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小さいおうち 1

「行って帰ってすぐじゃあ、あなたも疲れるでしょうから、
甘いもの一つ、お部屋でいただいてからにしたら?
これ、おすそわけ。
恭一を連れて外に出たら、
ついでにお野菜を少し買ってきてちょうだい。
今日、お夕飯、鶏のシチュウにするから、
にんじんと、蕪かなんか、適当にみつくろってきてよ」
と、おっしゃった。

心得ましたとうなずいて、背の高い奥様を見上げると、
そこには気持ちが通じ合っている者同士にだけ交わされる、
親しげな目配せがあった。

***

昇進のお祝いに、京橋のアラスカへお食事にお連れいただいたのも、
よい思い出である。
そういう特別の日には、前もって頼んでおいたハイヤーが坂道を上ってくるのだ。

旦那様はアラスカがお好きで、地方からのお客様やお祝い事があると、
奥様とぼっちゃんを連れてよくお出かけになった。

ご家族の席に、わたしがお相伴にあずかることができたのは、
ぼっちゃんをおぶっていくお役目があったからと思うと
申し訳ないことこの上ないが、
ごくまれにご家族とごいっしょした洗練された都会のお食事のことは、
いくつになっても忘れられない。

ナイフとフォークがどうしても苦手で、
どこへ行ってもカレーライスを注文するので、
カレーのタキちゃん、と呼ばれていたことも懐かしく思い出す。

***

三越の並びには、永藤菓子店という、
上野のパン屋が経営する店があり、
ここは奥様が女学校友達の睦子さんと会われるときによくお使いになっていた。

デパートの食堂よりずっとこぢんまりしていて、
品のいいお料理を出す、職業婦人の睦子さんお気に入りの店だった。

ここは一階が洋菓子売店なので、
ぼっちゃんと二人でお医者様へ行った帰りに、
季節の洋菓子を買ってくるようにと仰せつかることもあった。

***

ともかく、不憫なぼっちゃんだったから、
あの年の端午のお節句は、
奥様のご実家のおじいちゃま、おばあちゃまもお招きして、
うんと盛大に祝ったものだ。

ハムライスにオムレツにコロッケに伊勢えびサラダ、
桃の缶詰を使ったムースババロアにホイップクリームなど、
ぼっちゃんの好物ばかり並べて、大きな声でお歌を歌ったりした。

台所のわたしは、フル回転だったけれども、
ケチャップで甘くしたハムライスをゼリー型に詰めてお皿に抜いてグリンピースやコーンで飾る、
お子様ランチ風の飾りつけを思いついて好評を博したのが、
いまも楽しい思い出として心に残る。

***

...河内山宗俊のセリフじゃないが、
ひじきとあぶらげばかり食ってちゃ、
出るとこも出んし、引っ込むところも引っ込まん。

ビフテキを食わにゃあ、だめです。
これもまた、ぜひともバターで焼く。
ここへ醤油を二、三滴落とす。
そうして食ってこその栄養です」
そんなお話があって、湯気を立てたビフテキが運ばれてくるのだった。

***

旦那様は、毎朝、珈琲とトーストと卵料理を召し上がって、
会社からお迎えの車がくると、
行ってくるよとおっしゃって中折れ帽をかぶり、
お鞄とお弁当の包みを持って出勤される。

***

「わたし、恭ちゃんと駅のベンチで少し休んでいるから、
あなた、二楽荘へ行ってシュウマイを買ってきてちょうだい」
鎌倉へ行くならぜひとも二楽荘でシュウマイを食べてくるようにと、
睦子さんが描いた地図を頼りに、わたしは奥様とぼっちゃんを駅に残して、
お土産を買いに小町通りのほうへ行った。

そうして、おいしそうな匂いをさせている大きな白いシュウマイを包んでもらって、
駅まで戻ってくると、
ぼっちゃんと奥様が誰かと話をしていた。

***

奥様が目で促すので、わたしはお勝手に戻って、
旦那様のお好きな菊正をお銚子に七分めまで注いで、
お猪口といっしょにお持ちする。

火鉢にかかった鉄瓶にお銚子を沈めて、
ぬる燗の番をなさるのは奥様で、
その間にわたしはお勝手にとって返して、
つまみを見繕う。

旦那様はふだん、お一人での晩酌はあまりなさらない方だったが、
召し上がるときにはご飯のおかずではなくて、
ちょっとしたおつまみを好まれる。

お晩酌用になにかを用意しているわけではないので、
あるもので工夫して、
小さく切って焼いた油揚げに山葵漬けを詰めてお醤油をひと垂らししたり、
缶詰のコンビーフをサイコロに切って、
お葱といっしょにちょっとあぶったりして、
お膳にお持ちするとちょうどよい頃合に、お燗がついているのだった。

***
数の子は二十七日の朝から水に漬けて塩抜きをする。
味付けは大晦日だけれど、
塩抜きが甘いとしょっぱくて食べられない。

なにもかも大晦日では大変だから、
二十九日には伸し餅を切り、
三十日には黒豆やごまめを煮て、おなますなどの保存の利くものも作っておく。

そうしておいて、鏡餅のお飾りやら、玄関の輪飾り、お正月用のお花や盆栽を買いに
出かける奥様のお供もする。

****

午後からはお料理の本番が始まる。
これは奥様と二人がかりでお支度に励む。

できあがった伊達巻やら昆布巻やら錦玉子やらきんとんやらを、
お重に詰める前に粗熱を取る間にも、
お三方にうらじろとゆずり葉と昆布と橙でお化粧した鏡餅を載せ、
床の間に松竹梅の軸を掛け、
応接間の花をお活けになる奥様のお手伝いをしながら生け花の勉強もする。

***

年越しそばの注文は、早めにしないとなかなか持ってこないばかりか、
持ってきたときにはそばが伸びていたりするから、
夕御飯に間に合うように声をかけておく。

おそばをいただいたら、
おせちのお重を詰める。
彩りよく、おいしく見えるように配分には気を遣う。

***

あっさりした雑煮を作って食べて、
それきり正月らしいこともせずに終わった。
ごぼうが山ほど入る田舎風の汁に、
焼いた餅を入れる東京風の折衷雑煮で、こんなのを食べているのは、
日本中にわたし一人ではないかと思う。

***

資生堂の花椿ビスケットを手土産に提げていらして、
「ぼくは甘いものは食わないんですが、
このビスケットはデザインがいいから、
つい買っちまうんです」

***

わたしは奥様と目で合図を交わして、
頃合を見計らい、炊き立てのごはんとお味噌汁に香の物、
さっぱりした大根おろしに鰹節で和えた数の子を切って載せたものなどをお持ちした。

お酒と甘い物の多いおせちの締めには、あっさりしたお膳が欲しくなる。

***

お弁当、といって思い出すのは、興亜奉公日のことである。
毎月一日は興亜奉公日と決まり、
日曜だろうとなんだろうと学校へ行くことになったのは、
ぼっちゃんが二年生、昭和十四年の、二学期の初めだった。

ごはんの上に、おかずは梅干一個の日の丸弁当と決められていたから、
そこは、わたしの腕の見せ所だ。
弁当箱の底に、うすくごはんを入れ、そこへ醤油に浸したおかかや、
アミの佃煮なぞを忍ばせ、その上にあぶった海苔を敷き、
なんのことはないようにまた、ごはんをのせて、
丸い梅干を飾るのである。

聖戦の最中に贅沢はいけない、興亜奉公日は梅干弁当、との通達が出て
初めての日には、わたしもごはんに梅干一つの弁当を作ったのだけれども、
学校へ行って、めし時に蓋を開けてみれば、
タッちゃんもセイちゃんも、たいていの家の子が、
ごはんの中にこっそりとおかずを忍ばせていたのだそうで、
ぼっちゃんが赤い子鬼のような顔をして、
怒って帰ったものだから、
以後、海苔弁当にごはんと梅干で蓋をする式に方針を変えたのであった。

***

そして、『主婦之華』の睦子さんなどが、
「銃後の要は主婦の倹約精神」などとワァワァわめいて、
「なにがなんでも節米、節肉」と言ったりするものだから、
なんとなく買い溜めしなければならない気がしたり、
見よう見まねでパンを焼いたりしてみた。

これも、粉骨砕身、研究に励むと腕前が上がって、
「シチュウのときは、タキちゃんのパンがいい」
と、旦那様からご指名を受けるほどになった。

わたしの持っていた、昭和九年発行の『女中さん讀本』には、
「シチュウのつけあわせには、なます」と書いてあったため、
奉公したてのころは、判で押したようにその二つをいっしょに作っていた。

ところが、旦那様に言わせれば、
これほど取り合わせの悪い献立もないそうである。
ミルク味のシチュウに、甘酢がまったく合わないのだそうだ。
考えてみればその通りだが、
西洋料理がどこかピンと来ないのは仕方がないと、
思い込んでいたわたしも頑なだったわけだ。

シチュウとパンは平井家の定番となり、わたしは時局と栄養を考えて、
にんじんのすりおろしや、菜っ葉の刻んだのなどを入れて、
見た目にもきれいなパンを焼いた。

シチュウは鶏肉がいちばんおいしいけれど、
あのころさんざん出まわった、あさりの剥き身などでも、
上手に作りさえすれば、たいへん立派なものができあがる。

思い起こせば、興亜奉公日には、よくシチュウとパンが食卓に上った。
牛乳もないと言われがちだったから、シチュウに豆乳を使ってみたりした。
豆乳を使うときは、独特のにおいとコクのなさが欠点になるから、
白味噌と炒めたベーコンで旨味と脂味と風味とを補強する。

こうした代用食品で特別に旦那様とぼっちゃんのうけがよかったのは、
ピーナツバター。
奥様のご親戚筋から送られてくる千葉の落花生を、
焙烙で香ばしく炒ってから、すり鉢でよくすり潰して、少しの砂糖と塩と米油を加える。
これを作っていると、ぼっちゃんがお勝手に入ってきて、
すり鉢の溝にこびりついたピーナツバターを舐めさせてくれとおっしゃったりした。
「お行儀が悪いから、お母様に内緒ですよ」
と断ってから、二人ですり鉢の底を指でさらって、ぺろりと舐めるのだ。

朝の食卓に、きつね色のトーストとともにお出しすると、
「本物のバターより旨い。
なまじな人造バターなどより、ずっといいね」
と、旦那様も目を細められたものだった。

そんなわたしの努力が評判を呼び、
睦子さんが知恵を貸せとおっしゃったりするので、
わたしの節米料理はいくつか、
『主婦之華』の誌面に載りさえしたのである。

市井の主婦からの投稿、ということになっていたが、
「タキちゃん、あなた、なんかおいしそうなの、
考えてちょうだい」
と言われて、ひねり出したメニューであった。

スィートコーンの蒸しパンだの、蓮根の炊き込みご飯だの。
炊き込みには、戻した乾し海老と、その戻し汁を入れるのだが、
ちょっとあぶって焼き目をつけた蓮根といっしょに風味よく炊き上げて、
晒し生姜や刻んだ三つ葉を天盛りにすると、
格別に食感がよく、お客様にも出せる。
いまでも時々作りたくなるほどだ。

***

「それっぱかりじゃないのよ。
『社交はなるたけ形式的でないようにする』ったって、
あなた、なんぼなんでも、結婚式を『てんぷら会』ですよ!」
「『てんぷら会』って、なんです?」
「親戚が集まって、てんぷらを食べるんですって。
そういう会をときどきなさるんですって」
「あぁ、『てんぷらを食べる会』」
「それはいいわよ。いいことよ。
親戚で、みなさんで、召し上がったらいいじゃないの。
だけども、お嬢さんや息子さんの結婚式もしないでおいて、
『てんぷら会』でもって、
『倅はこのたび結婚いたしました』と報告して、
それで済ませようというのよ」

***
とても特別な日だったから、お弁当も少し豪勢にしてよし、という通達があり、
ぼっちゃんの大好きな助六寿司に、タコのソーセージと卵焼き、
うさぎに切ったりんごも添えた。

***

翌日だったか、翌々日だったか、ご家族は銀座に繰り出し、
わたしもお供させていただいた。
奉祝の間中、都心の飲食店の制限も解かれて、
昼からお酒もお米も供されるとのことで、旦那様がお食事に連れて行ってくださったのだ。

久々の外食。わたしはカレーライス。
心が晴れやかになる一日であった。
お食事の後で、目抜き通りの旗行列にも参加した。

***

お煮しめや、小魚の佃煮を肴に、お客様がお酒を愉しまれている間に、
時雨煮にしておいた浅蜊で炊き込みご飯を作り、
これも暮れに味よく煮ておいた鰯を、
一口大に切って片栗粉をまぶし、から揚げにした。
「あらまあ、タキちゃん、アイデアだわね」
と、奥様は喜ばれた。
わたしは、昔から工夫上手だったのだ。

旦那様は、とっておきのコンビーフの缶詰を開けてくれとおっしゃった。
なにしろ社長さんは、食べ物もなにもかもアメリカびいきで、
お魚よりお肉のほうがお好きと公言されていた方だったのだ。

***

小中先生はわたしを連れて、冨士アイスに入っていった。
久しぶりの冨士アイス。お紅茶をいただく。
わたしの胸はどきどきした。

先生はサンドイッチかなにかつままれて、
しきりにまずい、まずいと失礼なことをおっしゃった。

***

庭の栗の木がたくさん実を落としていたので、その日、わたしは、栗ご飯を炊いた。
配給の鰯をつみれにして汁物にし、庭で作った薩摩芋を煮た。

お酒は、切符制になる前に、酒屋を締め上げて買い溜めしておいたものが
いくらか残っていたので、お燗にした。

***

あの日に作ったのは、とっておきの白米で作った散らし寿司だった。
具は甘く煮たかんぴょうと貝の剥き身。
塩漬けにした大根の葉と、海苔、少量の炒り卵を彩りにした。

吸い物には大根とにんじんを水引のようにあしらい、
大和芋のすりおろしと、庭で取れたふきのとうをてんぷらにして塩を振った。
焼酎につけこんでおいた干し柿を寒天で固めたお食後もつけた。
「あらまあ、時子のお家は、お食卓が華やかねえ」
と、大奥様が褒めてくださった。

中島京子著「小さいおうち」
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by foodscene | 2011-09-26 14:44 | 日本

鏡をみてはいけません 3

いい日曜だった。
私は日曜が好きだ。
日曜と青葱が好きだ。
関東は白葱の太いのばかりというけれど、
どうして青葱ができないのだろう。

私は白葱も嫌いではないけれど、
青葱の、噛むと内部(なか)がゆたかにぬめりを持っていて、
ぬるっとなる、その仄甘いなつかしい風味、
これがなんともいえないのだった。

味噌汁にもうんと入れ、
すき焼きにもどっさり、お好み焼きにも、
ひとがびっくりするくらいつまみこんで入れて焼く。

でも夏場には、さすにが青葱は売っていない。
スーパーなんかで万能葱(なんて貧寒なイメージの命名)と呼ぶ、
細い葱を使う。(私は勝手に細葱、と呼んでいる)

素麺や蕎麦の薬味にも使うけれど、
私のよく使うのは味噌汁だった。
油揚と若布と豆腐の味噌汁に、吸いくちには多すぎるほど、
青葱をこまかく刻んだのを浮かせる。

青葱の匂いがぷんと立って、ぞくぞくするくらい、うれしい。
「まえにいっぺん、関東のほうの、ごっつう太い葱をひとにもろたことがあった」
と律はいう。
「ふうん、どのくらい太いの?」
というと律は人さし指と拇指で輪をつくってみせた。
「まさかァ。それって、玉葱じゃないの?」
「いや。葱」
「おいしかった?」
「甘かった。頼子が気色悪いいうて、あまり使わんと半分ほど腐らせたらしい」
勿体ない—というのは、いわずにおく。

***

ともかく、頓にお気に入りとなった星の本を宵太は食事のときも椅子の背に置いている。
日曜の朝はまるで、
「朝食をたのしむ会」
となるので、私は前日、小さな鰈を四つ、買ってきていた。
これを煮つけて食べようというのである。

ほんとに小っちゃくて可愛い鰈だが、
新しいからおいしそうだ。
わたをとって掃除して、背中に十の字の切れ目を入れ、
煮たてた醤油とだし汁と砂糖のなかにそっと落とす。

このとき洋鍋だと底に角があるが、
この家はさいわい、何ンでも昔風のままなので、
アルミの底のたちあがりの丸い、大鍋がある。
これが煮魚にはちょうどいい。
お汁(つゆ)を魚の背に静かにかけてやり、
とっくりと煮ふくめる。

それに青葱をいっぱい散らした味噌汁。
海苔の佃煮。
これはこのまえ、スーパーの四国フェアでおいしいトマトを入手したときに、
手に入れた。
四万十川の、石蓴(あおさ)の佃煮である。
ぷーんといい匂いがする。
広告に、坂本龍馬も賞味した佃煮、とあるが、ほんとかしら。
私たちは<坂本サンの海苔>と呼んでいる。

宵太は身内かと思ったらしく、
(坂本のオッチャンて、どこに住んでるん)
と訊いていた。

それから焼いた青唐辛子(ししとう)。
これは鰈といっしょに煮つけないで、
わざと別に焼いたもの。

それから、極めつき、糠漬けの漬物。
私はちょっと前に、天満のマンションへ糠漬けの琺瑯の壺を取りに戻ったのだった。
こっちで応急につくっているのは、やっぱり味が浅いので。

しばらく留守をすると思って糠の床に厚く塩を置いて蓋をしておいた。
塩を除いてよく掻きまぜると、糠床は生きていた。
私は毎日、胡瓜や蕪や茄子やキャベツを漬けこむ。
切口もみずみずしい漬物、律はいちいち、これはうまい、これはまずいという男ではないけれど、
満足してしっかり、食べる。

彼をみていると、主食は御飯であることがよくわかる。
私は律を、御飯のように飽きない、クセのない、ほんわかした男だ、と思っていたが、
律自身が御飯好きらしかった。
いまどきの若い男の中には、顔を伏せて、
避けられない義務のように仕方なさそうに、御飯を食べる子もいるけれど、
律は全身全霊で食べるのにうちこむ。

ふだんはソーセージサンドとミルクの宵太も、
日曜は父親といっしょなので御飯を食べるのだが、
この子は私が調理しているあいだじゅう、じーっとそばについている。

「その魚、なに?」
「鰈」
「ふうん」
「ほら、目ェみてごらん」
「う」
「左・鮃に、右・鰈いうて、こっちに目がついてんのが鰈なの」
「好き好きでつくの?」
というのは、魚たちが任意で目を左につけたり、右につけたり、
するのかという意味であろう。
「ちがうわよ、神さまがそうきめるんやから、自分で鰈になるか鮃になるかを選べないのっ」
「ふう〜ん」

どんより、むしむしした天気だけれど、
うまい朝御飯を目いっぱい期待している男と、
ふわふわして非現実的だけれども、
おなかを空かしている少年のために食事を用意するのは、
私にとってとてもうれしいことだった。

口笛を吹くよりももっとたのしい、自慢のにやにや笑いが口辺に浮かんでくる。
うまいめしだぞう、おどろくな。

律は私の好きな、熱心な食べかたで、御飯に向かう。
宵太はお茶の代わりにジュースを欲しがる。

私は夏の食事には、まっ先にお茶をつくる。
急須いっぱいにそそいで、冷ましておく。
夏の食事に熱々のお茶、というのはせつないので。

そんなに気をつかっているのに、宵太はジュースを飲みたがる。
悪い癖だ。
頼子がジュースだけは冷蔵庫から誰にもことわらず出して飲んでもいい、といっているらしい。

***

昼はあっさりお蕎麦、夜はまた御飯、
ただし律はゆっくり酒を飲むから、そのあとはお茶漬けである。

***
鯉の洗いを酢味噌で食べたら、あっさりと身はしまり、
色も美しくて、私は持ってきたスケッチ帳に描きとらないではいられなかった。
味わうものやみるものすべて、身に沁みてくる。

***

「御飯粒、一粒も食べへん、てどういうわけで?」
「太る、いうて。
味噌汁つくらしたら、白湯に味噌溶きよった。
だしをとること、知らへん。大物やった」


田辺聖子著「鏡をみてはいけません」
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by foodscene | 2011-09-19 15:03 | 日本

鏡をみてはいけません  2

天満の天神サンの木々の梢をみながら、二人で食べた朝食はおいしかったが、
私は律のさかんな食べっぷりに感動した。
私は男の子と泊まった経験もなくはないけれど、みな、朝御飯は要らなかったり、
牛乳(ミルク)一ぱい、あるいはコーヒー一ぱいが朝食だったりする若者ばかりだった。

しかし律はしっかり、食べる。
しっかり咀嚼し、そのとき頬の筋肉が精悍に走る。
ふだんはごく平凡な、地道な、おとなしい男にみえるが、
頬の筋肉なんかに、かくしきれず彼の抑えつけた底ぢからがみてとれる、というところがある。

***

電話のことはいわないで、私はトマトを切って出した。
ちょっと小粒だが、このごろ、いろんな野菜によくあるように、
数個パックされていて、作り手の名も書いてある。

四国の、川のそばでつくったトマトだそうである。
<南国の太陽と川水のおかげでおいしいトマトができます。
川水と海水のまじるところなので...>云々という効能がきを私は読んでみせ、
赤いひきしまった果肉を味わった。

説明にあるように、甘くてしかも少しばかりの塩味が舌の先にさぐりあてられた。
酸味はなかった。
たしかにおいしいトマトである。
律も、うまいという。

「川水と海水がまじりあうと、こんなにおいしいトマトになるのかしら」
「さあね」
「愛とつめたさがまじりあうと、おいしい女になるのかな」
「男はエッチとくそまじめがまじりあうと、エエ男になる」

***

私たちはメニューを拡げ、ここはカレーのランチで有名な店だが、
特別製にするか、普通のにするか、熱心に論じ合った。
橘子のいうには、特別製は激辛で、これから夜遊びに出かける人が気勢をあげるために食べるのだそうだ。

気勢なんて、いいトシの女があげるこっちゃない、と意見が一致して、
フツーのカレーにした。

***
大阪ニンゲンはライスカレーに生卵をおとす、といって他国の人はいやがるが、
いつともしれず身に染みたクセで、若い子でもやってる子が多い。
カレーと生卵、なんて取り合わせ、他国の人は悪夢と思うかもしれない。

いったいいつ頃からはじまったのだろう、昭和のはじめから、という人もあるし、
大正末からもうやってた、という人もある。

「浪花風カレー」というのがきた。
御飯を盛った皿と別に、カレーを盛った器、
生卵を割り入れた小鉢、そして福神漬や辣韮を盛った皿は別に。

私たちは御飯にカレーを好きなだけかけ、まん中に凹みをつくって、
生卵を落とす。
カレーの辛さ、熱さが、生卵でほどよく中和され、
味もなめらかになる。(ような気がする)

「川柳がありますよね」
と同じようなことをしながら橘子はいった。
「大阪の人の句ですけど。
『織田作のまふらカレーの皿へ垂れ』」
「あ」
と私はいった。
高校のとき読んで、以来、織田作之助が好きだった。

「その句は知らなかったけど、織田作ってカレー好きだったんでしょ、
よくミナミの『自由軒』へ行ってたんでしょ」
「そういいますね」
と橘子も熱心にカレーを食べていた。

彼女の食べる速度はとても速い。
それは別に、そそくさと食べているという印象ではなく、彼女のさかんな生命力を誇示するみたいだった。

カレーはコクのある味で、お昼に食べるのは元気が出そうでよかった。
生卵はカレーのあいだに溶け、飯粒にからみ、
カレーと飯粒をとりもつようにみえた。
舌が、辛さと熱さに焼けるのを防ぎ、マイルドな味わいをもたらす。
(そのかわり、どんなカレーを食べても同じ味にしてしまう)

田辺聖子著「鏡をみてはいけません」
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by foodscene | 2011-09-19 11:50 | 日本

鏡をみてはいけません 1

私がつくったソーセージサンドを食べ、ミルクを飲む。
***
私は彼にトマトを切ってやった。
「ぼく、トマト、あんまり好きくない」
なんて、へんな言葉をつかう。
「どうして」
「酸っぱいもの」
「これ、甘いの。甘いなかにちょっと塩っぱさがまじってるの。たべてごらん」
としゃべっているうちに、律がやってきた。
***

宵太の夕食は、いっぺんライスグラタンが出ると、
2、3日同じものがつづいた。
<好き嫌いが烈しくて>
と頼子は同じメニューの理由を説明する。
彼女の言いかたは、すべて対象に責任がある、と匂わせるところに特徴があった。
私は、宵太の夕食も私がつくってもいい、といってみた。
私たちの分も早めにつくっておけば二度手間にならないし。

いまのところ、ここ何日か、宵太は夕食に、私の用意したものを食べている。
おとなしく、テレビを見ながらハンバーグなど食べてる。

ただし、箸の使い方、あれは直さなきゃ、な。
なんて思っているのが伝わったみたいに、宵太はからりと箸をおき、
「ごちそうさま」とあわただしく起ってゆく。
(あまのじゃくみたいに、こっちの気持ちがわかる子なんだ)
と私は思った。
***

私は御飯が好きで、御飯があれば塩だけでも食べてしまうというくらいだ。
適当にむらして、ぱっと炊飯器の蓋をあけたとき、
光りかがやく白い粒々が立っている、その幸福感をなんにたとえよう。

更にそれを口へはこぶと、仄甘くて、玄妙限りない滋味がひろがる。
なんとも飽きない、といって、クセも何もない、ほんわかした味。
それでいて忘れられない、っていう味。
おなかがすくと、条件反射のように、ゴハンを思い出してしまう。

***

(たぶんまだ寝てると思いますけど。
深夜テレビみながら、どんべえのきつねうどん食べるの大好きな人らしいから、
朝、起こすと不機嫌なんですけど、でもどうしても、というご要望なら、
やってみましょうか?)

***

ふとみると、律は二ぜんめの御飯を自分でよそっていた。
この男は、朝食をとてもたいせつに考えるところがあり、
パンなんかで働けるかい、という。
そうして味噌汁をたのしんですする。

あの朝寝坊の頼子がよく、朝食を用意できたものだ、と思っていたら、
やはり、朝食が摂れたのは、母が生きており、そして元気でいたときまでだそうで、
母が死んでからは、まともな朝食は食べていないという。

(じゃ、どうしてたの?)
と私は聞いたことがある。
(牛乳とパンですましてた)
律は憮然としてこたえる。

***
「いまごろ電話してくるアホは、どこのどいつや」
といいながら律は、ちゅうちゅうと浅蜊の味噌汁を吸う。

私は旅館の朝御飯が好きなので、つい、それをお手本にする。
いつだか、ピュア・プラニングの慰安旅行で道後温泉へいったことがあったが、
前夜、大さわぎして、みんなで飲んだので、
朝食より眠っているほうがいい、という人ばかりだった。
やっと起きて食堂へ来た人も
(今日びの旅館は、朝食は食堂で、というところがほとんどである)
ほんのひと箸、ふた箸つけただけで、逃げるように起ってしまう。

でも私はしっかり食べた、炊きたての白い輝く粒々の御飯、味噌汁、
温泉卵に一塩もののお魚(それが何ンだったかは忘れた)、
板海苔、糠漬けの大根。......

みなとくべつにおいしかった、それに、仲居さんたちがかいがいしく皿を持って
テーブルからテーブルへお給仕してまわっている、と思ったら、
湯豆腐まで用意されていたので、
私はうれしくなってしまい、動けなくなるほど食べた記憶がある。

太ってなにが悪いの、なんて、ふてぶてしくなるほどの、美味な朝食だった。
その幸福な記憶があるので、律が、
(ぼく、朝に、うまいゴハン食べたい。もう長いこと、そんなん食うてない)
といったとき、つい同情してしまったのだ。

私たちは熱心に、朝食の献立についてしゃべり合った。
御飯は白いナチュラルなもの、たきこみ御飯やふりかけは不可。

ゆかり(紫蘇の葉、または梅酢で赤くなったそれを乾かして粉にしたもの)をまぜこむのも
どうかと思う、ただ、花山椒をたいたもの、あるいは青山椒の粒々を四つ五つ、
頂きにのせるのは可。

私も律も関西ニンゲンだから、納豆はなくてもいい。
それより板海苔か、海苔の佃煮、それに塩をふいた塩昆布、
(または真っ黒につやつやと美しくたきあげられた昆布、
どちらも小さな色紙形のもの)がほしい。
温泉卵か、卵のだし巻き。

一塩のかます、一塩鯵、などの焼魚。
(目刺しでもいい)
と二人の意見は一致した。
(ちょっと煮ものもほしい。
牛蒡のきんぴらとか、ぜんまいのたいたん、せんぎりのたいたん、とか)
と私はいい、律はそれはどっちでも、という。

二人とも、これはなくちゃ、というのが漬物。
頼子は漬物など一年中なくても平気、という女らしかった。
(ついでに、先の女房、橘子もそうらしい)
律は糠漬けか、浅漬け、黄色い沢庵(おこうこ)など、あらまほしい、という。

私は漬物が好きなので、そのころ、
白い琺瑯引きの蓋付きの壺に、糠漬けをしていた。
どういう拍子か、
(それを食べさせてあげる)
という話に発展した。


田辺聖子著「鏡をみてはいけません」
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by foodscene | 2011-09-18 10:00 | 日本