとグイーンと音がして、
その次に控えている野菜サンドやタマゴサンドが顔を出す、という
しくみなのであった。

私がそのばかでかい自動販売機のまえで何を食べようかと考えていると、
突然へんてこな男がすりよってきた。
そいつは腕を組んで、得意そうに胸を張りながら、
「こんな機械見たことないだろう」
などと、人を小馬鹿にするのである。

「日本にもある!」と反論すると、
今度は私を食堂のすみっこに連れていった。
コーヒーメーカーを示しながら、
「すごいだろう。これはここにカップをのせてボタンを押せば、
コーヒーが出てくる機械なんだよ。
夏は氷も出てくるし、
入れたければミルクだって出てくるんだ。
あ、ところでコーヒーって飲んだことある?」

***
彼女は、「ランチは食べたか」と、きいてきた。
私が首を横にふると彼女は勝手に自動販売機のボタンを押して、
ハムサンドを買い、コーヒーと一緒に手渡してくれた。
お金を払おうとすると、
「いいわよ。そんなの」
と、軽くいわれてしまい、結局、
おばさんにおごってもらってしまった。

***

「やっぱり若人はおひさまの下で、元気に動かなければいかん」
私はターキー・サンドウィッチとコーヒーが入った紙コップをもって、
駐車場に出てみた。

***
翌日、私たちはゾロゾロ連れだって、
車で十分くらい行った、ログ・ハウス風のカントリー・スタイルのレストランに入った。
「ここは夜になると、女の尻目当ての長距離トラックの運転手が集まるのよ。
私たちはランチしか食べにこないわ」
と、フランがいった。

ただ太い木をぶった切っただけのテーブルには、
アルミのバケツに入った、山のようなきゅうりのピクルスがドーンと置いてあった。
ドリー・パートンによく似たウェイトレスが注文を取りにきた。
メニューを見たら、ランチはバーガー・サンドだけだったので少しホッとした。
私は「ツナ・サンド」と大声でいうと、
ドリーちゃんは小声で復唱して手元のメモに書き込んだあと、
「フニャフニャ」と何事か私に聞いた。

注文したらそれですべて終ると思った私は、
「へ?」
といったまま、ボーッとしていた。
「パンはどれにするの?」
隣りに座っていたガハハのおばさんが、メニューを私に見せながらいった。
なるほどそこにはいろいろなパンの種類が書いてあって、
好きなのを選べ、と書いてある。
「ホール・ウィート」
発音に気を付けていうと、
ドリーちゃんはニコニコしながら引き下がっていった。

「ホール・ウィートは体にいいのよ」
おばさんは、私の選択にまんぞくそうにうなずいていった。
そして、ピクルスを備え付けの大型楊枝で刺して、
むりやり私に食べるようにいった。
「ピクルスも体にいいのよ」
私はあまりのすっぱさに背筋をゾクゾクさせながら、
大きなきゅうりのピクルスをボリボリ噛んだ。

長距離トラックの運ちゃん相手のせいか、
あっという間にツナ・サンドが運ばれてきた。
ところが発音に気をつけていったにもかかわらず、
パンは普通の白パンだった。

***
「時間もないし、今日は我慢してそれを食べろ」
といった。
私も「白」だろうが「ホール・ウィート」だろうが、
特に思い入れはなかったので、
「はいはい」とおとなしくそれを食べた。
パンが破れんばかりにツナが入っていて、
さすがの私もお腹がいっぱいになった。

***

おばさんは毎朝元気にホテルに迎えに来た。
そして必ず、
「昨日の夜は何を食べたの」
ときいた。
その頃私はホテルの高くてまずい名ばかりのディナーにも飽き、
例のスーパーマーケットで適当にサラダやパンを買って簡単にすませていた。
腹が一杯になれば何でもいいという気分だった。

野菜不足になってはいけないと、
サラダ用のミニ人参にドレッシングをかけ、
テレビを見ながらボリボリ食べたこともたびたびあった。
正直に話すと何かいわれるに決まっているから、
適当にごまかすと、
「ちゃんと食べないと、大きくなれない」
などという。

***
「さあ、たくさん食べなさい。
話によるとろくなものを食べてないようだから。
ジャンク・フードばっかり食べてちゃだめよ」

彼女はそういって、ガラス・ボールに山のように盛られたレタスのサラダを
でっかい木のフォークとスプーンで引っ掻き回しはじめた。
サラダを食べようとすると誰かの視線を感じた。

***

サラダにはオリーブ・オイルがたっぷりとかかっていて、
サラダを半分しか食べていないのにおなかが一杯になってきた。
それをおばさんは目ざとくみつけ、
「おなかが一杯になったのね」
とつぶやいたかと思うと、突然らくだの肩を掴み、
「あんたがこの子にたくさんジンジャーエールを飲ませるからよ」
とギャンギャン文句をいった。

***
「少し休めば食べられそうだから」というとおばさんは、
そこで体操でもしろなどという。
別に大食い大会をやっているわけでもないのに
面倒臭かったが、せっかく作ってくれたものを食べられないというのでは悪いので、
私はラジオ体操第一をやって腹ごなしにつとめた。

***

サラダのほかはパンケーキにチキンの焼いたのと、
ポテトとグリーン・ピースの煮たものがつけあわせになっていた。
犬たちはチキンを貰って喜んでいた。

***

近くの庶民的なレストランのすみっこで、
私とおばさんとらくだの三人はささやかな晩御飯を食べた。
いつも小さい肉とポテトとサラダ程度のものだった。

***

「帰ってきた日の晩御飯は牡蠣を入れた炊き込み御飯に決めてあります」
と食べ物で日本への郷愁を誘おうと小細工をしている。

群ようこ著「アメリカ居すわり一人旅」
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by foodscene | 2012-05-07 14:14 | ノンフィクション・アメリカ

アメリカ居すわり一人旅 1

オンボロワーゲンをバスバスいわせて到着したのは、
実家の近所の「来々軒」そっくりの小さな店だった。
デコラのテーブルが7つに汚ない丸イス。

スーツ姿のウエイターではなく、
黒ブチ眼鏡に白いうわっぱりの中国人のおじちゃんが、
メモ片手に注文をとりにきた。
私たちが席についてからとたんに混みはじめ、
店の外にはずらーっと人の列ができた。

アルミの楕円のお皿に山のように料理が盛られて、
テーブルの上に登場した。
そのうちのひとつには、今までみたことがないでかい菜っぱが、
ぎとぎとの油のなかで、ちゃぽちゃぽ泳いでいた。

「おばちゃん、私、この菜っぱ食べたことがない」
私は感動してこの菜っぱを食べた。
油のなかにどっぷりつかっているのに、全然しつこくない。

私は日本に帰って何年かのち、この菜っぱがチンゲン菜だったことを知った。
次はエビが山のようにでてきた。
モーテルのザリガニとは違い、ちゃんとおいしいエビの味がした。

我を忘れてむさぼりくっていると、どうも視線を感じる。
ふと横をみると、家族連れが私が箸を使うのをじーっと見ている。
よくわかるように、ぱかぱかと動かしてみせると彼らは大きくうなずき、
手にしていたフォークを捨てて、おじちゃんに箸を持ってこさせた。

その中華料理店は大正解だった。
特に魚介類はおいしく、最後に大きな焼きハマグリが、お皿に山になって登場したときには、
あまりのうれしさで失神しそうになった。

登場した料理をすべてたいらげ、しばしのけぞっているかたわらで、
隣りの家族は指をひきつらせながら、箸をつかうのに一生懸命だった。
魚を少しずつ口にはこんでいたが、
つまむというよりも身をほじくり出しているといったほうがよかった。

***

実は彼らは食べおわった皿をかたづけたり、ジャスミン・ティーをつぐために
にじりよってきたのであった。
しかし、オレンジ色のスーツを来た無表情の男たちにかこまれ、
食べおわるはしから手をのばして皿をさげられたら、
ゆっくり味わってもいられない。

味はどれもこれもケチャップの味がして異常に甘い。
エビのチリソースのなかに、
輪切りになったパイナップルが入っているのにはたまげた。
客がいないのもわかったような気がした。

***
ここは一発、
「ポテト!!」
のひとことで、バッチリ決めてやろうと待っていた。ところが、
「イレブン」
と番号を呼ばれ、
「ポテト!! ハーフポンド!」
と叫んでも、全然通じない。
私が目をつりあげて、
「ポテト、ポテト」
とわめいても、係のお兄ちゃんは、
「イレブン、イレブン!イレブンは何をしている」
と、あらぬ方を見て少し怒っている。

「わーん、どうしよう」
とうろたえていると、突然まわりから、
「ポテト!ハーフポンド!」
という大声がした。
私がうろたえているのを見ていたまわりの奥さんたちが、
すかさず私のまわりに注文してくれたのだ。
おかげさまで、私は無事に半ポンドのポテトサラダを手にすることができた。

「どうも、どうも。
みなさん、サンキューベリマッチ」
私は頼みもしないのに助け舟を出してくれた、
体格のいい奥さん方にペコペコ頭をさげた。
みんなニコニコ笑って、いいのいいのというふうに、手を振ってくれた。
「この町の人は、いい人ばっかりだ」
私は気分がよくなり、パンとジンジャーエールを買って外にでた。

***

部屋にもどって、むさぼるようにしてパンとポテトサラダを食べた。
今後の食生活があやぶまれるような味であった。
「まず、食べ物をなんとかせねばならんなあ」

***

あたりは薄暗くなってきた。
私はあわてて夕食用にクレープ屋で安売りしていた箱入りのクレープを買って帰った。

また忍者小走りスタイルでロビーをかけぬけ、
部屋に戻ってクレープの箱を開けた。
中からは、これまた今までみたことがないクレープが顔をだした。

ふつうクレープというのは黄色くふんわりしたものだが、
それは色が黄色とモスグリーンのだんだらになっていた。
そのうえ粉砂糖が雪のようにふりかけてあって、
不気味な様相を呈していた。
「そうだ、人生はトライだ!」
ここにきて、食事をするたびに、何度となくこの言葉をつぶやいたような気がする。

私は少し時間がたってぺったりしているクレープにガブリとかみついた。
口の中でもぐもぐやっても味がしない。
もう一口、今度はモスグリーンの部分にかみついた。
ところが口にいれたとたんものすごい味。
ゲーッとなったままよくそのクレープの正体をみると、
中にホウレン草のきざんだのが入っているではないか。
それもこのあいだのサラダと同じようにアクぬきをしていないらしく、
舌がじんじんしてきた。

「アメリカ人はどういう味覚をしているのだ」
クレープの中には、クリームとかジャムをいれるものである。
野菜だってなんでもかんでもいれていいわけがない。
それなのに堂々とアクぬきすらしていないザク切りの生のホウレン草を入れ、
きれいにたたんで上に砂糖をふりかける神経は理解できなかった。
あの店で残っていたところをみると、
地元のみなさん方にも受け入れられない代物だったのかもしれない。

衝動買いのおかげで夕食にあぶれた私は、
自動販売機でチョコ・バーとジンジャーエールを買って
ごはんのかわりにした。
物があふれている国に来たにしては、
相当ひどい食生活であった。

***

そうこうしているうちに、テーブルの上にはステーキと、
ベークドポテト、サラダが運ばれてきた。

「落ち着け、落ち着け」
とつぶやきながら、料理に手をつけた。
まずステーキを切った。
うまくいった。

フォークに刺して口に入れようとしたら、
もうちょっとのところでボロっと下に落ちた。

群ようこ著「アメリカ居すわり一人旅」
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by foodscene | 2012-04-23 13:41 | ノンフィクション・アメリカ

アメリカ居すわり一人旅

レストランでの注文は多少なりとも自信があった。
NHKのテレビ英語会話で一緒に唱和してお勉強したからである。

美人のウェイトレスのお姉さんに
まずグリーンサラダを注文した。
次はアメリカの肉はひどくまずいときいていたので肉は避けて
エビ料理にした。
メニューの細かい部分は全然わからないので
「シュリンプなんとか」というその中で一番安いのにしておいた。

15分くらいしてまずグリーンサラダが登場した。
文字どおりグリーンサラダであった。
直径25センチくらいのボウルに生のホウレン草がどわーっと山盛りになっていて、
申し訳ていどの色どりにユデ卵の輪切りがのっっかっているだけ。
ホウレン草を生で食べたことなんかなかった私は胸に一抹の不安をのこしつつ
口の中に入れた。

「ぐぐぐ」。思わず吐き出しそうになった。
エグイというかニガイというか、
ホウレン草のアクが全然ぬけていないのだ。
だんだん口の中がしびれてきて感覚がなくなってきた。

途方にくれているところへタイミングよくウエイトレスが
またお皿をもってきた。
「よし、これで口直しすればいいんだ」とナイフとフォークを手に持って、
さあ喰わんと皿の上を見て仰天。

半透明の小石が敷きつめられてその上にスシネタのように広げられたエビが
放射状に20匹ほど並べられ、
中央にはとかしバターの入ったガラスの器が置いてある。
たったそれだけ。

しかもエビはその小石の上でプスプスと音をたてている。
私は西洋料理のバターとかホワイトソースのたぐいがひとくニガ手なので、
もちろんとかしバターなんか見ただけでオエッとなってしまうのだ。
しかしこれを食べないと晩ごはんぬきになってしまう。
そんなことは耐えられない。

「そうだ!人生はトライだ!」と我が身をふるいたたせ
エビにフォークをつきさした。
するとその小石がゾロッと身にはりついてくる。
エビのニギリの御飯部分が小石になっていると思っていただければよろしい。
必死にひきはがそうとするとエビのほうがグチャグチャになってしまうのだった。

仕方なくそれをそのままドボッととかしバターにつけ、
口の中でかんでみるとその異様なボリボリッという音とともに
ものすごい味がした。

「びえー。しょっぱい!」。
小石だと思ったのは岩塩であった。
生まれてはじめて岩塩をかじった口の中は先ほどのにがさと相俟って
もうシワシワになっていた。
しかしあとエビは19匹も残っている。

しかしこれは岩塩のエビ寿司である。
残すのはもったいないし、どうやって食べてやろうかと悩んでいると、
そこの店のオーナーがやってきて、
私が日本人ではじめてのお客だとか何とかいいながら挨拶するのであった。
「はあ、もう全くベリーグッドで…」と泣き笑いの表情でお答えした。

彼が立ち去ってからはもう恥も外聞もなく
エビを皿の上に横たえ、ナイフでゴシゴシしごいて岩塩をこそげとり、
何もつけないで口の中に放りこんだ。
またこのエビが異常に泥くさくてマズい。
経費節約のため、お姉ちゃんが近くの川でザリガニを取ってきて、
それを出しているのではないかと思った。

味わってなんかいられず、ただのみこむだけ。
岩塩のエビ寿司はどうにかこうにかクリアしたが、
ホウレン草だけは全くダメだった。

残るはデザートである。
これは前代未聞のものが出てくるわけがないので
余裕でカスタードクリームパイを注文した。

「ああ、もう本当にこれで口直しをしよう」とくたびれた体にムチうち、
デザートの登場を待った。
きた。
待ちわびたカスタードクリームパイがきた。

3度目の仰天。
これがまたでかいのなんの、直径15センチ、高さ7センチ、
一番上にベトーッとチョコレートシロップがかけてあり、
おまけにその横には高さ10センチでホイップクリームが堂々ととぐろをまいている。
見ただけで胸がいっぱいになった。
皿の上が満艦飾なのである。

おそるおそる一口食べると
全体がチクロでできているのではないかと思われるほど甘ったるい。
楽しみにしていたアメリカ初日の晩ごはんは「にがい、しょっぱい、あまい」の
恐怖の3段責めだった。

私はしびれた舌をべろべろしながら部屋に戻った。
ドッと疲れてしまった。

******
レストランに入っていくと、
きのう岩塩のエビ寿司を運んでくれたお姉さんが、
ニコニコしながら席に案内してくれた。

おそるおそるメニューを開くと、そこにはブレックファーストA・B・Cという
3パターンしかなくてホッとした。
安心してポテト入りオムレツのBセットを注文した。

運ばれてきたBセットは本当においしかった。
トーストもオムレツもオレンジジュースもコーヒーも
みーんなおいしい。

私はドンドンとテーブルを叩き、
「そうなのよ!こういうもんが、晩ごはんに出てきてほしいのよ」
といいたくなった。
別段、私は晩ごはんにフルコースを食べたいわけじゃない。
質素でもいいからおいしければよいのである。

あんなクソまずい、ザリガニと、とぐろケーキを7ドル50セントも払って食べるくらいなら、
2ドルのこの朝食が三度三度でてきたほうが、ずっとマシである。

私がトーストやオムレツをむさぼり喰っていると、
レストランのウエイターやウエイトレスがかわりばんこに、
コーヒーはいらないか、とすすめに来た。

ずいぶんいれかわりたちかわり来るなあと、
そーっと背のびして厨房のほうをのぞいてみると、
みんなで固まってごそごそやっていた。
そして「よし、次はおまえ、行け」というふうに
1人がポットを持たせ、背中をドンと押して私のところへ行けと命じているのであった。

彼らは私がきれいにたいらげたお皿を見てうんうんとうなずき、
満足そうであった。
そしてポットを指でさし示し、もう1杯どうか、とたずねるのである。
NHK英語会話でいってたとおりであった。

私はあの人ののすすめはうけ、この人のすすめを拒否しては悪いと思って、
最後のほうはミルクやダイエットシュガーを山ほど入れて5杯もコーヒーを飲んでしまった。
腹の中の3分の2はコーヒーみたいだった。
店を出るとき彼らはバイバーイと手を振ってくれた。
「こりゃあ、朝から調子いいぞ」
と気分がよくなってきた。

群ようこ著「アメリカ居すわり一人旅」
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by foodscene | 2012-03-08 15:59 | ノンフィクション・アメリカ