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近藤氏のすすめ

7.読書について

新聞と違って何100ページもの大著となると、
内容に興味がわかなければとうてい読破できないので、
なるべく面白そうな本を選ぶのがコツである。

たとえば、アガサ・クリスティのものは、
犯人探しの意外さに加えて、きわめて平易で、しかも洗練された英語という点で
第一級の教科書といえる。

イアン・フレミングも、アマチュア作家らしく、ジェームス・ボンドの活躍とあいまって読みやすいが、
同じスパイ小説でもプロのジョン・ル・カレとなるときわめて難解で、
凝った難しさを楽しむ英国人一流の知的ゲームと心得て取り組む必要があり、
私にとってはむしろ睡眠剤的効果のほうが強い。
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by foodscene | 2008-10-27 01:20 | 学習

German

「ウロコが落ちてから」  池内紀

ひととおり文法を終え、2、3の読本などを読みあげたある日、
おそるおそるトーマス・マンの『魔の山』をひらいて読みはじめた。
ぐんぐんひきずられてやめられない。
辞書をひきひきのおぼつかないはじまりが、やがていつしか、のめり込んだ。

知らない単語ずくめで細部はどんどんとばしていくのに、
おもしろくてたまらない。
何がどうと、はっきりいえないにもかかわらず、これがドイツ語で書かれた大文学であることは
よくわかった。
まるで言葉で建てられた大伽藍をへめぐっている。
見上げると壮大な天蓋があり、辺りにどこから射し落ちるともしれない薄明かりが
みなぎっている—。

ふと顔を上げて窓から外を見ると—
当時、私は東京・雑司ヶ谷の安アパートにいたのだがー目の下に隣家のちっぽけな庭があった。
老主人が丹精こめて世話をしている盆栽が並んでいた。
その向こうには貧相な木造二階建て、さらに無秩序に重なり合った、
安普請の屋根の波がつづいている。

目を活字にもどしたとたん、まるきり別の風景が立ちあらわれた。
白一色のサナトリウムと、
幾何学状に区分された部屋の並び。
遠くに石の町が幻のように浮いていた。
石のかたまりのただ中から矢のように突き出た塔とドーム。

2週間目、憑きものに憑かれたようにして700ページあまりを読み終えた。
目からウロコが落ちたような気がした。
ドイツ語の特性なり性格なりが、目の前で絵解きされたように思った。
土を掘り下げ、石で埋め、整然とした平面上に何か結晶のような言葉の建築物を
建てつらねていく。

盆栽の美学とは、およそ異質のものであって、
そこには思想を実感させる構造の力といったものがつらぬいている。

いま振り返ると苦笑を禁じえない明察だが、10代終わりの私は、
なぜ人間が遊んでばかりいないで「仕事」をしなければならないのか、
ハタとわかったような気がした。
とともに、どうして自分がヨーロッパにあこがれるのか、
おぼろげながら呑み込めた。
(略)
ドイツ語独特の造語能力に目をみはった。
再帰動詞という厄介なものが、いかにこの言葉に意味深い陰影を与えているかを了解した。
直接法に加えて接続法というヘンテコな文法体系が、人間の生理そのものに対応して、
ドイツ語という一言語の生命体にひとしいことを感じとった。
(略)
目からウロコが落ちて以来、私のドイツ語に対する態度は、
いささかマジメさを欠くようになったようだ。

ドイツ語というと決まって連想が及ぶところの「哲学」や「真理」に、
すこぶる冷淡であり、世界観とか人生の疑問とかに結びついた考え方をしようともしない。
言葉はおのずから、その書き手なり語り手の知的体系をつたえるものながら、
私にはむしろ、その表現なり構造が美的な満足を与える対象であるかぎり魅力があった。

レトリックや詭弁といった、つね日頃、警戒の目で見られるものが、
名人芸の軽わざのように私をたのしませた。

そのようなドイツ語の読み手にとって、ゲーテの散文のおおかたは、
冗長なおしゃべりの愚作だった。
シラーの戯曲は紋切型辞典にとどまった。
当時、学生の必読書めいていたリルケの『マルテの手記』は、思い入れたっぷりの
稚拙な作文集であり、ヘルマン・ヘッセは開くたびにアクビが出た。
(略)
逆に、たとえばフロイトの『夢判断』が、優れた推理小説のようにたのしめた。
他人の意識下に忍び入って、そこで演じられたひそかな犯罪にたちいるに際し、
この精神分析家は入念に言葉の網の目でたしかめながら、
読者にそれを提示するにあたり、
最後の一点は慎重に伏せていた。
あるいは何くわぬ顔で、ぼかしておく。
新しい学問の名において明るみに引き出しながら、
時代のモラルをはばかって、とどのつまりは示さない。

そういえば私がカフカやカール・クラウス、ヨーゼフ・ロート、
あるいはフロイトといったユダヤ系の人々に親しんできたというのも、
何よりも言葉の操作に自分と同質の傾向を嗅ぎとってのことかもしれない。
彼らドイツ語圏の部外者こそ、言葉というものの複雑な生命を、
とことん利用しつくした者たちだった。
(略)
このような自分とドイツ語との「関係」はへんなものかもしれないが、
私自身、それがまちがっていたとは思わない。

それにドイツ語に親しまなかったら、
私のようなナマケモノは学ぶべきものすら学ばなかったし、
それに今よりももっと孤独だったにちがいない。
私は日本語で得た友人よりも、
ずっと多くの友人や人生の連れを、ドイツ語の書物によって得た。
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by foodscene | 2008-10-27 01:16 | 学習

feel like crying?

明日香はいつものように柚子胡椒の小瓶を持ってやって来た。
彼女はどんな料理にでもこの薬味を使う。
刺し身にもさつま揚げにもステーキにも山葵や生姜のかわりにこれをつけて食べるのだ。

「九州に来て唯一の収穫は、この柚子胡椒かな」
と言っている。
たしかに柚子の香気と酸味が独特のこの芥子は、亜紀も気に入っているが、
揚げたての天ぷらにもたっぷり塗って食べる明日香を見ていると、
この子はほんとに変わっているなあ、とつくづく感心させられてしまう。

華味鶏の天ぷらは美味だった。
それ以上にアジの叩きは口の中で甘くとろけるようで、
明日香も何度も「美味しいね」を繰り返していた。

食事のあと、グリコのコーヒーゼリーを食べながら
2人でとりとめのない話をする。

(白石一文著「私という運命について」より)
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by foodscene | 2008-10-24 23:37 | 日本

かしわのカレー煮

今夜は純平の好きな天ぷらにするつもりだ。
それに、スーパーで活きのいいアジを見つけたので一包み買ってきた。
3尾はさっそく3枚に下ろし、丁寧に小骨を抜いて叩きにした。
刻み生姜と博多ネギ、ミョウガをたっぷり混ぜ込んで3つの小鉢に盛りつけると
ラップをかけて冷蔵庫にしまう。
残りの4尾は頭を取ってヒレとぜいごを始末すると冷凍した。
明日にでも今日の残り油で揚げて南蛮漬けを作るつもりだった。

福岡に来て、亜紀はその魚種の多彩さと新鮮さ、値段の安さにある種の感動すら
覚えたほどだ。
天然物の鯛やヒラメ、ブリやイサキが東京の半値以下でどこのスーパーの鮮魚売り場にも
並んでいた。
こちらでの一番の高級魚はチヌと呼ばれる黒鯛だったが、
それでも1尾で3000円程度のものだ。
かねて1尾まるごと買って料理してみたいと思っていたので、
純平と付き合うようになってさっそく実行した。

刺し身、天ぷら、酢の物、兜煮、鯛汁に鯛飯とチヌ尽くしの手料理を振る舞うと、
さすがの純平も感嘆の声を洩らしていた。
あれはいつ頃のことだったろう。
まだ知り合って間がなかったから、昨年の9月あたりだったと思う。

「かしわの天ぷらと冷えたビールがあれば、俺は何の文句もないよ」
いつも彼は言っている。

鶏肉のことを日常的に「かしわ」と呼ぶのも福岡に来て覚えたことの一つだったし、
大分には豊後鶏という特産品があり、その天ぷらが有名だというのも初めて知った。
博多も水炊きという名物料理がある土地柄なので、
鶏肉は美味しい銘柄が揃っている。

今夜は華味鶏という、最近人気のかしわを揚げてみるつもりだった。
あとはアジの叩きと昨夜のうちに作っておいたさつまいものレモン煮があるから、
とりあえずそれで夕食は充分にちがいない。

(白石一文著「私という運命について」より)
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by foodscene | 2008-10-24 23:33 | 日本

しあわせ

今夜はブイヤベースを作るつもりだ。
新鮮なホウボウや蛤、ヤリイカを見つけたので仕入れてきた。
他にも1週間分の食材をどっさり買い込んできていた。

ブイヤベースはもともと亜紀の自慢料理の一つだったが、
2ヵ月前に雑誌の記事でイタリア製の魚介スープの素の存在を知り、
さっそく銀座のデパートで見つけてきて使ってみたところ、
あまりのコクの深さ、手軽さに感嘆してしまった。

それまでは半日かけてスープから煮込んでいたから滅多には作れなかったのだが、
最近は月に1度はこのフィメ・ド・ポワソンを利用して好物の味を楽しんでいる

今夜はアイオリソースも準備して、たっぷりと堪能したい。
亜紀のソースはマヨネーズと同量の生クリームを使うところが真骨頂だった。
まろやかな口当たりのソースが淡白な魚介類と絶妙に調和して、
いくらでも食べられてしまう。

翌日、残ったスープにご飯をいれてリゾット風にすると、これも絶品だった。
ソースもリゾットも作り方を教えてくれたのは孝子だった。
むろんスープの素は、この前実家に帰った折にお土産として持っていった。

(白石一文著「私という運命について」より)
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by foodscene | 2008-10-24 23:24 | 日本

あの人のうたがきこえたみち

熱いシャワーを使ったあと、
亜紀はパジャマ姿で肌の手入れをすませてから、
キッチンに立って紅茶をいれた。
マグカップにアールグレイをなみなみと注ぎ、そこにたっぷりオレンジアーマレードを加える。
これで即席のレディ・グレイのできあがりだ。

酔いの残った身体にはベルガモットとオレンジの混ざり合ったこの甘い香りが
何よりの回復剤だった。
あたたかな紅茶をすすると、いつものように気分がしゃきっとしてくる。
最前までの鬱々とした心向きが嘘のように晴れていくのが分かる。

(白石一文著「私という運命について」より)
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by foodscene | 2008-10-24 23:19 | 日本