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農場の少年 8 クリスマス

アルマンゾはインディアンごっこにあきると、アリスとならんで丸木に腰かけ、
ブナの実を歯で割った。
ブナの実は三つ角があって、小さくてピカピカした黄色なのだ。
殻は小さいけれど、なかにはびっしり実がつまっている。
とにかくとてもおいしいので、いくら食べてもあきないほどだった。
アリスはともかく、アルマンゾは、ワゴンが帰ってくるまで、
食べつづけに食べていてもあきないのだった。

***

午後ずっと、父さんたちは肉を切り分けることをつづけ、
ローヤルとアルマンゾはそれをそれぞれの置場に運んだ。

脂身のブタ肉は、地下室の樽のなかに塩にまぶしておさめた。
尻肉と肩肉は、茶色のポーク・ピックルの桶に、
はねかさないようにそっとすべらせて入れた。
ポーク・ピックルは、母さんが塩とメイプル・シュガーと硝石に水をくわえて、
煮たててつくっておいたのだ。
その強い匂いをかぐと、いまにもくしゃみがでそうな気がする。

骨つきあばら肉、背骨、肝臓、舌、そしてソーセージにするこまかい肉は、
ぜんぶ薪部屋の屋根裏に運びあげなければならなかった。
父さんとジョウは、牛肉の四分の一もそこへつるしたのだった。
その肉は屋根裏で凍ってしまい、冬じゅうそのまま冷凍されたままでいるのだ。

晩までには何もかもが片づいてしまった。
フレンチ・ジョウとレイズィー・ジョーンは、
その日の日当にあたらしい肉をもらって、
口笛を吹きながら帰っていった。

母さんは夕食に骨つきあばら肉(スペヤー・リブ)を天火で焼いてくれた。
長くひらたい、反りのある骨にくっついた肉を、
かじったりしゃぶったりするのがアルマンゾは大すきだった。
なめらかなマッシュポテトにかかっているとび色の豚の肉汁もおいしかった。

つぎの週はずっと、母さんと女の子たちは働きどおしで、
母さんはいつもアルマンゾを台所にいさせて、用をいいつけた。

いちばんはじめはラードづくりだった。
豚の脂を小さく切って、ストーブにかけた大きな鍋で煮たてる。
脂がとけきると、母さんは白い布で漉して、よく澄んだ熱いラードを大きな石の瓶に流しこむのだ。

母さんがラードをしぼりきると、布のなかには、
カリカリした、茶色のしぼりかすが残る。
アルマンゾは、すきを見ては、それをふたつ三つつまんでこっそり食べるのだ。
母さんは、油っこすぎるからと、アルマンゾに食べさせてはくれないのだった。
母さんは、このしぼりかすを、トウモロコシパンの味つけにするのにとっておくのだ。

つぎに、母さんは頭肉チーズをつくった。
母さんは、まず、六つ分の頭を、肉が骨からはなれるまでよくゆでた。
その肉をこまかくきざみ、味つけをして、そこへゆで汁をくわえて、
六クォート入りの平鍋に流しこんだ。
よくさめると、プルプルしたジェリイのようになる。
骨からゼラチンがでるからだった。

つぎに、母さんは、ミンス・パイなどにつかうミンス・ミートをつくった。
牛肉と豚肉のくず肉のなかでいちばんいいところをよって、
ゆでてからごく細かくきざんだ。
それに、レイズンや香料や砂糖や酢やリンゴのきざんだものにブランデイもいれてよくまぜあわせ、
大きな瓶ふたつに、そのミンス・ミートをつめた。
匂いだけでもすばらしくおいしそうなのを、ボールにくっついて残ったのを母さんは
アルマンゾに食べさせてくれた。

母さんがそうやってつぎつぎにいろいろつくっている間にずっと、
アルマンゾはソーセージにする肉を挽いていたのだ。
山のような肉のきれっぱしを、あとからあとから肉挽き器のなかに押しこんでは、
ぐるぐる、ぐるぐる、何時間もハンドルをまわしつづけていた。
やっとそれが終わると、アルマンゾはやれやれという気がした。

母さんは、その肉に味つけをして大きな玉にまるめた。
アルマンゾはその玉をぜんぶ薪部屋の屋根裏まで運んで、きれいな布の上に積みあげさせられたのだった。
冬じゅう、ソーセージはそこで凍っていて、
毎朝、母さんはその玉のひとつをいい形に切り分けて、朝食にいためてだすのだ。

***
台所には、おいしそうな匂いがたちこめていた。
焼きたてのパンが台の上でさましてあり、食料部屋の棚には、粉砂糖で飾ったケーキや、クッキーや、
ミンス・パイやアップル・パイがならんでいるし、ストーブの上ではツルコケモモの実がグツグツ煮えていた。
母さんは、ガチョウのローストにかける特別のソースをつくっていた。

***
アルマンゾは、もう一度靴下に手をつっこんで、
五セントはするにがはっかあめ(ホアー・ハウンド・キャンディー)の束をひっぱりだした。
その一本の先をかじってみる。
外側はカエデ糖のようにすぐ口のなかでとけてしまったが、なかはかたくて、
いくらなめてもなくなりそうもなかった。

つぎに出てきたのは、あたらしいミトンだった。
母さんは、手首と甲は、手のこんだ編みかたをして仕上げてくれたのだ。
そのつぎにはオレンジが、そして、そのあとから干しイチジクの小さな包みが出てきた。
**

クリスマスの日なので、感謝の祈りはいつもより長かった。
けれど、とうとうお祈りもすみ、アルマンゾは目をあけることができた。
そのまま、だまってテーブルをじっと見つめている。

藍色の大皿にのって、口にリンゴをくわえた、カリッと焼きあがった小豚をまず見つめる。
足をぐっとつきたてた、よく肥えたガチョウと、それにかけたとろっとしたソースの端っこが
大皿にひろがっているのを見つめる。
父さんが砥石でナイフをとぐ音がきこえると、ますますおなかがすいてきた。

こんどは、大きな鉢にはいったツルコケモモのジェリイや、
マッシュポテトのふわふわした山にバターがとけて流れていくのをながめた。
山のような大カブのマッシュ、金色の、天火で焼いたカボチャ、それにうす黄色のパースニップのいためたのも見る。

アルマンゾは、ぐっとつばをのみこみ、もう見るのをやめようと思った。
でも、リンゴとタマネギのいためたのや、砂糖煮のニンジンなどがどうしても目にはいってくる。
それに、自分のすぐ前におかれた、三角に切ったパイには目が吸いよせられてしまうのだった。
香料のきいたパンプキン・パイ、とろっとしたクリームのパイ、
ミンス・パイの何枚も何枚も重なった皮の間からは、
こってりした濃い茶色のなかみがはみだしている。

アルマンゾは、両手を膝にはさんで、ギュッとしめつけた。
黙ってじっと待っていなければならないのだが、
おなかの虫がキューキュー鳴っているのだ。

テーブルの上座にすわったおとなたちに、先に料理を盛りつけるのがきまりだった。
おとなたちは、手から手へお皿をわたし、しゃべったり、
アルマンゾの気も知らないで、笑ったりしている。
父さんの大きなナイフが動くたびに、やわらかい豚肉がひと切れずつ大皿におちた。
ガチョウの白い胸肉が切りとられてゆくのにつれ、
骨がだんだん見えてくる。
すきとおったクランベリイのジェリイをスプーンが容赦なくすくいあげ、
マッシュポテトのなかにもぐってつっこまれ、茶色のグレイビイもどんどんへっていく。

やっと、アルマンゾのお皿に盛りつけてもらえた。
ひと口ほおばっただけで、なんともいい気分がからだのなかにひろがり、
夢中で食べつづけている間、ますますそれは強まっていった。
アルマンゾは、もうこれ以上はむりというほど食べつづけ、
満ちたりた気分でいっぱいになった。
それでもまだ、しばらくふたつめのフルーツケーキをちょびちょびかじっていたが、
その食べかけをポケットにつっこんで、外にあそびに出ていった。

***
アルマンゾはだまって食べつづけていた。
もちろん、父さんたちの話をきいてはいたが、
ロースト・ポークとアップル・ソースの味を、たっぷり楽しんでいたのだ。
冷たいミルクをぐうっと飲み、ふうっと息をつくと、
ナプキンを衿もとに押しこみ、パンプキン・パイに手をのばした。

金茶色のカボチャの、香味と砂糖で濃く色がついた、
プルプルしている三角の先っぽをフォークで切りとった。
それは舌の上でとろっととけ、口も鼻も香味のいい匂いでいっぱいになった。

ワイルダー 恩地三保子訳「農場の少年」
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by foodscene | 2012-09-11 16:49 | アメリカ

輝ける日々

しばしば彼は夜遅く、リハーサルの後などに、真夜中、
バンドのメンバーたちとやって来た。
そして、スクランブルドエッグを注文した。
彼は、私が作るものを気に入っていたのである。

それは、チーズを溶かしこみ、固まる前にさっと仕上げるトロトロの卵料理だった。
一度に一ダースの卵を使ったものを、さあ、食べなよと、彼は皆にすすめた。
他の人たちが残すと、彼はそれをかき集めて平らげ、
うちの母さんは料理がすごくうまいと言った。

料理がうまいなどと私を褒めるのは全人類の中でニックだけよと言いかけたけれども、
彼を失望させたくないので、そのセリフをのみこんでしまった。
また彼は、私が作るフレンチトーストとタコスが好きだった。
でも、最も好きだったのは、スクランブルドエッグだった。

彼がたまに家にいる時、私たちは夜遅く階下に下りて行き、
料理をしたものである。
いつも私はあなたのそばにいるよ、そう感じさせてやりたかった。
そして、たいてい私はそばにいたのだが、私たちにとって真夜中のキッチンは語り合う場であり、
時間を共有する場であった。

ダニエル・スティール 畑正憲訳「輝ける日々」
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by foodscene | 2012-09-11 16:11 | ノンフィクション・アメリカ

スティーブ・ジョブズ 2

リージーはフライパンを持参し、ベジタリアンのオムレツを作った
(このころジョブズは、絶対菜食主義を少しひかえていた)。

***
それでも、この不運なマネジャーが選んだレストランへの反応に比べればずっとましだった。
絶対菜食主義の料理を要求したジョブズに、
ウェイターはサワークリームたっぷりのソースがかかった料理を出してきたのだ。

***

しかしジョブズは、彼らしいといえばそうなのだが、
もらったプレゼントをすべてホテルの部屋に置いて帰ってしまう。
なにひとつ、持ち帰らなかったのだ。

ウォズニアックをはじめとする古参のアップル社員のなかには、
パーティーで出されたヤギのチーズとサーモンのムースなどが口に合わず、
パーティー後にみんなでデニーズに出かけた人もいた。

***
夜の冷気が身にしみるようになると屋内に移動し、
家具がほとんどない部屋で暖炉のまわりに集まった。
カードテーブルの上には、お抱えの料理人が全粒粉で作ったベジタリアンピザがある。
マークラは、近くで穫れたチェリーを箱から直接つまんでいた。
ジョブズがいつも用意しているオルソンのチェリーだ。

***

どれほど細かな点も細かすぎることはなかった。
招待者のリストもランチのメニュー
(ミネラルウォーター、クロワッサン、クリームチーズ、豆もやし)も、
ジョブズ自身がチェックした。
***

「リサにはとても優しくて。
スティーブはベジタリアンだしクリスアンもそうでしたが、
リサは違いました。
それでもよかったらしくて、チキンを頼んだらどうだいなんて言ってましたよ」

チキンは、ベジタリアンで自然食品を神聖視する両親のあいだを行ったり来たりするリサにとって
ささやかなぜいたくとなった。
当時について、リサはのちにこう書いている。

「食料品は、いつも、髪を染めた人が見当たらない、酵母のにおいがするお店で買っていました。
ブンタレッラとか、キノアとか、セロリアック、キャロブナッツなどです。
でもときどきは変わったものも試してみました。
チキンがずらりと串焼きにされているお店で香辛料が効いた熱々のチキンを
紙袋にいれてもらって車に戻り、手づかみで食べたりしたのです」

父親は自分が食べるものにもっと厳格で、狂信的とも言えるほどだった。
バターが使われているとわかってスープを吐き出すのを見たことがあると言う。
***

ジョブズはリサを連れて東京へ行き、機能美にあふれたホテルオークラに泊まったことがある。
エレガントな寿司店で、ジョブズは穴子を頼んだ。
大の好物で、これだけはベジタリアン側に入れている一品だ。
穴子は塩とたれ、2種類が出てきた。
温かい穴子が口のなかで崩れるほろりとした感覚をいまもよく覚えているとリサは言う。
穴子といっしょにふたりの距離も崩れていった。

「乳といてあれほどゆったり落ちついた気分になったのは、
穴子のお皿を前にしたあのときがはじめてでした。
冷たいサラダのあとの温かな許し、度を過ごしたのは、
閉ざされていた部分が開かれたことを意味します。

すてきな天井のもと、小さな椅子に、穴子があって私がいて、
父は自分を少し緩めていたのです」

***
ウェディングケーキは、ヨセミテ渓谷の端にある花こう岩の峰、
ハーフドームの形をしていた。
ただし、絶対菜食主義のレシピで卵や牛乳なども使わないものだったため、
とても食べられないと思った人が多かった。
***
料理は高名なシェフのアリス・ウォーターズで、スコットランドのサーモンのほか、
クスクスや庭で育てたさまざまな野菜が供された。
***

結婚して子どもが生まれても、ジョブズは怪しげな食生活を変えなかった。
レモンを搾ったにんじんサラダだけ、
あるいはリンゴだけなど、同じものを何週間も食べたかと思うと
それを放り出し、なにも食べないと宣言する。

そして、ティーンエイジャー時代と同じように断食に入り、
それがいかに優れているのかをテーブルでしきりに講義するようになる。

パウエルも結婚したころからベジタリアンだったが、
ジョブズの手術後は、魚などのタンパク源を家族の食事に取り入れるようになった。
その結果、ベジタリアンだった息子のリードは熱烈な"雑食"主義者になったという。

皆、父親にとってさまざまなタンパク源が大事だとよく理解していた。

このころ、ジョブズの食事は、多才でおだやかな料理人、
ブライヤー・ブラウンに作ってもらうようになる。
アリス・ウォーターズの有名レストラン、
シェ・パニーズで働いたこともあるシェフだ。

毎日、午後になるとやってきて、パウエルが庭で育てたハーブや野菜を使って
壮観で健康的なディナーを作った。
にんじんサラダ、バジルパスタ、レモングラススープなど、
ジョブズが食べたいと思ったものがあれば、それがなんであろうと、
黙って根気よく作ってくれる。

ジョブズは昔から食べ物にはうるさく、
一口で至高か最悪かに分けてしまうことが多い。
ふつうの人には区別がつかないアボカド2個を食べて、
片方は史上最高のアボカド、もう片方は食えたものではないと評したこともある。
***

ニューヨークに行ったとき、ジョブズはニューヨークタイムズ紙の経営幹部50人とアジア料理のレストラン
「プラーナ」の、ワインが並ぶ個室でディナーをともにした
(ジョブズが注文したのはマンゴースムージーとシンプルな野菜パスタ。
どちらもメニューにはない品だ)。

***

プレゼンを終えたジョブズは元気で、妻とリード、そしてリードの友だちであるスタンフォード大学の学生ふたりとともに
フォーシーズンズホテルでランチを取った。
私も同席した。

いつもと違ったのは、彼が食べていたこと—
やはり、なんだかんだと料理に難癖はつけるのだが。
ジュースは搾りたてを頼んだのに瓶詰めじゃないかと3回も換えさせたし、
パスタプリマベーラも食えたものじゃないと一口でやめてしまった。

でも、私のクラブ・ルイ・サラダを半分横取りしたあと、
結局、ひとり分を頼んで全部食べたし、最後にアイスクリームも食べていた。
客の望みを徹底的にかなえようとするこのホテルは、
ジョブズの口に合うジュースさせもなんとか作ることに成功した。

***
午前の中途半端な時間に、ジョブズは、なにか食べたいと言い出した。
自分で運転できるほどの元気はなかったので、
私が車に乗せ、ショッピングモールのカフェまで連れて行く。
カフェは閉まっていたが、時間外にジョブズがノックするのはいつものことらしく、
主人はにこにこしながら我々を招き入れてくれた。

「僕を太らすんだって彼がうるさくてね」
とジョブズはご機嫌でオムレツを頼んだ。
良質なタンパク源として卵を食べろと医者に言われているからだ。
***

ケータリング会社が提案してきたメニューをドーアからもらうと、
小エビ、タラ、レンズ豆のサラダなどは派手すぎるとして
「ジョン、君らしくないよ」などと反対した。

クリームパイにトリュフチョコレートをあしらったデザートにはとくに強く反対したが、
これは、大統領の好物だとしてホワイトハウスの先発チームが異議を却下した。

すっかりやせてしまったジョブズはすぐに体が冷えてしまうからと、
ドーアがしっかり暖房を効かせたせいで、
ザッカーバーグが大汗をかくという一幕もあった。
***

「無理にでも食べてほしいと思い、家の中はすごい緊張に包まれていました」
毎日、午後になるとブライヤー・ブラウンが来ては
健康的な食事を用意してくれるが、
ジョブズは舌先をちょっとつけただけで食べられないとやめてしまうのだ。

ある夜、
「小さなパンプキンパイなら食べられるかもしれない」
そう、ジョブズがつぶやいた。
穏やかなブラウンは、たった1時間でおいしそうなパイを焼き上げる。
そのパイをジョブズは一口しか食べられなかったが、
それでも、ブラウンは震えが走るほどうれしかったという。

ウォルター・アイザックソン 井口耕二訳「スティーブ・ジョブズ」
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by foodscene | 2012-09-08 16:20 | ノンフィクション・アメリカ

スティーブ・ジョブズ

もう1冊、大学1年のジョブズに大きな影響―大きすぎる影響かもしれない―を与えた本がある。
フランシス・ムア・ラッペの『小さな惑星の緑の食卓ー現代人のライフ・スタイルを変える新食物読本』だ。
この本では、菜食主義が個人にも地球にも大きなメリットをもたらすと絶賛されていた。
「あのとき以来、僕は肉をほとんど口にしなくなった」だけでなく、
この本に影響され、浄化や断食、あるいはにんじんやリンゴなど、1~2種類の食べ物のみで
何週間も過ごすといった極端な食事をすることが増えていった。

ジョブズもコトケも、1年生のときにベジタリアンとなった。
「スティーブのほうが本気で取り組んでいました。
ローマンミール社の自然食系シリアルで暮らしていましたから」
ふたりは農協で、1週間分のシリアルや健康食品などを買い込んだ。

「スティーブはナツメヤシやアーモンドを箱で買っていました。
ジューサーを持っていたので、にんじんも大量に仕入れてジュースにしたり、
サラダにしたりして食べていました。
にんじんの食べすぎでスティーブの肌がオレンジ色になったという話がありますが、
ある程度は本当なのです」

20世紀初頭、栄養学の普及を熱狂的に推進したアーノルド・エーレットの
『無粘液食餌療法』を読んで、
ジョブズはますます極端な食事をするようになってゆく。
果物と、デンプンを含まない野菜しか食べないのが最善、
そうすれば有害な粘液ができないと信じ込んだのだ。

また、長期にわたる断食をときどきおこない、
体内を浄化すべきだとも考えた。
つまり、ローマンミールのシリアルもだめなら、お米もパンも穀類も、
牛乳もだめなのだ。
友だちにも、ベーグルを食べると粘液ができて危ないぞと言いはじめる。

ウォルター・アイザックソン 井口耕二訳「スティーブ・ジョブズ」
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by foodscene | 2012-09-08 15:42 | ノンフィクション・アメリカ

妻と私

その晩の食事は、松本楼で取ることにしてあった。
日比谷公園の松本楼が、海軍と縁の深い西洋料理屋だったことは家内も知っていて、
テイク・アウトのカレーライスを買って来たことがある。

「九十歳の老総督のために、お嫁さんが買いに来たと、
先方ではきっと思っていたわよ」
と、そのとき家内はいたずらっぽい顔でいったものだった。

松本楼のフランス料理は、少々古風だが悪くなかった、と、
少くとも私はそう思っていた。

***

それがほとんど唯一の息抜きで、眠れようが眠れまいが
朝は六時過ぎには起床し、七時に食堂が開くのを待ち兼ねて朝食を取り、
そのあいだにランチ・ボックスを作ってもらって、
八時少し舞えには病室に到着する。
そこで夜の附添婦と昼間の附添夫である私とが交替し、
それから十時間病室にいる。

ランチ・ボックスは、バターと苺ジャムのサンドウィッチにピクルス、
それにゆで卵二個という至極簡単なもので、
私はそれを「コロスケ・ランチ」と呼んでいた。

家内と私との共通の幼時体験に、
「仔熊のコロスケ」という漫画がある。
そのなかで、コロスケが苺ジャム付きの食パンを食べている一コマが実に旨そうで、
家内も私も以前から鮮明に覚えていた。

その「コロスケ・ランチ」を持って、
附添夫の私が毎日現れる。
どうだい、面白いだろうと、私は家内の反応にはお構いなく、
勝手に面白がってみせた。

江藤淳著「妻と私」
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by foodscene | 2012-09-01 15:02 | ノンフィクション日本