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みしな

おっかなくてゴッツイソ連、そして豊満で素朴なロシアが、
バイカル号の上だけにでも、いやというほど溢れかえっているのだ。

食べものにしたって、深皿をたっぷりと満たした熱いボルシチ(野菜スープ)ときたら、
まさに母なる大地から湯気を立てて湧き出したように、
自然の恵みにみちみちた豊かな味わいだが、
その感動が食後のコーヒーについてきた角砂糖との悪戦苦闘でみじめにしぼんでいく。
角砂糖というより、それはブルドーザーで砕いた火山岩だとしか思えないゴッツイ灰色の小塊で、いくらかきまわしてもビクとも溶けはしないのである。

(桐島洋子著「女がはばたくとき」より)
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by foodscene | 2008-04-29 03:44 | ロシア

シズル感演出

スペイン広場に戻ると、道端で売っている焼栗のにおいがして、
キューンとお腹が空いてきた。
一袋買いポケットに入れると懐炉がわりになってホカホカとあたたかい。
一粒一粒出してはゆっくりと食べながら、しゃれたショウ・ウィンドーを覗いて歩く。
どの店もウィンドー・ディスプレイが実に良い。
いちいち店の中に入ってあれこれいじくりまわさなくてもウィンドーを一通り見較べれば
買物の心が決まるほど、商品展示が効果的なのだ。

ローマに溢れる偉大な歴史的遺産のエネルギッシュな創造者達と、
現在の頼りないほどのどかなイタリア人達とが本当に同じ人種なのだろうかと
思うことが多いのだが、少なくともこの装飾的センスの鋭さ華やかさだけには、
古今に通じる血と伝統を実感することができる。

もう一つのきわめて盛大に食欲的な胃袋も古代ローマ帝国以来、
衰えを見せてはいないようである。

スパゲッティーといえば、
日本では普通それだけで一食を済ますものだが、イタリアでは食事の第一段階としての
スープがわりにすぎない。
山のようなスパゲッティーをペロリと平らげてから舌なめずりして再びメニューを広げ、
次なるメイン・コースの料理を選び、そのかたわらもりもりパンをかじり
ワインをあおるイタリア人の前では、
いつも大食を自認する私も小兎のようにしょぼくれてしまう。

こんなに重い食事と食事の間でも、彼等はさっさとお腹を空かせて、
ピザやサンドイッチやケーキの店に群がるのである。
そういう軽食スタンドが、貧乏旅行者にとっては絶好の補給基地になる。
わけのわからないメニューに頭をひねらなくても、ガラス・ケースの中身をながめて
「これとこれ」と指さして、そこに明示された嬉しくなるほどささやかな金額を引き換えに支払えばよいのだから、きわめて気楽で安全確実で、しかもヘンに気取ったレストランより素朴なイタリアの味を愉しめる。

(桐島洋子著「女がはばたくとき」より)
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by foodscene | 2008-04-29 03:39 | イタリア

アーミー

コンバット・レーションと呼ばれるその携帯食には、いろいろと種類があって、
箱にメニューが印刷されている。
私は「ビーフ・アンド・ヴェジタブル・シチュー」というのを選んで、
私の”茶の間”に持ち帰った。

まず空き缶に穴をあけて七輪状のものを作り、
レーション箱の中に入っている固形燃料を安置して火をつけると、
すぐさま青白い炎をあげてチロチロと燃えはじめた。

次にビーフ・アンド・ヴェジタブル・シチューの缶をあけ、
そのまま火にかけてあたためる。
レーション箱の中には、他にクラッカーとチーズ、それからインスタント・コーヒーと砂糖も
詰めあわされている。
それぞれチョコマカと炒ったり溶かしたりしていると、
昔のおままごと遊びが甦った思いで、自分が属する状況の危険さはいよいよ私の意識から遠のいていく。

夕食を終えることにはようやく涼風がたって、みなほっとした表情で寛ぎ、
方々の草の上におしゃべりの輪を作りはじめた。

(桐島洋子著「女がはばたくとき」より)
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by foodscene | 2008-04-29 03:30 | ヴェトナム

ミスティ

ドライブの途中立ち寄った田舎町で
「大衆食堂」という看板の出た料理屋に飛びこみ、簡単な昼食を注文したのだったが、
畳一帖大のテーブルいっぱいに無虜数十枚の小皿が並び、その一つ一つに
違う料理が盛りつけられているのである。

到底四人ぐらいで食べきれる量ではない。
これとまったく同じような驚きを味わったことがあるのもギリシャだった。

やはり田舎町の居酒屋でウズという強烈な地酒を飲みながら肴を注文したら、
直径15センチぐらいの小皿が3、40枚あれよあれよというまに運ばれて来て、
テーブル狭しと溢れかえったのである。

こういうのをギリシャ語でメゼス(Mezzes)と呼ぶと知らされて、
同行のアメリカ人が、
なるほどこれがメスの語源かと叫んで大笑いになった。

まさしくそれは偉大なる混乱ともいうべき複雑怪奇な大ごちそうだった。
ギリシャのMezzesも安かったと思うが、
韓国の”メゼス”ときたら、このテーブルに若い女性二人がつききりにはべって
魚の肉までほぐして口に運んでくれても勘定書きの人数割りはわずか250円だった。

材料代としてさえ心許なく思われるこのささやかな金額の中から、
あのおびただしい品数を作りもてなし、
それから皿を洗うその労力までをまかなうのである。
どんなに人間の値段が安いかを、いたましく思い知らされる。

人間の値段が安いのは悲しいが、食物の値段も安いのがせめてもの救いである。
白米は贅沢だから粟を炊き込むべしというような規制がいくらかはあるようだが、
魚や野菜は豊富にとれるらしい。
ともかく彼等はよく食べる。
出会いの挨拶は天候の良否ではなく、
「飯を喰いましたか」なのだ。

(桐島洋子著「よきものとの出逢い—旅」より)
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by foodscene | 2008-04-29 03:25 | 韓国

Weinachten

常夏の陽光が輝くフロリダ州でも、深い雪に埋もれる極寒のメイン州でも
一歩家の中に入ればクリスマスの光景に変わりはない。

居間の正面に据えられたクリスマスツリーの根元にうずたかく積み上げられた色とりどりの
クリスマスプレゼントの包み。
棚や暖炉の上に所狭しと並べるか、千羽鶴のように糸で連ねて壁に懸けてある、
おびただしいクリスマスカード、
久しぶりの出番を待つ父祖伝来の銀器の輝き。

そして台所からは、一家をあげて立ち働くあわただしい気配と、
七面鳥かあひるをオーヴンでゆっくりとローストする匂いが漂ってくる。
それが見事な狐色に焼き上がったところで、
家族打ち揃ったクリスマスディナーが始まる。
生花の剣山のように釘を植えてあるまな板にグサッと固定したローストチキンに向かって
家長が仁王立ちになり、剣をふるう騎士のような凛々しさで肉を切りわける。

ターキーは肉の味もさることながら、ドレッシングという腹の詰め物が最も重要なのだ。
鳥の内臓を刻んだものをパンやライスと和え、野菜や栗や干しぶどうなども加え、
さまざまな香料をきかせたドレッシングの味に、
家々の歴史や個性がじっくりと滲みこんでいる。
いわばアメリカにおける"おふくろの味”を代表するのがクリスマスディナーにおける
七面鳥のドレッシングなのである。

ほかにパイナップルソースで食べる熱いハムの厚切りや、ホットブランデーソースをかけた
クリスマスプディング、それから日本の甘酒に相当するエッグノッグも、
なつかしいクリスマスの味である。

(桐島洋子著「あめりか物語」より)
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by foodscene | 2008-04-29 03:14 | ノンフィクション・アメリカ

あめりか物語 

さあそろそろ食事どき。
はじめの一回ぐらいは私がハンバーガーでもオゴるのが礼儀だろうなと思って
沿道のドライブ・インを物色していたら、
車がスルスルッと横道に入って店もなにもない野原に停った。
見ると木陰にピクニック・テーブルが並んでいる。

すると、それまで助手席に静かに座っていた女性が急にキビキビと立ち上がり、
車のトランクから大きなバスケットを持ち出したと思ったら、
たちまちピクニック・テーブルにはテーブル・クロースがかけられ、
紙ナプキンとナイフにフォーク、それにコップと皿が並べられてしまったではないか。

そのあまりに本格的なテーブル・セッティングに気を呑まれている私の目の前に、
いよいよ白昼夢のような大ごちそうが続々と現れたのである。

オードブルはなんとキャビアとアーティチョークで、
メイン・ディッシュは堂々たるロースト・ターキー、
デザートは本場のフランス製生チーズと、こうきちゃう。

こんなぜいたくなごちそうにアメリカでよもやお目にかかることがあろうとは思わなかったが、
それがよりにもよって貧乏ドライブの野外食なのだから、私はただ茫然。
予想外の高級車といい、この大美食といい、なんだか開けゴマの大盗賊にでもなったような心持ちなのだ。

(桐島洋子著「あめりか物語」より)
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by foodscene | 2008-04-29 03:14 | ノンフィクション・アメリカ

love、NY

私の気に入っていたベーグル屋は、アパートの真前の明るく小ぎれいな店だ。
そこのプレーンベーグルに、ロックスと呼ばれるサーモンを練り込んだピンク色のクリームチーズをたっぷりつけて食べたときには、こんなおいしいものが世の中にあろうかと思った。

「ジャイロ」や「スヴラキ」も、旧ソ連からの移民が屋台を出して売っている。
これらはもともとギリシャ料理で、大学の前に店を出しているウズベキスタン人は、
ギリシャ系の移民から権利を買い取ったと言った。
マンハッタンの屋台はそのように、金をためた移民から新参者へと引き継がれていく。

※ジャイロ:ラム肉のパテをレタスや玉ネギなどの野菜と一緒にはさんだサンドイッチ。
              くせがなく、羊肉が苦手でもおいしく食べられる。
※スヴラキ:ビーフのサンドイッチ。


私も、気が向くとときどきスープなどを作って食べた。
洋風と和風のレパートリーがあって、洋風の代表は「日独伊三国スープ」、和風は「日韓友好おじや」と名付けていた。
「日独伊」の方は、じゃがいも、にんじん、玉ねぎ、セロリ、ズッキーニを細かめに切って、オリーブオイルで炒め、熟れた生のトマトとブイヨンをベースに煮込み、チリソースを加えてできあがり。
実は、ローリエの葉とともに梅干しを入れて煮てあって、これがなんとも絶妙の隠し味になっている。
「日韓」の方は、昆布と貝柱の干物でだしを取って作った水炊きの残りに、味噌、ご飯、餅、キムチを加えてバージョンアップしたもの。
これにも梅干しが潜んでいて、キムチを陰で支えているのである。

ニューヨーク生活ですっかり気に入ってしまった飲み物がある。
勝手に「発泡水」と名付けている、ペットボトル入のスパークリングウォーター、つまりはペリエのようなものだ。
酒は飲めないが、甘い飲み物も嫌いなので、私の選択肢は限られる。
これをボトルごと机の上に置いて、勉強の合間に飲むとすっきりする。
味はまったくないが、天然の炭酸が効いている。
ラズベリーやライムでほのかにフレーバーがついている種類が好みだ。

(久和ひとみ著「ニューヨークで見つけた!新しい私」)
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by foodscene | 2008-04-17 23:00 | ノンフィクション・アメリカ

そこまで楽しみか!

「スーパーボール・パーティーはバッファローウィングとビールって相場が決まってるから、準備が楽なのよ」
 と、奥さん。お正月には雑煮よね、というノリと一緒で、ひたすら手をベタベタにしてバッファローウィングと呼ばれるスパイシーなフライドチキンや、チリビーンズを頬ばりながら観戦するのが正しいらしい。


滝に打たれすっかりジャマイカン・モードが整ったところで、メシである。RUN AWAY BEACHと呼ばれる静かで美しい浜辺で一人、日なたぼっこをしてた兄さんに、
「うまいものはないか?」
 とたずねたら、
「そりゃあもう、ジャークチキンを食うっきゃないやろ」
 と言われ、教えてもらったJERK CENTERなる場所へ向かう。パラソルをさしただけのバーで、地元民がビールを飲んでいた。
「ジャークチキンが食べたいのだが......」
 と言うと「ここでお金を支払ってから、向こうの小屋でチキンを受けとってね」と、親切なお姉さんが引き換え券と地ビールのRED STRIPEをくれた。消毒薬のビンみたいなレッド・ストライプはぬるいし薄いしで飲めた代物ではないのだが、ノー・プロブレムである。
もう一つの小屋ではチキンやポークが炭火でいぶされ、スモーク状になっていた。
これを、この道三十年の親父さんが、細かく包丁で砕き、ジャマイカ名物ジャークソースでからめたのち、ホイッと、皿に盛ってくれる。
パリッと香ばしいチキンの皮と、旨味をがっちり閉じこめた肉に、さまざまな野菜と唐がらしが絶妙にブレンドされたスパイシーなソースが見事に加わって、これはもう日本人なら絶対OK—極上の味わいなのであった。
つけあわせのCALALLODと呼ばれる野菜も、なんだかほうれん草のようでなつかしく、私はすっかり虜となったのである。

(長野智子著「普段着のニューヨーク」)
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by foodscene | 2008-04-17 22:37 | ノンフィクション・アメリカ