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清貧なるイギリス料理

イギリスと食文化のかかわりとなると、たいていは悪口に終始することになる。
フランク・ミューアというイギリス人の著書に
『無遠慮な文化誌』(中西秀男訳 筑摩書房)なる一風変わった書物があって、
その「飲食」の項をみると、イギリス伝統のボイルド・キャベツについて猛烈な
悪口がとりあげられている。

あの伝統的なイギリス風にボイルしたキャベツにくらべたら、
フィンランドの破産した屑屋から買いこんだ古新聞を一たん蒸してから燃焼不完全な
石油ストーブの上で焼いたしろものでも、まず飛びきりの珍味といえる。
(略)

これほどひどい悪口でなくても、
イギリス人の食生活についてはあまりいい評判をきかない。
ヨーロッパへ旅行してイギリスの料理のおいしさをほめたたえる人はロシア人の
サーヴィスをほめる人と同じくらい少ないのではないか。

アントニー・グリンというイギリス人が書いた
『イギリス人 その生活と国民性』(正木恒夫訳 研究社)は、
イギリス人の生活に密着してその国民性をユーモアたっぷりに描き出した好著だが、
このなかの「パイとプディング」と題された章は、
イギリス人の食生活を語ってとりわけおもしろい。

イギリス人(あるいはグリンの言葉を借りればブリテン人)は
大昔から名うての大食漢だったという。
なるほどシェイクスピアの生み出した古今東西最高の喜劇人物フォルスタッフの食欲たるや、
常人どころか超人をもしのぐほどである。

そうした大食の伝統が頂点に達するのは20世紀初頭だそうで、
この時代には肥満体の人物が多く出た。
ところが、いつの頃からか、とにかく20世紀が進むにつれてイギリス人は
食欲をなくしてしまう。

その理由については憶測の域を出ないが、
上流階級に関しては戦争の影響が大きい。
(略)
グリンはこれをまとめて、
「食物は必要悪ならぬ不必要悪なのであり、
少なければ少ないほどよい」という。
(略)
それはともかく、現在のイギリス人が食物にあまり興味も望みも抱いていないというのは、
一部の変わり者を除けば事実のようで、
彼らはあいもかわらずポテトとベークト・ビーンズ(大豆を煮こんでトマト味をつけたもの)と
グリーンピースで日々をすごしているように思われる。

かつてイギリス特有の食物として必ず引きあいに出されたものに、
「フィッシュ・アンド・チップス」がある。
たらを天麩羅風に揚げたものにフライド・ポテトをつけあわせるというやつで、
テイク・アウト食品としては圧倒的な人気を集めてきたものだ。

町中あちこちにあったこの手の店では、
揚げたてのフィッシュ・アンド・チップスを粗雑な紙に包んでくれたもので、
一説では高級紙『タイムズ』より、大衆紙のいわゆる「イェロー・ペーパー」に包んでくれたもののほうが
味がいいといわれた。

ところが、最近ではこの手の店がだいぶ姿を消して、
かわりにピザ・チェーンが幅をきかせているのである。
もちろんレストランやパブには必ずといっていいほどこのメニューがあるけれど、
専門店の衰微ぶりたるや目をおおわんばかりである。

小林章夫著「イギリスの味わい方」
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by foodscene | 2012-05-30 16:41 | イギリス

ことば (天才!)

人間の態度はいかにして、世代から世代へと受け継がれるのだろうか?
それは社会によって受け継がれるのだ。
たとえば、その土地の訛りが長く残ることを考えてみればいい。
(略)
これらは、現在のアパラチア地方に暮らす住民の発音である。
これらの特徴的な話し方のパターンを伝えたものが何であれ、
それと同じものが言動や感情のパターンを伝えたことはまず間違いない。

***

グリーンバーグは、パイロットたちに、
代わりとなるアイデンティティを与えたかった。
通常、パイロットは時刻の”文化的な遺産”の重みに押しつけられた役割から抜け出せない。
だからこそ、パイロットには操縦室に座ったとき、
その役割から抜け出す何らかの、”好機”が必要であり、
言語はその変容のカギとなる。

英語を話すとき、厳密に定められた自国のヒエラルキーの階層、
”形式張った尊敬”、”形式張らない尊敬”、”慇懃”、”親しい”、”親密”、”率直”から解放される。
そして、まったく別の遺産を持った文化と言語に参加できる。

だが、グリーンバーグの改革の重要な部分は、
グリーンバーグが「行わなかった」ことにある。
韓国人のパイロットをクビにして、権力格差の小さな文化で育ったパイロットを代わりに雇い、
同社の立て直しを計ったのではない。
グリーンバーグは文化的な遺産が問題であることを知っていた。
それは強い影響力を持ち、蔓延し、当初の有用さが消えた後も長く生き延びる。
だが一方で、文化的な遺産が、永遠に消し去れないものだとも決めつけなかった。

韓国人がみずからの出身に率直になり、
自国の遺産のうち、航空業界に適合しない側面と向き合うのなら、
彼らは変わることができる。

***

また、読者であるあなた自身も、この本を読むことで、
これまでの自分がどんな好機を得てきたかを再確認し、
また、いい影響、あるいは悪い影響を与えている
「文化的な遺産」にも気づき、現実に好機をつかみ続けて成功へのスパイラルを見つけ、
アウトライアーズへの仲間入りをするにはどのように行動すればいいのかについても、
ぜひ、参考にしていただきたい。

そして、この本の法則をつかみ、成功した暁には、
ぜひ、本書のエピローグに登場する
「ミスター・チャンス」のように、社会に好機を提供できる人材になってほしいと心から願う。
(勝間和代)

マルコム・グラッドウェル著 勝間和代訳「天才!」
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by foodscene | 2012-05-29 15:40 | Books

わたしのオックスフォード 2

食べ物も違う。
寒いせいか炭水化物や油ものを多くとり、
ずっしり重い生地のミートパイや、ジャガイモやスウィード(カブの一種)をふんだんに使った料理が目立つ。
ジャネットに言わせると
「フィッシュ・アンド・チップス」も本場は北なのだとか。
南のチップスは身も衣も貧弱で頼りないらしい。
その南のチップスでさえもしつこく感じる私は、
北のチップスは遠慮しておこう、と心に決めている。
朝食でベーコンエッグなどに加えてブラック・プディング(血のソーセージ)を食べるのも、
北、とくにヨークシャーの伝統である。

***
朝食は8時15分から9時半まで、食堂に用意されている。
入口の横に置いてあるジュースやコーン・フレークスをとって席につく。
卓上にはコーヒー、紅茶、バター、ジャムなどが並ぶ。
出来たてのトーストを係の人がラックに入れて持ってきてくれる。

***
12時半。さて、お昼はどうしようかな。
「ヒーローズ」あたりで好物のチキンとアボカドのサンドでも買って部屋で食べようか、
とも思ったが、結局、カレッジの食堂に舞いもどってしまった。

朝と違って昼食はセルフ・サービスである。
「質より量」主義で、率直にいて、すべてがとてもまずい。
ミートパイ、コーニッシュ・パスティ、フィッシュ・アンド・チップス、スパゲッティ・ボロネーゼなど一通り食べてはみたのだが、
例外なく失望されられた。
いちばん無難なのはベークド・ポテトに温野菜という平凡な組み合わせで、カレッジで昼食を食べるときはこれに決めている。

ただ一つのとりえは安いこと。
私の「おすすめ」セットは60ペンスだし、デヴィッドたちはいつも、よく落っこちないな、と感心するほど
大量の料理をお皿に積みあげているが、それでも1ポンドをオーバーすることはめったにない。

食堂でダンカンといっしょになり、ほかの仲間たちと食後のコーヒーを彼の部屋へ飲みにいく。
彼は「カプチーノ・メーカー」なるものを持っているので、
自然に人が集まってくるのだ。

***
ダージリンとビスケットをごちそうする。
テュートリアルから出てきた者はやさしくねぎらってやるのが常識なのである。
そのあとカレッジの図書館へ。
ストラウド氏との対決をつづける。

***

カレッジの夕食は7時15分からだが、今夜は外食する予定がある。
キーブル・カレッジの友人、デビーの誕生日なので、
最近、駅の近くに開店した「バンコク・ハウス」という店にタイ料理を食べにいくことになっている。
私もデビーもタイ料理が大好き。
とくにあのくせのつよいカレーがたまらない。

しかしデビーの友人マイケルは食べ物に関しては救いようのない「保守派」である。
困惑の表情でメニューを検討する彼の目が、突然、輝いた。
マイケルのようなお客のために、英国料理が何品か用意してあったのだ。
オックスフォードに数多いインド料理店にも、
たいていフィッシュ・アンド・チップスなどの「イングリッシュ・メニュー」がある。
本当にイギリス人はしょうがないわね、とからかっても、
マイケルは平然とチップスにおきまりの酢をかけているところ。

***

ひきかえに自分のガウンを受け取って、
私たちは父兄ともどもランドルフ・ホテルにハイ・ティーを楽しみに行った。
おきまりの紅茶とスコーンに、
スモーク・サーモンやキュウリのサンドイッチ、ケーキなどがつく
伝統的なティー・タイムのごちそうである。

川上あかね著「わたしのオックスフォード」
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by foodscene | 2012-05-28 15:33 | 日本

満ちたりぬ月


「乾杯」
今夜の絵美子は、ひどくはしゃいでいた。
「おいしいわ、このソーセージ。こんなの初めて」
「スパイスが変わってるんじゃないかしら。
自家製だっていってたわ」
「おいしい」
二切れほど続けざまに食べ、絵美子はため息をつく。

オムレツと、ウナギの稚魚のオリーブ炒めが運ばれた時、
絵美子は突然口を開いた。
「私も働けないかしら」
「働くって、茨城で?」
「ううん、東京でよ」
「いいんじゃない」
全く本気にしていないから、
圭はウナギの稚魚をつつく。
フランスパンにのせるようにすると、
オリーブ油ごとしみ込むようになる。
これは圭の大好物だった。
「頑張れば、今の世の中、なんだって出来るわよ」
歯で噛むと、フランスパンはちょうどいい具合にやわらかくなっている。

***
「コーヒーぐらいは飲んでくでしょう?」
「飲む、飲む。コーヒーの他にもなんか食わせてくれよ。
オレ、なんか今朝は腹が空いてるんだ」
「はいはい、目玉焼きでもつくるわ」
バスローブを羽織って圭は起きあがる。

クネッケにオレンジ、それに玉子を二個ずつバターで焼いた。

***

駅前の駄菓子屋で、ケーキを四つ買った。
イチゴ・ショートをふたつと、
シュークリームをふたつ。
この場合、シュークリームは添えものだ。

二人にケーキ四つは多すぎて食べきれない。
しかし、二つだけでは格好がつかない。
シュークリームを入れてもらうと、
ちょうど都合よい箱の大きさになるのだ。

しかもシュークリームは、他のケーキに比べると、
ずっと値段が安い。
絵美子の家でも、
ケーキを買う時はいつもこうしていた。

けれども、いかにも主婦らしいこんなつましさが、ふっと不安になる。
圭に笑われないだろうか。

***

勢いよくビールの栓を抜き、さまざまな肴をつくった。
肴といえば、なにか出さなければいけないのだろうか。
一瞬ためらったが、冷蔵庫を開ける。
ほとんど何も入っていない。
英語で「ダイエット・マーガリン」と書かれた箱が目をひいた。

しかし絵美子は、キッチンをつっ切る時に、
クラッカーと海苔の箱を見ている。
そのクラッカーも"ダイエット"と大きく記されていたが、
構わず使うことにした。

手早くマーガリンを塗り、海苔を乗せる。
その上につくだ煮を置いた。
和風即席カナッペとして、家でよく作っていたものだ。
ほんの一分もかからない。
それを三つ小皿に並べ、ビールと一緒に盆に乗せた。

***
「さやえんどう、ひと袋ちょうだい」
「まいどー」
智英は風邪をひいているという。
えんどう豆でスープをつくったらどうだろうか。

新婚時代、誰でもそうであるように、
絵美子は料理の本をしこたま買い込み、さまざまな料理をつくった。
ポーク・ピカタ、タンシチュー、ビーフストロガノフなど、
それらはカタカナ料理に限られていた。

やがて生活が落ち着き、シチューが焼き魚と煮物にとって替わるようになっても、
絵美子はこうした料理をつくるのが好きだったのだ。

スープには、少し生クリームを入れた方がいいかもしれない。
コンソメの素はあっただろうか。
しかし絵美子は、そのスーパーの中に入っていくことはしない。

***
結局、その夜の圭は、よく喋り、よく笑い、
パスタの他にスズキのグリルまでたいらげたのだ。
そのつけが、今朝こうしてかすかにあらわれている。

***

「いやあ、これはすごいや」
雅彦が歓声をあげた。
絵美子が拡げたアルミホイルの中には、
小さなお握りが並べられていた。
具を上に見えるようにしていたから、
鮭の赤、おかかの茶色と、漬け物の緑と、彩りもいい。

「そんなに言われると恥ずかしいわ」
絵美子は両手をそえて、雅彦がとりやすいようにしてやった。
「娘の学校に、月に二回だけ、お弁当デーというのがあるの。
それでついでにつくったのよ。
あまり物で悪いけど…」

***
パルコのちょうど裏側にある鮨屋は、
七分の入りといったところだろうか、打ち水をした石床の上を、
着物姿の女が、忙し気に立ち働いていた。

「章人さんって嘘つきね」
「何が?」
「汚ないところだなんて言って。
すごく立派なお鮨屋さんじゃない」
「ふつうだよ。ここのいいところはね、握ってくれる前に、
親父さんがいろいろつき出しをつくってくれるところかな」

そう言う間にも、白魚の小鉢が運ばれてきた。
細かく刻んだオクラが入っている。
「絵美子さん、何が好きなの。
好きなものを言ってお刺身を切ってもらったら」
「そう言われても…」
絵美子はショーケースを眺めた。
イクラの赤や、コハダの銀に圧倒されるようだと思った。

林真理子著「満ちたりぬ月」
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by foodscene | 2012-05-28 14:46 | 日本

スイートリトルライズ

どのくらいたくさんの芽が必要だろう。
クッキーを一口かじり、瑠璃子は考える。
台所の隅に置かれた段ボール箱をちらりと見た。

じゃがいもは、夫の郷里の帯広から毎年届く。
茹でたり焼いたり揚げたり煮たりつぶしたり、
ニョッキやパンケーキまでつくって食べても、
夫婦二人では食べきれなかった。

ごつごつした小ぶりのじゃがいもは、
まだ二十やそこらは余っているだろう。
そのうちのいくつかは、そろそろ芽が出始めていた。

***
顔を洗い、さっぱりした様子でやってきた聡が、
皿の上のポーチドエッグをみて言った。
「嬉しいな。落としが食べたいと思ってたんだ」
へんなの、と、瑠璃子は思う。
へんなの。
それならさっきそう言えばよかったのに。

***

午後、瑠璃子は桜のリキュールを使ったお菓子を試作した。
部屋にこもってコンピューターゲームに熱中しているらしい夫に
携帯電話をかける。
「お茶、のみますか」
「え、あ、じゃあいただきます」
緑茶をいれ、桜のムースと一緒に運ぶ。
しずかな土曜日。

***
吉野家はひさしぶりだった。
通勤電車のなか同様、ウォークマンで音楽を聴いたまま食べる。
たいていの客は一人で、雑誌に目をおとしたまま食事をしていた。
玉つきの並盛四百五十円が、特価の三百五十円になっていた。

***
「きょうはお店に顔をだすことになってるの」
薄いトーストにスクランブル・エッグ、ミルク紅茶に桃、
という朝食のトレイを運びながら瑠璃子が言うと、
聡はまず、
「へえ、ひさしぶりだね」とこたえ、
「暑いから気をつけてね」と、つけたした。

***
瑠璃子と登美子はカウンター席にすわり、
牛の腹身肉とオクラのたたきを食べた。

***
夕食には、聡の好きな冬瓜の煮ものがあった。

***
その保養施設は料亭ばりの料理が自慢で、
夕食にはたくさんの皿がならんだ。
かぶら蒸しだの穴子の煮物だの、見馴れないものをすべて残した聡をみて、
瑠璃子は苦笑した。
- おいしいのに。
と言い、
- 聡はほんとうに偏食。
とも言った。

しかしそれでいてその瑠璃子もひどい偏食で、
刺身もステーキも、しゃもたたき鍋も食べられないのだった。
似たもの夫婦なのだと聡は思う。

***
「ちょっと待っててね。いま白玉をつくってたの」
湯の中に白玉をおとす。
小さな鍋のなかにはいくつものこまかい水泡が生まれては立ちのぼってくる。

「これおいしいねー」
うらごししたあんずのシロップと、白玉を一つ口に入れて文は言った。
「これ、どうやってつくるの?」
説明してやると文は最後まで聞き、ふうん、と、言った。
「ふうん。でもいいや、あたしはべつにつくらないから」

***
十分もしないうちに、コーヒーとオムレツ、へたをとったいちごがテーブルにならんだ。

***
小さなバスケットに詰められたサンドイッチは三種類で、
端にピクルスとプチトマトが添えられている。

自分の食事もそこそこに、聡の食べるのを熱心に眺めていたしほは、
「それならいいですけど」
と言って、缶入りの緑茶を一口のんだ。

三種類のうち、ポテトサラダのはさまったやつ
- これだけはなぜか薄茶色の食パンでつくってあった -
がいちばんましだ、と思いながら、
聡は言った。
ピクルスとトマトを残したら、しほは気を悪くするだろうかと考える。

***
登美子の雑誌に、瑠璃子は季節ごとのお菓子の頁を持っている。
きょうは夏のお菓子の撮影で、果物を葛で寄せたゆるいゼリーと、
黒あんを使った揚げ菓子をつくった。

***
あぶら腹身肉とオクラのたたき
- この店での瑠璃子の気に入りのメニュー -
をつつき、ビールをのみおえて時計をみると、
8時になっていた。

***
「ごはんできました」
携帯電話で瑠璃子に呼ばれ、聡は、
「はい」と返事してリビングにいく。
「昼間つくっておいた」というビーフシチュウには、
聡の苦手な緑黄色野菜が、影も形も
- 無論匂いも -
なくなるまで煮込まれていて、
聡の好きな肉とじゃがいもと玉ねぎは、
大きなままちゃんとやわらかくたっぷりと入っていた。

***
青山のそのイタリア料理店には、
会社の連中とではなくしほとでかけた。
二人で食事をすることを愉しいと思い、
しほをいとしいと思ったことは、でもいまは問題ではなかった。

一皿ずつの量がすくなく、
野菜を使った料理が多く、パスタが補足きりりとしていた。
瑠璃子が気に入りそうな店だ、と、あのとき聡は頭の隅でたしかにそう考えたし、
大切なのはそのことだった。

***
それにしても、と、聡はへんな香草をのせてグリルした魚をつつきながら考える。

***
三時間仕事をし、仕事をしながら豚のあばら肉を夕食のために煮込んだ。
部屋じゅうに八角の匂いがたちこめている。
八角という星形の香辛料が瑠璃子は好きだ。
香港にいる気分になる、と、香港にいったことはないが瑠璃子は思う。
かわいた、なつかしい、濃密な匂いだ。

江國香織著「スイートリトルライズ」
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by foodscene | 2012-05-20 16:29 | 日本

天才!

彼らはイタリアでは身体にいいオリーブオイルを使っていたが、
いまではラードで料理している。
イタリアで食べていたピザは、塩とオイルを使った薄いクラスト生地に、
例えばトマトやアンチョビー、オニオンを乗せていた。

だがアメリカでは、パン生地にソーセージやペパローニ、
サラミにハム、ときには卵を乗せている。
ビスコッティや、タラッリと呼ばれる故郷プーリアの代表的なパンは、
クリスマスやイースターのお菓子だった。
ところが、いまでは日常的に食べている。

典型的なロゼト住民の食生活を栄養士に調べさせたところ、
全カロリーのなんと41%が脂肪で摂取されていた。

***
ある夏などは、ネイティブ・アメリカンの保護特別保留地の円錐形のテントで暮らし、
政府が余剰品として放出したピーナッツバターとコーンミールで生きていた。
ネバダ州のヴァージニアに住んでいたこともある。

***
母親はいつも、朝食代
—ニディックスのスタンドでドーナツ3個、オレンジジュース、コーヒー1杯分として
10セント硬貨を渡した。

***

ラドローストリートにある妹の魚屋に出かけ、
ニシンをつけで分けてくれるように頼んだ。
そして、魚の入った樽を歩道にふたつ置き、
樽の間を飛び跳ね、ドイツ語で歌った。

油で揚げて
焼いて
調理して
食べてももちろんおいしい
ニシンはどんな料理にも
どんな階級の人にももってこい!

週の終わりには8ドルを売り上げた。
翌週は13ドル。

***
中国南部の人々の朝食は、
少なくとも食べる余裕のある家族の場合は、
レタスや魚のペースト、タケノコ入りの粥が定番である。
昼食も粥。
夕食は米に”トッピング”。
米は市場で売って生活必需品を買うものだ。
富や身分の尺度でもある。
彼らの労働は米にはじまり米に終わる。

マルコム・グラッドウェル著 勝間和代訳「天才!」
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by foodscene | 2012-05-15 15:39 | ノンフィクション・アメリカ

アメリカの男と女

食生活も変わった。
肉や卵やバターを食べる人は少なくなり、
菜食主義者がふえた。
朝食も昼食も食べない人もいる。

ニューヨークのパーティーでは、
どのくらい短時間の睡眠ですみ、どのくらい少量食べ、
どのくらいの距離を走れるか、が最も頻繁に話題になる。

広告会社ヤング&ルビカムのアートディレクターをしている
24歳のキャシー・クラウチは、毎朝5時半に起き、
セントラルパークに行って自転車を乗り回す。

それから10時間働き、退社後は泳ぎに行く。
夕食後には電車に乗ってバレーボールをやりに出かけ、
深夜まで練習をし、最後にまた泳ぐ。

それでいて、彼女の食事といえば、朝はシリアル、昼はヨーグルトとナッツ、
夜は野菜だけだというのだ。

戯曲家のジャンクロード・ヴァンイタリーは、
乳製品、肉、塩、砂糖、コーヒー、紅茶、酒を一切とらず、
朝食も食べない。
毎月1日、毎年1週間は絶食することにしているという。
そして、毎日ジョギング、重量挙げ、エアロビクス、ヨガをやっている。

この新しい傾向は「新ピューリタン主義」と呼ばれるようになった。

千葉敦子著「アメリカの男と女」
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by foodscene | 2012-05-10 15:01 | ノンフィクション・アメリカ

英国貴族と結婚した私 2

それでも私たちは予定通り、毎日夕方の五時ごろまでに宿に着き、
ソーセージかベーコンに野菜とパンという簡単な夕飯をすませ、
冷たいシャワーを浴びて、おかいこ棚にもぐり込んだ。

そして翌朝は八時ごろまでに起きて、
コーヒーとパンの朝食のあと、
パンにスクランブルド・エッグをはさんだサンドイッチなどを作ってリュックに入れ、
モーターウェイの入口まで歩いてヒッチを始めるのだった。

***

それに反して、人がめっきり少くなった大学の研究室で私は資料をまとめ、
英語で論文を書く準備をしていた。
そしてときどきシーラの車で、
ケンブリッジやサフォークの田舎へ遠出した。
田舎の古いパブやレストランでランチに自家製のパイを食べたり、
スコーンという、パンとお菓子のあいのこのようなものに
ジャムと生クリームをたっぷりつけて食べる午後のお茶を楽しんだ。

***

翌日のクリスマスには、私は長いドレスを着て、
再びイブリンを訪ねることにした。
今度はイブリンのボーイフレンドも一緒に、
そして前夜のドイツ人ともう一人英国女性が加わって、
七面鳥とクリスマス・プディングのごちそうを食べた。

イギリスのクリスマス・プディングには面白い意味があった。
その中にコインを一つ入れておいて焼き、
切ったときにそれに当った人は、一年以内に結婚するというのである。

私たちも試みたが、コインは本当に結婚するはずのイブリンでも、
もしかしたら願っていた私でもなく、
ドイツ人に当った。
プディングを切り分ける前に、たっぷりブランディをかけ、
火をつけてアルコール分をとばすのだが、
一瞬燃え上る青い焰がとても美しかった。

***
Hは料理好きだった。
私たちは一緒に買物に行き、
料理をしては人を招いた。

子羊にニンニクで味をつけてローストした料理とか、
オーブンで焼いたグレープ・フルーツに蜂蜜をかけたデザートとか、
私たちは外でおいしいものを食べるだけでなく、
家でも新しい料理を工夫した。

***

私たちに、美青年が台所でおいしいパテを作ってくれ、
ワインとともにサービスしてくれた。
***

私がもう一つの約束をキャンセルし、食事の招きを承諾すると、
彼は大喜びで台所へ行き、ゆで卵を作った。
私にいくつ食べるかときき、
一つと答えると、私に一つ、自分には二つをゆでて、
トーストとともにテーブルの上においた。
それが夕飯だった。

***

ここの食事は、菜食主義だが、そのメニューは全部、
夫人の手になるものである。
菜食主義といっても、鳥のエサみたいなものとは大違いで、
スープやサラダの種類の多いこと、
おいしいことといったらない。
S夫人は、料理の本も書くくらいだから、
当然のことかもしれない。
パン、ミルク、ジュース、野菜、すべて自家製で、
農園は農業学校を卒業した長男夫婦が経営にあたっている。

***
とりわけ、見事なのはりんごだった。
10本以上あるりんごの木はそれぞれ種類が異なり、小さくて甘ずっぱいコックス、
黄色いデリシャス、大きい紅色のスターキング、
さらにサイダー用や料理用のりんごなど様々だった。

色とりどりに、ずっしりと枝をしなわせた様子は、
まさに一幅の絵だった。
もう真白に霜が降りる10月の早朝、
起きぬけに果樹園へ行って、今朝はどれを試そうかと思案しつつ、
一番おいしそうなのを選び、洗いもしないでパリッとかじると、
肉がしまって甘く、歯にしみるほど冷たかった。
「ここは魔法の国だ」と私は思った。

戦争中から戦争後にかけて、子供時代を飢えですごした私は、
その後も果物はお金を払って買うものだと思っていた。
英国では、プラムもさくらんぼもあんずも、りんごも、
シーズンにはとても安くておいしく、
果物好きには何よりだったが、それでもポケットのお金と相談しつつ、
ほんの少しだけ買うのがそれまでの生活だった。
だから、大好物の果物が庭でとれるなんて信じられないことだった。

***
プラムや梨やりんごは、放っておいても困るくらい実った。
庭からいくら果実がとれても、
とれたことに気付きもしないマイケルに反して、
私はそれを利用することを真剣に考えた。

冷凍できるものは冷凍し、ジャムや瓶詰もたくさん作った。
ラスベリーやカラントのシーズンには、
私は朝から晩までジャム作りをした。

田舎の家に客を招くとき、
一番のごちそうは、夏ならば庭に座って太陽と自然を楽しむことであり、
雨の日や冬の夜には、炉に薪をたいて、その前で一杯飲みながら、
おしゃべりをすることだった。

そんなときの食事は、庭からとってきたばかりの野菜類が主で、
それにシーズンにはキジ、あるいは新鮮な鮭、ムール貝、
子羊のローストなどが加わる。

野菜を作る庭があって贅沢だと人はいったし、
その通りであったが、この贅沢は、座っていてできるものではなかった。
庭から掘ってきたじゃがいもやにんじんの泥を落とし、
キャベツもレタスもきれいに洗って食卓に出すのは、
洗ってある野菜を店から買ってくるほど、簡単ではない。

それどころか、きゅうりも、トマトも、いんげんもちょうど食べごろにとらないと、
たちまちお化けのような大きさになってしまうから、
とれてとれて困るときには友人に分けたり、それでも余れば、
トマトはピュレーに、きゅうりはピクルスに、
いんげんやそらまめは、さっとゆでて冷凍に、と忙しかった。

料理を習ったこともない私が、
自分で工夫してジャムやピクルスを作り、
プラムを青いうちに塩づけにして、梅干しまがいのものを作るのを見て、
みんなは驚いたが、すべては子供時代にやったことの応用だった。

それは戦争のおかげともいえようか。
砂糖の買えない時代、
白いフカフカのパンなど見たこともない時代に育った私は、
残念ながらあまり大きくは育たなかったけれど、
いわば自然食品だけで育てられた子供だったわけだ。

山梨県に疎開していたあいだは、
子供ながら味噌も梅干しも、白菜漬けもタクワンも母が作るのを脇で手伝ったし、
薪でごはんも炊けば、太い不揃いのうどんを母に代わって作ることもした。
おやつには、自家製の干しいもや干し柿、
あるいは庭からとってきたきゅうりやトマトやとうもろこしを食べた。

英国でみんなに羨ましがられる生活が、
戦争中の疎開生活と同じだったとは!

しかし夫のマイケルは、そういった新鮮な食べ物には大した興味を示さなかった。
彼は好きな物が決まっていて、
それさえ食べていれば機嫌がよかった。

好き嫌いも多く、魚はダメ、玉ねぎ、レタス、キャベツの類もダメ、
生野菜も好きではなかった。
子供時代を大勢の乳母に囲まれてすごし、
いつも子供用の食事、お腹をこわさない食事で通した習慣が、
大人になっても抜けなかったらしい。
卵料理か鶏料理、それに、じゃがいも、ほうれん草、豆類、
あとはバナナかりんご、そして甘い物しか食べなかった。

「妻はジャム作りが上手でね」と、みんなに自慢はしたけれど、
私がせっかく作ったジャムも、マイケル本人は決して食べず、
もっぱら「マークス・アンド・スペンサー」印の物にしか手をつけなかった。

マークス寿子著「英国貴族と結婚した私」
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by foodscene | 2012-05-09 16:17 | ノンフィクション・イギリス

アメリカ居すわり一人旅 2

「日本では見たことがないのか(でもアメリカにはあるんだぞ)」
と、優越感を丸出しにした顔で、
「これはアーティチョークという野菜である」
と教えてくれた。
一枚一枚、そのつぼみみたいなものをひきはがし、
その裏についている部分を食べるのである、と、
食べ方まで実演してくれた。

私も真似して食べてみたが、
味はそら豆にそっくりだった。
「まだまだ世の中には、わけのわからぬ食べ物があるわい」
感心しながらアーティチョークを食べている間にも、
延々と三巨頭会談は続いていた。

***

かたつむりの殻から出て、今度はメトロポリタン美術館に行くことにした。
フィフィスアベニューをてくてく歩いていくと、
だんだんおなかがすいてきた。

しかし、パラムスとは違って、ニューヨークはちょっと歩けば、
なにかしら食べ物を売っているからまことに都合がいい。

ファーストフードの店に入り、
オニオンリングフライとコーラを買った。
その店には、白、黒、黄色、いろいろな人々がいろいろな格好をして
むしゃむしゃハンバーガーなんかを食べていた。
私はオニオンリングを食べながら外に出た。

***

カウンターのお兄ちゃんが大きなオーブンから焼きたてのピザを取り出して切り分け、
私に手渡してくれた。
今までこんなにおいしいピザを食べたことがなかった。
生まれてから今までに食べたものを全部ひっくるめて、
おいしいものベスト・スリーを作ってもそのなかにランキングされるくらいの味だった。

私はゲイのお兄ちゃんたちの不思議そうな視線を浴びながらピザをむしゃむしゃと
食べてしまった。
アメリカにはいろんな人がいるので楽しくなった。

もっとここでおのぼりさんをしたかったが、
今日のところはマジメにモーテルに帰ることにした。
物貰いのおじさんや金をせびる少年たちの間をひょいひょいとすり抜けながら、
ファーストフードの店で晩御飯のハンバーガーを買った。

***
そして部屋の隅にはものすごく大きい、
サンドウィッチと飲み物の自動販売機があった。
販売機の窓には、十種類くらいのサンドウィッチが縦に並んでいた。
赤いボタンを押すとグイーンと音がして、
その次に控えている野菜サンドやタマゴサンドが顔を出す、という
しくみなのであった。

私がそのばかでかい自動販売機のまえで何を食べようかと考えていると、
突然へんてこな男がすりよってきた。
そいつは腕を組んで、得意そうに胸を張りながら、
「こんな機械見たことないだろう」
などと、人を小馬鹿にするのである。

「日本にもある!」と反論すると、
今度は私を食堂のすみっこに連れていった。
コーヒーメーカーを示しながら、
「すごいだろう。これはここにカップをのせてボタンを押せば、
コーヒーが出てくる機械なんだよ。
夏は氷も出てくるし、
入れたければミルクだって出てくるんだ。
あ、ところでコーヒーって飲んだことある?」

***
彼女は、「ランチは食べたか」と、きいてきた。
私が首を横にふると彼女は勝手に自動販売機のボタンを押して、
ハムサンドを買い、コーヒーと一緒に手渡してくれた。
お金を払おうとすると、
「いいわよ。そんなの」
と、軽くいわれてしまい、結局、
おばさんにおごってもらってしまった。

***

「やっぱり若人はおひさまの下で、元気に動かなければいかん」
私はターキー・サンドウィッチとコーヒーが入った紙コップをもって、
駐車場に出てみた。

***
翌日、私たちはゾロゾロ連れだって、
車で十分くらい行った、ログ・ハウス風のカントリー・スタイルのレストランに入った。
「ここは夜になると、女の尻目当ての長距離トラックの運転手が集まるのよ。
私たちはランチしか食べにこないわ」
と、フランがいった。

ただ太い木をぶった切っただけのテーブルには、
アルミのバケツに入った、山のようなきゅうりのピクルスがドーンと置いてあった。
ドリー・パートンによく似たウェイトレスが注文を取りにきた。
メニューを見たら、ランチはバーガー・サンドだけだったので少しホッとした。
私は「ツナ・サンド」と大声でいうと、
ドリーちゃんは小声で復唱して手元のメモに書き込んだあと、
「フニャフニャ」と何事か私に聞いた。

注文したらそれですべて終ると思った私は、
「へ?」
といったまま、ボーッとしていた。
「パンはどれにするの?」
隣りに座っていたガハハのおばさんが、メニューを私に見せながらいった。
なるほどそこにはいろいろなパンの種類が書いてあって、
好きなのを選べ、と書いてある。
「ホール・ウィート」
発音に気を付けていうと、
ドリーちゃんはニコニコしながら引き下がっていった。

「ホール・ウィートは体にいいのよ」
おばさんは、私の選択にまんぞくそうにうなずいていった。
そして、ピクルスを備え付けの大型楊枝で刺して、
むりやり私に食べるようにいった。
「ピクルスも体にいいのよ」
私はあまりのすっぱさに背筋をゾクゾクさせながら、
大きなきゅうりのピクルスをボリボリ噛んだ。

長距離トラックの運ちゃん相手のせいか、
あっという間にツナ・サンドが運ばれてきた。
ところが発音に気をつけていったにもかかわらず、
パンは普通の白パンだった。

***
「時間もないし、今日は我慢してそれを食べろ」
といった。
私も「白」だろうが「ホール・ウィート」だろうが、
特に思い入れはなかったので、
「はいはい」とおとなしくそれを食べた。
パンが破れんばかりにツナが入っていて、
さすがの私もお腹がいっぱいになった。

***

おばさんは毎朝元気にホテルに迎えに来た。
そして必ず、
「昨日の夜は何を食べたの」
ときいた。
その頃私はホテルの高くてまずい名ばかりのディナーにも飽き、
例のスーパーマーケットで適当にサラダやパンを買って簡単にすませていた。
腹が一杯になれば何でもいいという気分だった。

野菜不足になってはいけないと、
サラダ用のミニ人参にドレッシングをかけ、
テレビを見ながらボリボリ食べたこともたびたびあった。
正直に話すと何かいわれるに決まっているから、
適当にごまかすと、
「ちゃんと食べないと、大きくなれない」
などという。

***
「さあ、たくさん食べなさい。
話によるとろくなものを食べてないようだから。
ジャンク・フードばっかり食べてちゃだめよ」

彼女はそういって、ガラス・ボールに山のように盛られたレタスのサラダを
でっかい木のフォークとスプーンで引っ掻き回しはじめた。
サラダを食べようとすると誰かの視線を感じた。

***

サラダにはオリーブ・オイルがたっぷりとかかっていて、
サラダを半分しか食べていないのにおなかが一杯になってきた。
それをおばさんは目ざとくみつけ、
「おなかが一杯になったのね」
とつぶやいたかと思うと、突然らくだの肩を掴み、
「あんたがこの子にたくさんジンジャーエールを飲ませるからよ」
とギャンギャン文句をいった。

***
「少し休めば食べられそうだから」というとおばさんは、
そこで体操でもしろなどという。
別に大食い大会をやっているわけでもないのに
面倒臭かったが、せっかく作ってくれたものを食べられないというのでは悪いので、
私はラジオ体操第一をやって腹ごなしにつとめた。

***

サラダのほかはパンケーキにチキンの焼いたのと、
ポテトとグリーン・ピースの煮たものがつけあわせになっていた。
犬たちはチキンを貰って喜んでいた。

***

近くの庶民的なレストランのすみっこで、
私とおばさんとらくだの三人はささやかな晩御飯を食べた。
いつも小さい肉とポテトとサラダ程度のものだった。

***

「帰ってきた日の晩御飯は牡蠣を入れた炊き込み御飯に決めてあります」
と食べ物で日本への郷愁を誘おうと小細工をしている。

群ようこ著「アメリカ居すわり一人旅」
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by foodscene | 2012-05-07 14:14 | ノンフィクション・アメリカ

英国貴族と結婚した私 1

こんな状況の中であったが、出された食事はおいしかった。
ワインも上等だったし、メニューも種類こそ少かったけれど、
3コースで、私が注文したペパーステーキは、肉も柔かく、上手に焼けていた。

***
大きな邸ばかりある静かな通りをぬけると、
小さなマーケット広場に出た。
ゴザや、小さな台の上に果物や野菜をのせて売っていた。

赤みがかった色の、おいしそうなモンキーバナナが、
50本もついていて、一房200円かそこらだったと思う。
それを買い、ついでにライチーも買って、
それが翌日からの私の朝食となった。

あさ黒い肌の、丸い目をした小柄な女性たちは、活き活きとして美しかった。
さまざまな色の、無地や模様のブラウスと長いスカートをはいているのが、
何ともよく似合って優雅だった。

***

バンコックは、人と騒音と色彩にあふれた近代都市だった。
友人の紹介で泊ったホテルには、
山盛りの南国の果物と花が飾っており、
プノンペンのホテルとはうって変わった待遇の良さだ。

もちろん、冷房が入っていて、カンボジアでの睡眠不足をとり戻すのには
最適のようだった。
ロビーでオレンジ・ジュースをたのむと、
大きいグラスに細かく割った氷をいっぱい入れ、
その上に生のジュースを注いで持ってきた。
そのおいしかったこと。

***

食事は、広場に小屋がけしている食堂で、
カレーややきそばを食べた。
家中で働いていて、おかみさんが作る料理を10歳かそこらの子供たちがテーブルに運んでいた。
もっと小さい子供まで、さかんに手伝っていたが、
いかにも誇らしげで微笑ましかった。

夜遅く通りに出る屋台のおかゆも、本当においしかった。
ホテルで食事をする気にはとてもなれなかったものだ。

***
寺院を出ると男は、「面白かったか」ときき、
私が「うん」と答えると、今度は広い境内に、
日本のお祭りとそっくりにたくさん並んでいる屋台やテントへ私を連れて行った。
そして一つ一つのぞきながら、
木の葉に包んだカミタバコや辛いおまんじゅうなどを買ってくれた。

そういえば、バンコック以来、屋台でものを食べたことがなかった。
この国では何だか気持ち悪くてそういう所へ一人で近付けなかったのだ。
私はすっかり楽しくなり、テントの一つに入って夕飯を食べ、
遅くまで男と一緒にほっつき歩いた。

***

台所は簡単なものだった。
水を貯めるための大きな素焼きのカメがいくつかと、
大小の鉄のナベとフライパン、それで全部であった。
料理はガスでした。

盛るのはアルミの皿、弟の奥さんが仕事から戻ると、すぐに台所へ入る。
そしてゴトゴトやっている。
男たち(この家の主人と弟、それにいつも何人かの友人がくっついている)と私は
バルコニーに座ってビールを飲む。

ピリリと辛い、うすい大きいおせんべいのようなもの(パパドム)が出てくる。
もちろん、今焼いたばかりだ。
それを指で割って食べながらしゃべり、かつ飲む。
しばらくしてから、大きな皿に、二、三種類のカレーと白い御飯が出てくる。
しょうがをレモン汁に漬けたもの、小さいみどり色のとうがらしのピクルス(むせるほど辛い)、
ヨーグルトなども出てくる。
それらを各自の皿に少しずつとり分けて、右手の指でつまんで食べる。
手でクチャクチャつかんだり、あちこちべとべとにしてはいけない。
三本の指だけ使って、口に放り込むようにする。

どのカレーもおいしかったけれど、初めは辛くて弱った。
私が口を歪めているのを見て、みんな笑った。
「水をくれ」といったら、
「水を飲むともっと辛く感じる。
ヨーグルトを食べるのがいい」といって、ヨーグルトをとってくれた。
その通りだった。

女たちはGの家でもほかの家でも、
ナベとフライパンだけで見事な料理を作った。
ピクルスもチャトニーもヨーグルトも自家製だった。
Gの従弟の家に招かれたとき、料理を教えてくれるといったので、
喜んで作るところを見せてもらったことがある。

男の料理人が、大きな鉄ナベに玉ねぎのきざんだのを入れてよく炒め、
たくさんの香辛料を入れて、これもまたよくよく炒め、
それから何キロものトマトを入れてとろ火で長いあいだ煮た。
その中に鶏肉なり、ラムなりを入れるのだが、
トマトから出る汁だけで決して水を入れてはいけないと教えられた。

日本では、カレールウを使うのが当り前と思っていたから、
毎日作る何種類ものカレーにこんなに手間と時間をかけていたのかと驚いた。

ここで暮らしているあいだに、何かが私の中で変化していった。
日本では、私も店屋ものをとっていたし、
漬けものでも、つくだにでも、みんな店から買っていた。
ここの人たちのように、食事ごとに平たいパンを焼いたり、
長い時間をかけて料理することなど、私の母でもやらなくなっていた。

しかしここでは女たちが丁寧に料理を作っていた。
男たちもそれを期待して待った。
いつも何人かの友だちや客がとび込んできたが、
女たちは文句をいわずに全員にお腹いっぱい食べさせるのだった。
彼らはそろって夕方から夜中まで、ゆっくり食べておしゃべりした。
テレビはなかった。

料理自体も種類は少かったが、味は上等だった。
ここでは食事をすることが安息につながった。
「忙しく働く女たちはどうなのだ」などと誰も問う者はいない。
女たちは、男たちに食べさせるのを誇りとしていた。
しゃれた料理や飾りがあるわけではなかった。
それはただみんながお腹いっぱいになるように
心をこめて作られた料理だった。

こんな彼らが宝物のように居間に飾っていたのが、
プラスチックのバターとジャムを入れる容器だったからおかしかった。

***

ホテルはラッセル・スクエアに近いタビストック・ホテルだった。
ロンドン大学に近いということで旅行会社が選んでくれたものだ。
私はここに一週間ほど滞在しているあいだに、
英国人の朝食の量にふれ、たいへん驚いたものだ。

ジュースやコーンフレークス、トーストなどのほかに、
キッパーズ(にしんのくん製)やスクランブルド・エッグにソーセージ、
またはベーコンなどをたっぷり食べるのだった。

***

仕方がないから、朝はパンとジャムと紅茶、
昼は大学の近くでサンドイッチ、夜は家でオムレツか、
そんなもの、あとはおいしくて安いりんごか、オレンジをたくさん食べてすませた。

ときおり、Yさん宅にお邪魔して、ほかにも大勢集まってくる独身者たちに奥さんが
たっぷりと作って出してくれるカレーライスをごちそうになった。
この有難さが身にしみたから、
その後自分で家を持ち、お金のゆとりができてくると、
一人で下宿住いをしている人にはいつも声をかけて、
たとえおソバでも、ごはんにみそ汁だけでも食べにきてもらうようにした。

***
友人をたくさん招いて、大騒ぎをするこの種のパーティーは、
大体ブッフェ・スタイルで、
食べものはソーセージやじゃがいもを焼いて大皿にもり、
みんなそれらを勝手にとって食べる簡単なものだった。
飲物は安ワインかビール。

マークス寿子著「英国貴族と結婚した私」
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by foodscene | 2012-05-07 13:35 | イギリス