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すし

黒塗りに金の模様のついた桶には、
とてもふたりでは食べきれないくらいの鮨が並んでいた。

お好みで注文したらしく、葉留子の苦手なタコ、イカ、サバ、カズノコなどはなく、
マグロの赤身、赤貝、ホッキ貝、アワビ、ウニといった好物ばかりである。
しかも鮨飯はごく小さく、その上にのっている海の幸はたっぷりと大ぶりなのもうれしい。

キッチンから母の孝子が吸い物の椀を運んできた。
「ね、それでよかったのかしら。
葉留子の好みは、確かそういったものだったのじゃないか、と」
「ええ、うれしいわ」
久しぶりに上等の鮨を目の前にした喜びよりも、
孝子が自分の好みをおぼえていてくれたことのほうに葉留子の胸ははずむ。

孝子が鮨屋につれていってくれたのは、たった1回だけ、
2年前に葉留子が短大を卒業したときだった。
好きなものをどんどん食べなさい、そう娘に言いながらも、
孝子自身は握りは注文せず、
板前のすすめる刺身やお造りなどを肴に日本酒を飲みつづけているだけだった。

「ほら、遠慮せずに食べなさいよ」
孝子にうながされ、葉留子は小皿にしょう油を取りわける。
孝子のそれにもつごうとしたとき、片手でさえぎられた。
「私はまだあとでいいわ」

藤堂志津子「蛍姫」
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by foodscene | 2011-03-09 14:46 | 日本

anego 5

「奈央子さん、フグは好き」
「もちろん」
「だったら来週あたりどうかな。
根岸の方に、すっごく安くておいしいフグ屋を見つけたんだ。
おじさんとおばさんの2人でやってる、ちょっと汚い店なんだけど、
その分安いんだろうなあ。
唐揚げが最高でさ、オレ、東京でいちばんうまいとこだと思うんだ」

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イヴにいちばん近い日曜日、奈央子は早めに家を出て代官山のカフェで、
ピタパンサンドとコーヒーという簡単なランチをとった。

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森山とは、少なくとも食べる趣味だけは一致しているようだ。
彼の連れていってくれた麻布十番のレストランは、
小さなビルの1階にあり、一見の客は入りづらいようになっている。
和食をアレンジしたしゃれた前菜が何品か出た後は、
小ぶりのコロッケが出て、そしていよいよビーフシチューだ。

「もう入らないかもしれない...」
「いや、いや、ビーフシチューを食べなきゃ、この店に来た甲斐はありませんよ」

大ぶりに切ったじゃが芋やにんじんが、いかにもうまそうだ。
コースに出た前菜やコロッケもそうだが、この店は昔の洋食をうまくアレンジしている。
飾りつけが綺麗で今風であるが、味つけはしっかりとしていてどれもうまい。

お腹いっぱいと言いながら、
奈央子はシチューの皿をたいらげてしまった。
求愛されている男だというのに、何のてらいも気取りもない。
2人の間には、手頃な値段の赤ワインが置かれていたが、
それも2人で空けてしまった。
「ああ、おいしかったわ。ものすごい量、いただいちゃったわ」

林真理子「anego」
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by foodscene | 2011-03-08 17:52 | 日本

anego 4

窓際に座り、奈央子はカフェモカを飲む。
時間的にはおかしいが、ミルクをたっぷり使ったここの飲み物は奈央子の大好きなものだ。
けれども食事の前にコーヒーを飲み過ぎると舌のコンディションが悪くなる。
だから奈央子はちびちびと飲んだ。
本当ならビールの小瓶でもいきたいところだ...。

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やがて白あえのお通しが運ばれてきた。
シメジと栗が秋の香りだ。
そうかと思えば、白身の刺身がほんの少し盛られて運ばれてきた。

「野田さん、日本酒どうですか」
「いいですね」
「ここはいろいろ揃ってますよ。
僕はこのあいだまで、和食でも気取って白ワイン飲んだりしてたけど、
この頃はやっぱり和食には日本酒だと思うなあ」
「私もそう。カウンターで気取って白ワイン飲んでる人見ると、
ちょっと違うよなァって思うようになっちゃった」
「そう、そう。
このあいだも和食にブルゴーニュの白の高いのをご馳走してもらったんだけど、
カラスミと一緒に飲んだら、それこそゲーッていう感じ。
どっちも高いもんなのに、本当にもったいなかったよなあ...」

料理はどれもおいしく、それに合わせた吟醸酒もおいしかった。

牛タンとじゃが芋の煮つけを食べながら、いきなり告白されるとは思わず、
奈央子はおどけて唇をとがらせる。

林真理子「anego」
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by foodscene | 2011-03-08 17:44 | 日本

anego 3

やがて鯛のおつくりがカウンターごしに差し出された。
「鯛は春っていますけどね、今の鯛もまあ、食べてくださいよ」

それならば日本酒をということになり、
主人の勧める大分の甘口の酒を頼んだ。
「おいしいわ」
「おいしいですね」
にっこりと笑い合い、もう一度乾杯をした。

杯を重ねた頃、今度は鯛のかぶと煮が出てきた。
これは奈央子の大好物である。
まず目玉のゼラチン質をしゃぶり、その後ゆっくりと箸を進めていく。

酔いもまわっていたし、美味しそうな皿への思いが強く、
もう傍らの沢木の視線はほとんど意識しなくなっている。

「本当に美味しそうに食べるなあ...」
彼の声で顔を上げた。
沢木がじっとこちらを見ている。
「お魚をこんな風に、大切そうにいとおしそうに食べる人を初めて見ましたよ」
「本当だ」
カウンターの向こう側の主人が、どれどれとのぞき込んで言った。
沢木は3回めで決して常連ではないというけれども、
人懐っこい主人らしく、さっきから何かと話しかけてくる。

「最近のお嬢さんで、こんなにお魚を上手に食べる人は珍しいですよ」
「イヤだわ。食い意地が張っているだけですよ」
「いやあ、この頃の若い人は、魚なんか喰いちらかすばかりで、
つくっている方もがっかりしちゃいます。
このお嬢さんの食べっぷりは実にいいですねえ」

最後にくず切りが出て食事が終った。
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フランス料理のコースだと、肉料理の前に小さなシャーベットの皿が出されることがある。
これからどかんと重い料理が出てくるので、
これで口の中をさっぱりさせ調子を整えてくださいということらしい。

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会社の近くにあるこのイタリアンレストランの、1500円のコースは結構いける。
コースがきちんと出てパスタもおいしい。
デザートも5種類の中から選べる。

けれどもやはりふだんのランチに1500円は少々きつく、そうめったに行くところではなかった。
だがこの日はボーナスが出たばかりとあって、
奈央子たち3人は朝からお昼はここと決めていた。
前菜、パスタ、メイン料理と続くコースを食べ終って、
チョコレートケーキと一緒にゆっくりとコーヒーをすすっているところだ。

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沢木が連れていってくれたカウンター割烹の店は、大層おいしかった。
熱々のかぶら蒸し、海老芋と鴨の治部煮といった京野菜がたっぷり出たかと思うと、
鮭の押し鮨が合間にはさまれる。
おつくりはフグだった。
最後は黒胡麻のデザートが出て、2人は外に出た。
「すごくおいしかった。やっぱり京都だわ...」

東京でも気に入りの和食の店を持っている。
中には京料理をうたったものがあるけれども、
今の店の方が器も料理もワンランク上なのがわかる。
京都の店は東京よりもずっと安いというけれども、
やはりかなり高級な店なのだろう。

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少し遠くのスーパーまで歩いていく。
今日食べるこまごましたものと、
沢木が来た時のためにチーズと冷凍のラム。
海外での仕事が多い沢木は、ラムが大好物だ。

レストランでもよく注文するので、奈央子は一度うちでつくってみようと言ったことがある。
料理の本を買ってきて久しぶりにオーブンを使った。
ハーブをきちんと揃えたのが幸いして、なかなかの一品となった。
その傍で沢木はレタスをちぎり、サラダをつくってくれた。
たいしたものは出来ないけれども、
料理をつくるのは嫌いじゃないよと言った。

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その日の夕食に、奈央子はゆで上げたばかりのパスタに、
缶詰のミートソースをかけた。
そしてブロッコリーと大根のサラダ。
パスタは本当に少量だ。
ひとりでいる時に調節しなければ、外食の多い身の上としてはたちまち体重に悩むことになる。

林真理子「anego」
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by foodscene | 2011-03-07 18:33 | 日本

anego 2

母親のつくるしゃぶしゃぶは、ゴマだれがかなり甘い。
都心の有名店の味を知ってい奈央子にとっては、
わざわざ食べるほどのものでもないような気がする。
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帰る途中のスーパーで生ハムを買った。
そしてサラダをつくりテーブルの上に並べる。
冷蔵庫の中の、入れっぱなしにしておいたハーフの白ワインを取り出し栓を抜く。

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おかみさんに言いつけて、2人のテーブルに2合瓶を置いた。
「花亀」とある。
「ビールもいいけど、すぐにこれを飲んでくださいよ。
今日のおつくりの赤貝にすごく合うから」
「だったら、ビールは最初の1本だけにして、これにしましょうか」
「そうですね」

このあいだベトナム料理を食べた時よりも、斉藤はさらに健啖ぶりを見せた。
「ここの料理は、四国の高松のものなんですよ。
何を食べてもうまいし、最後の食べるうどんはこたえられませんよ」

刺身の盛り合わせ、揚げたてのがんもどき、小柱の天ぷら、めばるの煮つけ、といったものが
次々と運ばれてきた。
主人が勧めたとおり、日本酒はどの料理にも合い、
2人であっという間に、2合瓶が3つ並んだ。

一緒に食べてこれほど楽しい男だと思わなかったと、
奈央子は心の中で、斉藤の得点を加算している。

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すぐ目の前に、読みかけのミステリーの新刊がある。
丁寧にいれたミルクティーをゆっくりと飲みながら、
続きを読もうと楽しみにしていた。
ああ、早くこの電話を切ってくれないだろうか。

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とにかくランチが始まった。
絵里子はもう何度も来ているらしく、てきぱきとメニューを決めている。
「このアイナメのポワレは絶対にお勧めだわ。
それとパスタは、カラスミがもう抜群なんですよ」

せっかくだからワインも飲みましょうよと白を1本頼んだ。
そう親しくない相手といっても、昼下がりに女2人ワインを飲みながらの食事は、
贅沢で甘やかな気分を連れてくる。

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やがてオードブルが運ばれてきた。
奈央子は野菜のテリーヌ、沢木はサーモンのサラダだ。
沢木は最近多い食道楽というのではないらしい。
食べ物についてあれこれ講釈を口にしない。
ただワインはよく口にした。
「わりと飲むんですね」
「この頃、お酒なしでは寝られません。
といってもちょっとナイトキャップをやるぐらいですけどもね」

林真理子「anego」
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by foodscene | 2011-03-07 18:19 | 日本

anego 1

細々とした仕事は片づけておいたので、早めに帰ることができた。
ターミナル駅のデパートの地下で、
フランスパン、タコとイカのマリネ、キッシュを買った。
昨日のうちにビーフシチューをつくってある。
比呂美が連れてくるのが誰かわからないのだが、
このくらい用意しておけば充分だろう。

まずは「乾杯」ということでワインを抜いた。
その後、居心地の悪い沈黙が続き、シチューを盛りながら奈央子は尋ねた。
「時間がもったいないから、早く肝心の話をしましょう。
それとも、話しながらだと料理がまずくなるような話?」
「そうですね」と比呂美。
「そのおいしそうなシチューをいただいてから話をさせてください」
比呂美はおかわりをしたが、香苗はほとんど手をつけなかった。

林真理子「anego」
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by foodscene | 2011-03-07 18:05 | 日本