アメリカ居すわり一人旅 1

オンボロワーゲンをバスバスいわせて到着したのは、
実家の近所の「来々軒」そっくりの小さな店だった。
デコラのテーブルが7つに汚ない丸イス。

スーツ姿のウエイターではなく、
黒ブチ眼鏡に白いうわっぱりの中国人のおじちゃんが、
メモ片手に注文をとりにきた。
私たちが席についてからとたんに混みはじめ、
店の外にはずらーっと人の列ができた。

アルミの楕円のお皿に山のように料理が盛られて、
テーブルの上に登場した。
そのうちのひとつには、今までみたことがないでかい菜っぱが、
ぎとぎとの油のなかで、ちゃぽちゃぽ泳いでいた。

「おばちゃん、私、この菜っぱ食べたことがない」
私は感動してこの菜っぱを食べた。
油のなかにどっぷりつかっているのに、全然しつこくない。

私は日本に帰って何年かのち、この菜っぱがチンゲン菜だったことを知った。
次はエビが山のようにでてきた。
モーテルのザリガニとは違い、ちゃんとおいしいエビの味がした。

我を忘れてむさぼりくっていると、どうも視線を感じる。
ふと横をみると、家族連れが私が箸を使うのをじーっと見ている。
よくわかるように、ぱかぱかと動かしてみせると彼らは大きくうなずき、
手にしていたフォークを捨てて、おじちゃんに箸を持ってこさせた。

その中華料理店は大正解だった。
特に魚介類はおいしく、最後に大きな焼きハマグリが、お皿に山になって登場したときには、
あまりのうれしさで失神しそうになった。

登場した料理をすべてたいらげ、しばしのけぞっているかたわらで、
隣りの家族は指をひきつらせながら、箸をつかうのに一生懸命だった。
魚を少しずつ口にはこんでいたが、
つまむというよりも身をほじくり出しているといったほうがよかった。

***

実は彼らは食べおわった皿をかたづけたり、ジャスミン・ティーをつぐために
にじりよってきたのであった。
しかし、オレンジ色のスーツを来た無表情の男たちにかこまれ、
食べおわるはしから手をのばして皿をさげられたら、
ゆっくり味わってもいられない。

味はどれもこれもケチャップの味がして異常に甘い。
エビのチリソースのなかに、
輪切りになったパイナップルが入っているのにはたまげた。
客がいないのもわかったような気がした。

***
ここは一発、
「ポテト!!」
のひとことで、バッチリ決めてやろうと待っていた。ところが、
「イレブン」
と番号を呼ばれ、
「ポテト!! ハーフポンド!」
と叫んでも、全然通じない。
私が目をつりあげて、
「ポテト、ポテト」
とわめいても、係のお兄ちゃんは、
「イレブン、イレブン!イレブンは何をしている」
と、あらぬ方を見て少し怒っている。

「わーん、どうしよう」
とうろたえていると、突然まわりから、
「ポテト!ハーフポンド!」
という大声がした。
私がうろたえているのを見ていたまわりの奥さんたちが、
すかさず私のまわりに注文してくれたのだ。
おかげさまで、私は無事に半ポンドのポテトサラダを手にすることができた。

「どうも、どうも。
みなさん、サンキューベリマッチ」
私は頼みもしないのに助け舟を出してくれた、
体格のいい奥さん方にペコペコ頭をさげた。
みんなニコニコ笑って、いいのいいのというふうに、手を振ってくれた。
「この町の人は、いい人ばっかりだ」
私は気分がよくなり、パンとジンジャーエールを買って外にでた。

***

部屋にもどって、むさぼるようにしてパンとポテトサラダを食べた。
今後の食生活があやぶまれるような味であった。
「まず、食べ物をなんとかせねばならんなあ」

***

あたりは薄暗くなってきた。
私はあわてて夕食用にクレープ屋で安売りしていた箱入りのクレープを買って帰った。

また忍者小走りスタイルでロビーをかけぬけ、
部屋に戻ってクレープの箱を開けた。
中からは、これまた今までみたことがないクレープが顔をだした。

ふつうクレープというのは黄色くふんわりしたものだが、
それは色が黄色とモスグリーンのだんだらになっていた。
そのうえ粉砂糖が雪のようにふりかけてあって、
不気味な様相を呈していた。
「そうだ、人生はトライだ!」
ここにきて、食事をするたびに、何度となくこの言葉をつぶやいたような気がする。

私は少し時間がたってぺったりしているクレープにガブリとかみついた。
口の中でもぐもぐやっても味がしない。
もう一口、今度はモスグリーンの部分にかみついた。
ところが口にいれたとたんものすごい味。
ゲーッとなったままよくそのクレープの正体をみると、
中にホウレン草のきざんだのが入っているではないか。
それもこのあいだのサラダと同じようにアクぬきをしていないらしく、
舌がじんじんしてきた。

「アメリカ人はどういう味覚をしているのだ」
クレープの中には、クリームとかジャムをいれるものである。
野菜だってなんでもかんでもいれていいわけがない。
それなのに堂々とアクぬきすらしていないザク切りの生のホウレン草を入れ、
きれいにたたんで上に砂糖をふりかける神経は理解できなかった。
あの店で残っていたところをみると、
地元のみなさん方にも受け入れられない代物だったのかもしれない。

衝動買いのおかげで夕食にあぶれた私は、
自動販売機でチョコ・バーとジンジャーエールを買って
ごはんのかわりにした。
物があふれている国に来たにしては、
相当ひどい食生活であった。

***

そうこうしているうちに、テーブルの上にはステーキと、
ベークドポテト、サラダが運ばれてきた。

「落ち着け、落ち着け」
とつぶやきながら、料理に手をつけた。
まずステーキを切った。
うまくいった。

フォークに刺して口に入れようとしたら、
もうちょっとのところでボロっと下に落ちた。

群ようこ著「アメリカ居すわり一人旅」
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# by foodscene | 2012-04-23 13:41 | ノンフィクション・アメリカ

走ることについて語るときに僕の語ること

ボストンでの生活には、生ビール(サミュエル・アダムズのサマー・エール)と
ダンキン・ドーナッツは欠かせないものだが、
それでも日々の執拗な運動がものを言うのだ。

***

8月14日、日曜日。
朝のうちに、カーラ・トーマスとオーティス・レディングの音楽をMDで聴きながら
1時間15分走る。
午後にはジムのプールで1300メートルを泳ぎ、
夕方にはビーチに行って泳ぐ。

そのあとでハナレイの町の入り口近くにある
「ドルフィン・レストラン」でビールを飲み、
魚料理を食べる。
ワルー(Walu)という白身の魚だ。
炭火焼きにしてもらい、醤油をかける。
つけあわせは野菜のケバブ。
大きなサラダがついてくる。

***

暑すぎないし、寒すぎない。
長距離を走るにはまず理想的なコンディションだ。
ゼリー状の栄養剤を2つ流し込み、
水分を補給し、バターつきのパンとクッキーを食べた。

村上春樹著「走ることについて語るときに僕の語ること」
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# by foodscene | 2012-04-23 13:12 | ノンフィクション日本

南仏プロヴァンスの12か月

というわけで、数マイル離れたラコストのレストラン<ル・シミアーヌ>の主人が
馴染みの客に料理六品とピンク・シャンパンの昼食をもてなすと聞いた私たち夫婦は、
これこそ一年のはじまりを祝うにふさわしい耳寄りな話といそいそと出かけて行ったのだ。

12時半にはもう、こぢんまりとした石造りの店はいっぱいだった。
健啖を競うとなればいずれ劣らぬ猛者揃いと見受けられる家族連れの客もいた。
毎日2時間ないし3時間は食べる歓びに専心するためでもあろうか、
みなおしなべて丸々と肥え太ったその家族は、
私語を慎んでテーブルに目を伏せ、店の主人が掌るフランス好みの儀式に神妙に
付き合っていた。

店の主人がまたかなりの巨漢でありながら、
宙を舞うがごとくにテーブルからテーブルへと渡り歩く術を心得た男で、
この日はヴェルヴェットのスモーキングジャケットにボウタイという晴れ姿だった。

ポマードで塗り固めた口髭をふるわせて、
彼は思い入れたっぷり、節をつけてメニューを読み上げた。
フォアグラ。ロブスターのムース。
ヒレ肉の包み焼き。消化の良いデザート。そして食後酒。

メニュー紹介は主人がテーブルごとに歌って聞かせる美味礼賛のアリアだった。
そのつど、彼は自分の指先に接吻したが、
あれでは店中をまわり終る頃には唇が摺りむけてしまうのではないかと
他人事ながら気になった。

「ボナペティ!」どうぞごゆっくり、と主人が紹介を締めくくると、
店内はしんと静まり返り、
寛いだ雰囲気の中で客たちはおもむろに食事にとりかかった。

*****

プロヴァンスの夏の豊富な食べ物はよく知られている。
メロン。モモ。アスパラガス。クルジェット。ナス。コショウ。トマト。
ニンニクをきかせたアイヨリにブイヤベース。
緑の濃淡も鮮やかなレタスを敷いて、オリーヴ、アンチョヴィ、ツナ、茹で卵、
土の香のするジャガイモの薄切りをのせ、オリーヴ油のドレッシングをたっぷりかけた山盛りのサラダ。
新鮮や山羊のチーズ….。

イギリスのレストランのみすぼらしいメニューを前にするたびに
私たちはプロヴァンスの人々の豊かな食生活を思い出して羨望やみ難く、
憧憬は募るばかりだった。
冬は冬でまた別の、味にかけては勝るとも劣らない料理があろうとは、
私たちは思ってもみなかった。

プロヴァンスの冬のご馳走は農家の家庭料理である。
丹精込めて作られる田舎料理は腹持ちがよくて体が暖まり、元気が出て、
満たされた気持で寝につくことができる。
都会のレストランの盛りつけに凝った小粋な料理にくらべたら、
必ずしも見た目はよくないかもしれないが、
ミストラルが肌を刺す極寒の夜は何といってもこれに限る。

ある晩、近くの知人が私たちを夕食に招いてくれた。
その家まで、わずかな距離を行くにも思わず小走りになるほどの寒い夜だった。

ドアを潜るとたちまち眼鏡が曇った。
億の壁いっぱいを占めるような大きな暖炉に火が赤々と燃えている。
眼鏡の曇りが消えて、見るとチェックの布をかけたテーブルに十人分の席が設けられていた。
親しいご近所や親類筋が集まって私たち夫婦を品定めしようという趣向である。
片隅のテレビはつけっ放しで、キッチンからはラジオの音が洩れていた。
何匹もいる犬や猫たちは客が来るとそのつど外へ追い出されたが、
次の客にあやかってまたちゃっかり入り込んだ。

早速、飲み物が運ばれてきた。
男にはウイキョウの香をつけたパスティス、
女にはよく冷やした甘いマスカット・ワインだった。

***

生涯忘れることのできない食事だった。
胃袋の容量を超える献立といい、かかった時間の長さといい、
桁はずれとはこのことで、正しくは、生涯忘れることのできない何回分かの食事だった。

はじめに自家製のピザが出た。
それも一種類ではなく、アンチョヴィ、キノコ、チーズの三通りで、
どれも必ずひと切れは食べなくてはならないこととされていた。

テーブルの真ん中に置かれた二フィートはあろうかという棒状のパンをてんでにちぎって皿を拭くと、
次の料理が運ばれてきた。
ウサギとイノシシとツグミのパテ。
豚肉の角切りをマールブランデーで味つけしたテリーヌ。
コショウの実の入った大きなソーセージ。
新鮮なトマト・ソースに泳がせた甘みのある小さなタマネギのマリネ。

これを平らげてまたパンで皿を拭くと、今度はカモ料理だった。
マグレを扇形に並べてうっすらとソースをかけたところはいかにもうまそうで、
何やら洒落た新種の料理かと見紛うばかりである。
実際、これほどの料理はそんじょそこらでお目にかかれるものではない。
胸肉も脚もそっくりそのままで、まわりに天然のキノコをあしらい、
濃い目のグレイヴィがまた格別の味だった。

やっと残さず食べきって、やれやれと椅子の背にもたれたのも束の間で、
みんながまたぞろ皿を拭き、
そこへ熱い湯気の立つ大きなキャセロールが運ばれて来た時には、
私たちは驚きうろたえ、声もなくただ目を瞠るばかりだった。

当家のマダムご自慢のウサギのシヴェ(シチュー)で、
ほんのひと口という私たちの哀訴もやんわり笑って黙殺された。
私たちはシヴェを食べ、さらにニンニクとオリーヴ油で揚げたパンとグリーン・サラダを食べ、
山羊のチーズの大きな塊を平らげ、その上、
娘さんが腕をふるったアーモンドとクリームのガトーを詰め込んだ。
イギリスの名誉にかけて、私たちは食べた。

コーヒーとともに、ひしゃげた酒瓶がいくつかテーブルに並んだ。
消化を助ける薬用の地酒であるという。
胃袋にまだ多少なりと余裕があったとしても、そこへこんなものを流し込んだら
心臓が破裂してしまうに違いない。

しかし、主人は頑として私の辞退を認めず、十一世紀の頃、
低地アルプス地方の修道僧たちが編み出した処方に従って調合した一服を
飲めと言って聞かなかった。

***

プロヴァンスの標準からいっても、決してこれが毎日の食事ではない。
地に働く人々は昼しっかり食べて、
夜は簡単に済ますのが普通である。

健康のためには実に理にかなった結構な習慣だが、
私たちにはこれがなかなかむずかしい。
この土地に暮すようになって私たちは、
昼食がうまければうまいほど、夜はますます食欲が湧くことを知った。
驚くべきことである。

食べ物が豊かな土地で、男と女の別なく食べることに異常なまで執念を燃やす人々に囲まれて
暮しているせいもあるだろう。
例えば、肉屋は肉を売るだけではない。
私たちの後ろに客の列が長く伸びるのもお構いなしで、その肉をどう料理して、
盛りつけはこう、付け合わせには何、酒はこれこれ、
とことこまかに講釈しないと気が済まない。

はじめてこれを体験したのは、ペプロナータと呼ばれるプロヴァンス風シチューにする子牛の肉を
仕入れにアプトへ出かけた時のことである。
私たちは人に薦められて、料理の名人で職人気質と評判の高い旧市街のその肉屋を訪ねた。

肉屋夫婦は揃って大柄で、私たち二人が土間に立つと、それだけでもう小さな店はいっぱいだった。
主人は料理の目論見を説明する私たちの言葉に熱心に耳を傾けた。
そういう料理を知っているか、と私は言わずもがなのことを言った。

主人は憮然として大きな肉切り包丁を研ぎにかかった。
そのあまりの権幕に私たちは思わず一歩退った。

***

私たちの畏敬の念は充分主人にも通じたに違いない。
彼はやおらヴィールの大きな塊を取り出し、
講義口調で料理の心得を話しながら、それを角切りにした。
細かく刻んだハーブを袋に詰めて肉に添え、
彼はさらに、香辛料はどこそこの店で買うようにと教えてくれた。
彩りを考えて、ピーマン四にトウガラシ一の割合と量まで指定する気の配りようである。
私たちが失敗しないように、彼は料理の仕方を二度繰り返し、
ワインはコート・デュ・ローヌを薦めた。
見事な手捌きと話術はそれ自体、一幕の名演技だった。

***

一度イギリスまで足を伸ばしてリヴァプールのホテルでロースト・ラムを食べたことがある。
真っ黒な上に焼き冷ましで、味も素っ気もなかった。
もっとも、知っての通り、
イギリス人はラムを二度殺すのだから、期待する方が無理というものだ、と
ムッシュー・バニョーは言った。
つまり、一度は肉にする時、もう一度は料理する時、というわけだ。

イギリスの料理をこうまでぼろくそにけなされては立つ瀬がない。
次のボキューズ行きを夢見ながら床磨きを続けるムッシュー・バニョーをその場に残して、
私は早々に引き揚げた。

***
皮を剥ぎ終えた肉を冷たい流水に一昼夜漬けて臭みを抜く。
水を切り、袋詰めにして夜干しにする。
できれば霜の夜がいい。

翌朝、その肉を鋳物のキャセロールに入れ、
血とワインをよく混ぜてひたひたにかける。
ハーブ、タマネギ、ニンニクの塊を加え、
一日二日とろ火で煮込む。
(マッソーは、煮込む時間はキツネの年齢や大きさによって変るのではっきりとは言えないと弁解した。)

以前はこれにパンと茹でたジャガイモを添えて食べたが、今はディープ・ファット・フライヤーなどの便利な道具があるので、
ポム・フリットを付け合わせにすることもできる。

***

暖房を入れることが決まると、
私たちは一足飛びに夏のことを考えはじめた。
石塀をめぐらせた裏庭を青天井のリヴィングルームにする計画である。
すでに一隅にバーベキューの竈とバーがある。
あとはどっしりとした大きなテーブルを据えればいい。

6インチの雪の中に立って8月半ばの昼時分を思い浮かべながら、
私たちは敷石の上に一辺5フィートの正方形を描いた。
これだけの広さがあればブロンズ色に日焼けした裸足の連衆8人がゆったり坐れ、
真ん中にサラダの大鉢、パテにチーズ、ローストペパー、
オリーヴ・ブレッド、よく冷えたワイン、と盛りだくさんの料理を並べることができる。

ミストラルがたちまち雪中のテーブルを掻き消したが、
その時にはもう、私たちの考えは決まっていた。
テーブルは一枚岩を切り出した四角い大きなやつがいい。

***

彼らは石の壁を攻略するのと同じ破壊力をもって弁当に立ち向かった。
サンドイッチの軽い食事とはわけが違う。
プラスチックの大きな籠にチキン、ソーセージ、シュークルート、
サラダ、パン、と盛りだくさんで、皿小鉢やナイフ、フォークも本式である。
幸い、誰も酒は飲まなかった。

***
職人たちが帰った後、私たちは北極探検にでも出かけるような重装備に身を固めて、
仮のキッチンではじめての炊事にとりかかった。
バーベキューの竈と冷蔵庫はそのまますぐ使える。
ホームバーのカウンターには流しとガスコンロふたつが作りつけになっている。

必要なものはすべて揃っているのだが、
惜しむらくは壁がない。
気温は相変わらず氷点下である。
これで壁があったらどんなに有難いことだろう。

とはいえ、葡萄の小枝は盛んに炎を上げて、
あたりはラムチョップとローズマリーの香りが漂い、
セントラルヒーティングに代ってワインが芯から体を温めてくれる。

私たちは冒険家気取りで意気軒昂だった。
が、食事が済んで、外の井戸で洗い物をする段になると、
高揚もそれまでだった。

***
私はお薦めは何かと尋ねた。
「何なりと」老人は言った。
「連れ合いの料理はどれも天下一品でしてね」
彼はテーブルにメニューを広げて、折りから来合わせた別の客の相手に立った。
なるほどどれもうまそうで、私たちは選択に迷った。

スタッフィングにハーブを使った子羊の肉。
ドーブ。
トリュフを添えたヴィール。
<ファンテジー・デュ・シェフ―シェフの気紛れ>
とだけ記された正体不明の料理…。

老人は戻って来るとまた腰を降ろして私たちの注文を聞き、
心得顔にうなずいた。
「ああ、やっぱり。ファンテジーの注文は男のお客さんと決まっていましてね」
私ははじめのコースに白ワインのハーフ・ボトル、後は赤と注文した。
「いや、それは違う」老人はヴィザンの赤ワイン、コート・デュ・ローヌを薦めて、
上等のワインといい女はヴィザンと相場が決まっていると言い、
暗く奥深い酒蔵からその瓶を運んできた。

***
料理はゴー=ミヨー・ガイドに書かれている通り、頬が落ちそうなほどだった。
ワインもまた老人の言葉に違わず、私たちはコート・デュ・ローヌがすっかり気に入った。
山羊のチーズの小さな塊にハーブをあしらったオリーヴ油のマリネが運ばれてきた時には、
すでに瓶は空だった。
私はハーフ・ボトルをもう一本頼んだ。

ピーター・メイル 池 央耿訳「南仏プロヴァンスの12か月 」
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# by foodscene | 2012-04-19 15:41 | フランス

ねむり

私は本を置いて明かりを消し、
台所でコーヒーを温めて飲んだ。
頭の中に残っている小説の場面と、突然やってきた激しい空腹感のせいで、
まともなことは何ひとつ考えられなかった。

私の意識と肉体はどこかでずれたまま、
固定してしまったようだった。
私はパンを切り、バターとマスタードを塗り、
チーズとレタスのサンドイッチを作った。

そして流し台の前に立ったままそれを食べた。
そんなに激しくおなかが空くのは私としては珍しいことだった。
息苦しいばかりに暴力的な空腹感だった。

サンドイッチを食べ終えてもまだおなかが空いていたので、
もうひとつ同じものを作って食べた。
そして二杯目のコーヒーを飲んだ。

***

私はいつもと同じように夫にコーヒーを出し、
子供にホット・ミルクを飲ませた。
夫はトーストを食べ、子供はコーン・フレークを食べた。

***

私は昔と同じようにチョコレートを食べながら
「アンナ・カレーニナ」を読みたかった。
体じゅうの細胞という細胞がチョコレートを求めて息をひそめ、
ぎゅっと強く収縮しているみたいに感じられた。

私はカーディガンを羽織り、エレベーターに乗って下に降りた。
そして近所のコンビニエンス・ストアに行って
いかにも甘そうなミルク・チョコレートを二つ買った。
店を出るとすぐに包みを開き、
歩きながらチョコレートをひとかけら食べた。

ミルク・チョコレートの香りが口の中に広がった。
その留保のない甘味が体の隅々にまで吸い込まれていく様が
ありありと感じられた。
エレベーターの中で私はもうひとかけらを口に入れた。
エレベーターの中にもチョコレートの匂いが漂った。

私はソファーに座って、
チョコレートを食べながら「アンナ・カレーニナ」の続きを読んだ。
少しも眠くはなかった。
疲れも感じなかった。私は集中して本を読み続けた。

チョコレートをまるごとひとつ食べてしまうと、
ふたつめの包装紙をやぶって、それを半分食べた。
上巻の三分の二あたりまで読んだところで、私は時計を見た。
11時40分だった。

11時40分?

もうすぐ夫が戻ってくる。
私は慌てて本を閉じ、台所に行った。
鍋に水を張って、蕎麦を茹でるための湯を沸かした。
湯が沸くまでの間に若布をもどして、酢のものを作った。
冷蔵庫から豆腐を出し、葱をきざんでしょうがをすり、
冷やっこを作った。

******
近所のコンビニエンス・ストアに行って
新しいチョコレートを二つ買った。
四時に息子が帰ってくると、
野菜ジュースを飲ませ、自分で作った果物のゼリーを与えた。
それから夕食の支度をした。

冷凍庫から肉を出して解凍し、
野菜を切って炒めものの準備をした。
味噌汁を作り、御飯を炊いた。
私は素早く機械的に仕事を片付けた。

それからまた「アンナ・カレーニナ」の続きを読んだ。
眠くなかった。

村上春樹著「ねむり」
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# by foodscene | 2012-04-12 16:20 | 日本

バターの思い出

結局、バタースープの夢は実現しなかったが、
その後小学生になってから、
何かの雑誌で「バター茶漬け」というものを見つけたときは狂喜した。

はっきりとは覚えていないけれど、
なんだか和洋入り混ざったアイディア料理のようなものだったと思う。
ご飯の上にちりめんじゃことパセリのみじん切りを乗せ、
その上にバターをひとかけ。
お醤油数滴と塩で味付けし、アツアツのお茶をたっぷりかけて食す。

「そんな気持ち悪いもの、やめなさいよ」といくら家族友人に非難軽蔑されても、
嬉々として実行していた時期があった。

そのお茶漬けの場合もそうだが、バターは完全に溶けてしまってからでは、
おいしさにも面白みにも欠ける。
熱いご飯やトウモロコシ、お肉、じゃがいもなどの上で、
半分溶けるか溶けないかの瀬戸際に、
溶けてバターの香りがしみこんだ部分と、
まだ多少冷たさを残しているバター自体の固まりの歯ごたえを、
混ぜ合わせながら口に入れるときの感触がいい。

もとを糾せば、そんなバターのおいしさを覚えたのは父のせいもある。
子供の頃から父に遊んでもらったり世話をしてもらった記憶は皆無といっていいけれど、
唯一朝食時、子供のパンにバターを塗るのは、父の仕事だった。

パンをトースターから取り出して、父のお皿に乗せる。
すると自動的に父は、ナイフでバターの固まりをたっぷりと切り取り、
焼きたての食パンの上に上手に塗ってゆく。

決して父は手先が器用なほうではない。
面倒見がいいとも思われない。
が、パンにバターを塗る技術に関してだけは、
父に勝るものはいないと思った。

父を真似して自分で塗ると必ず失敗した。
冷たいバターをパンに強くこすりつけ過ぎて、
パンがつぶれてしまうのである。
ホカホカとしたパンのふくらみを崩すことなく、
たっぷりと隅々までバターを塗り付け、
溶けたバターの汁がしだいにパンの中までしみこんでいく。

そのタイミングを逃すことなく、
「ホイ、塗ったぞ。食べなさい」と言って父から手渡されるパンは、
どういうわけか本当においしかった記憶がある。

父にしてもらったことでいちばんの思い出は、
なんていう質問を受ける機会があったら、
迷うことなく答えるであろう。
「パンにバターを塗ってくれました」

阿川佐和子著「バターの思い出」
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# by foodscene | 2012-04-10 16:04 | ノンフィクション日本

浩宮さま

浩宮さまは、しかし、給食で出されたものは、
みんな気持ちよく召しあがった。
ついでながら初等科の給食は、主食のパン食
(月に一度ぐらいはカレーライスなどのご飯もの)にオカズがつき、
それぞれアルミの食器に盛ってあった。

「浜尾さん、ボク大学イモ食べたよ」
とオカズに出された大学イモをめし上がって自慢顔でおっしゃられた記憶がある。


浜尾実著「浩宮さま」
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# by foodscene | 2012-04-10 15:54 | 日本

Great Gatsby

もうひとつ、
スコット・フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』の翻訳も
順調に進んでいる。
第一稿は既に仕上がり、それに細かく手を加えて第二稿を作ってるところだ。

一行一行丁寧に見直して、手を加えていくと、
訳文がだんだん滑らかになり、フィッツジェラルドの文章の本来の持ち味が、
より自然に日本語に置き換えられていくのがわかる。

今更あらためて僕がこんなことを言うのも気が引けるのだが、
これは本当に見事な小説だ。
何度読み直しても、読み飽きることがない。
文学としての深い滋養にあふれている。

読むたびに何かしらの新しい発見があり、
新たに強く感じ入るところがある。
弱冠二十九歳の作家に、どうしてここまで鋭く、公正に、
そして心温かい世界の実相を読みとることができたのだろう?
どうしてそんなことが可能だったのだろう。
考えれば考えるほど、読み込めば読み込むほど、
それが不思議でならない。

村上春樹「走ることについて語るときに僕の語ること」
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# by foodscene | 2012-04-08 15:31 | Books

泣き虫ナッチン

阪田家の人々は全員が大阪弁を使い、
子供は親のことを「かあちゃん、とうちゃん」と呼ぶ。
と思えば、妙に西洋風なものが家のあちこちに溢れていた。

市販のケーキより数倍おいしい、
自家製の苺のショートケーキの味を知ったのはこの家でのことだったし、
銀色のアイスクリーム製造器で、
卵のたっぷり入ったバニラアイスクリームを作る
手伝いをさせてもらったこともある。

なんだかテレビに出てくるアメリカの家庭のようで羨ましく思ったのを覚えている。

阿川佐和子著「きりきりかんかん」
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# by foodscene | 2012-04-06 16:27 | ノンフィクション日本

わたしのオックスフォード

「トーストが来たよ。どうぞ」
入口の横の配置室からおばさんたちが熱いトーストを運んでくれる。
すでに卓上にはバター、ジャム、コーン・フレークスなどが並んでいる。

あとでわかったことだが、トースト・ラックは熱くても、
肝心のトーストが冷たくなっていることがよくある。
「コールド・トースト」はここの朝食の名物なのだ。
バターを塗ろうにも溶けやしない。
その冷たいトーストをイアンは5枚も平らげた。
私もつられて3枚食べた。

***

各自の席にナイフ、フォーク、スプーン、カレッジ・カラー(セント・ピーターズは緑と金)のテーブルマットが置かれている。
ファースト・コースの到来を待ちきれない学生は、
長いテーブルのあちこちに置かれた籠の中のパンをかじりはじめる。

空になった籠や水差しを持ちあげて待っていると、
給仕がおかわりを持ってきてくれる。
つけあわせの野菜やグレーヴィー・ソースも皆の手の届くところに
置かれている。
このとおり形式だけはきちんと整っているのだが、
肝心の料理となるとどうもいけない。

友人の家などでよくおいしい家庭料理をごちそうになる私は、
「イギリス料理はまずい」という定評には同意できないのだが、
カレッジの食事に関するかぎり、
まったく弁護のしようがない。

なぜ野菜をここまで煮殺してしまうのか。
どうしてスープは糊みたいにねばつくのか。
なぜデザートはいつも甘すぎて粉っぽいのか。

イギリス料理が炭水化物に富んで「重い」のはわかっているつもりだが、
それにしても、なのである。
セント・ピーターズのコックは、
湿った感触のパンやぶ厚いパイ生地などで、
「これでもか」とばかりに学生たちを炭水化物責めにする。
イギリス人に友人たちは、
「カレッジの食事をイギリス料理の基準だと思っちゃだめよ」と、
いつもくり返している。

昨夜のディナーは、その典型ともいうべきものだった。
まずはスプーンを動かしにくいほど粘っこいマッシュルーム・スープ。
メインはステーク・アンド・キドニー・パイ。
家庭料理として親しまれている一品で、
牛肉と腎臓を香ばしいパイ生地にはさんだものの上に
熱いグレーヴィーをかけたものなのだが、
セント・ピーターズ版はパイがいつも半生で、
グレーヴィーはやたらに塩辛い。

つけあわせの野菜は人参とフライド・ポテト。
身長190センチ、質よりも量を大切にするドミニックは、
このポテトを自分の皿に山のように積みあげているが、
私は食べる気になれない。
人参も煮崩れる寸前にお湯からすくったとしか思えないほど
グチャグチャになっている。

デザートはアップルパイ……らしきものなのだが、
なにせ黄色いカスタード・クリームがなみなみとかけてあるので、
その下に隠されているものの正体をあばくのは容易ではない。
ケーキにせよパイにせよ、なんにでもカスタードをぶっかけるのが
イギリスの習慣なのである。
この習慣にどうしてもなじめない私は、
これだからフランス人にバカにされちゃうのよ、と粉っぽいアップルパイの生地を
噛みしめる。

****

かくもまずい食事を、なぜ学生たちは毎晩、食べに集まるのか。
理由は明白、安いからだ。
なにしろ3コースで2ポンド(500円弱)。
スーパーで買ったものを自分で料理するとしても、
ここまで安くあげるのはむずかしい。

***

ディナーは3コースだが、学生と違ってワインがたっぷりつく。
火曜、金曜、日曜には「デザート」というコースがある。
ケーキやアイスクリームなどの本来のデザートを食べたのち、
特別の部屋でポートワインを楽しみながらフルーツとチョコレートをつまむのだ。

このデザート用の別室は食堂よりもずっと小さく雰囲気も親しみやすい。
直接照明を排し、テーブルの中央にキャンドル・スタンドが置かれている。
ポートワインを左へ順々にまわしながらパイナップルを一切れ食べ、
チョコレートをかじる。
会話も雑談や噂話が中心である。

***
最近、食料品の値段が高くなってきた。
オックスフォードでも野菜の値段はロンドン並みだ。
こんなとき、貧乏学生のつよい味方は学生食堂である。

カレッジの食堂はとにかく安い。
たとえばセント・ピーターズの朝食は30ペンス(当時で約70円)。
シリアル、ジュース、紅茶込みで、
トーストは何枚食べても同じ値段。
クックド・ブレックファースト(スクランブルド・エッグ、ソーセージ、ハムなどの
典型的なイギリスの朝食)を頼んでも60ペンス(約140円)なのだからありがたい。

朝食だけではなく、昼食やディナーも安い。
昼食は1ポンド以内ですむし、3コースあるディナーだって2ポンド(約480円)という
安さなのだ(もっとも味のほうはいまひとつであることはすでに書いた)。

それでもまだ「高い」と言う人がいる。
政府からもらう生活費を倹約して親元に仕送りをしていたころのジャネットがそう。
当時、彼女はお昼には自分で作ったサンドイッチしか食べなかった。
パンが一斤で50ペンスほどで、
安物のチーズ・スプレッドが80ペンス。
それで1週間分のランチができるから、
一食当たり20ペンス(約50円)ですむ。
カレッジの昼食がまずいからといって、
1ポンド30ペンス(約310円)のサンドイッチを食べている自分がはずかしくなった。

さすがにジャネットのような人はそれほどいなかったが、
それでも全体的に見て、
みんなつましい食生活をしている。
たまには友人の誕生日のお祝いなどで外食をすることもあるが、
それは例外。安い食事と社交の場でもあるカレッジの食堂はいつも満員だ。

川上あかね著「わたしのオックスフォード」
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# by foodscene | 2012-03-22 16:03 | ノンフィクション・イギリス

食べて、祈って、恋をして インド、インドネシア

夕食の時間。
わたしはひとりでテーブルにつき、ゆっくり食べようと試みていた。
食べることも修行のうちだとグルは言っている。
食事の量は控えめに。
掻きこむような食べ方をしてはいけない。
消化器官に大量の食べ物を短時間で流しこむことが、
身体のなかの聖なる火を消してしまうかもしれないからだ。

瞑想がうまくいかないと弟子たちが不満をこぼすと、
グルはつねに、最近の消化の具合はどうかと尋ねる。
ソーセージ入りカルツォーネや、1ポンドのバッファロー・ウィングや、
ココナッツ・クリーム・パイ半ピースを消化器官が必死に掻き回しているようでは、
瞑想をしても超越の境地にたやすく入れないのも当然だからだ。

もちろん、アシュラムではそのような食事は出されない。
ここでの食事は軽くて健康的な菜食ばかり。
それでも味はおいしいので、飢えた子のようにがつがつ食べるなと言われても、
けっこうむずかしい。

さらにビュッフェ形式をとっているので、
おいしそうな料理がいい匂いを漂わせて眼の前に並べられ、
しかも追加料金がないという状態で、
二度め、三度めのお代わりを我慢するのも容易ではない。

***

サムズアップはインドの清涼飲料水で、味はコーラに似ている。
しかし、甘みはコーラの9倍、カフェインは3倍だ。
そのうえ中枢神経興奮剤(メタンフエミタン)まで入っているのではないかと、
わたしは疑っている。
飲むと、ものが二重に見える。

週に数回、リチャードとわたしは村に出ていって、
サムズアップの小瓶を分け合って飲む。
アシュラムの正統なベジタリアン・フードに慣れた身体には
かなり刺激的な飲み物だ。

****
部屋からは熱帯の木々が眺め渡せる。
新鮮なトロピカル・フルーツたっぷりの朝食をとることもできる。
つまり、ウブドというのはこれまで滞在したなかで
最もすばらしい土地のひとつで、しかも、宿泊費は1日に10ドルとかからない。

***
食事は1日1回、米と魚か鶏の料理をひと皿に盛りつけた、
ごくふつうのバリの食事をとる。
毎日、砂糖を入れて飲む1杯のコーヒーが好物で、
コーヒーと砂糖を味わえる喜びを祝っているかのようにそれを飲む。

***
翌朝の月曜日、わたしが訪ねていくと、ニョモが、
ジャムの瓶に熱いコーヒーを入れて運んできた。
陶製皿に瓶を載せ、彼女がいつもいる台所からクトゥのいる玄関先まで、
足を引きずりながらゆっくりと中庭を横切ってくるその姿を見たとき、
わたしはてっきり彼女が夫に飲み物を運んできたのだと思った。

ところが、クトゥはその日、すでにコーヒーを飲んでいた。
そのコーヒーはわたしのためのものだった。
ニョモがわたしのために淹れてくれたのだ。

わたしがお礼を言おうとすると、彼女はいかにもうっとうしそうに手を振って、
それを拒絶した。
彼女が昼食を用意するテーブルに雄鶏がのぼろうとするのを追い払うときの手つきと
そっくりだった。

でも翌日、彼女はガラス瓶に入ったコーヒーの横に砂糖のボウルを添えて
持ってきてくれた。
その翌日は、ガラス瓶のコーヒーに砂糖のボウルと、
茹でた芋がついてきた。
その週は毎日なにか新しいもてなしが加わった。

***

ワヤンが、「忘れてた!ランチを食べてもらわなければ!」と言い、
母と娘は大あわてで台所に向かった。
あの恥ずかしがり屋の少女ふたりが隠れている場所だ。
しばらくして出てきた食事は、わたしがそれまでバリで食べたなかで
最高のものだった。

トゥッティがそれぞれの料理について、
大きな笑みを浮かべ、バトントワラーにしたいような元気のよさで、
きびきびと説明してくれた。

「ターメリック、肝臓をきれいにする!」
と、彼女は高らかに宣言した。
「海草、カルシウムいっぱい!」
「トマトサラダは、ビタミンD!」
「いろんなハーブで、マラリアにかからない!」
わたしは尋ねた。
「トゥッティ、そんな上手な英語をどこで覚えたの?」
「本から!」
「あなたはとても賢いお嬢さんね」

****
ウブドにはもうひとり国を離れて長いブラジル人がいて、
その男性がホストとなって、
今夜とあるレストランで特別な催しをするのだという。

豚肉とインゲン豆を煮込むブラジルの伝統的料理、
フェジョアーダをどっさりとつくって、
ブラジルのカクテルもふるまうという。

バリに暮らす世界じゅうのおもしろい人々が集まってくる。
どう?来ませんか?
そのあとは、ダンスに繰り出すの。
あなたがもしそんなパーティーが嫌いでなければ….。
カクテル?ダンス?どっさりの豚肉料理?
ええ、もちろん、行きますとも!

******

ともあれ、彼のこしらえたフェジョアーダは最高に美味だった。
スパイシーで豊かなこくがあり、退廃の薫りがした。
そのどの要素も、日常的なバリの食事にはないものだ。

わたしはひと皿を平らげ、もうひと皿も平らげたあとで、
はっと気づいた。
もうお代わりはだめ、ここは自分の家じゃないんだから。
こんな料理がある限り、
わたしは菜食主義者にはなれそうもない。

*****

この渇望をなんとかしなければと、
寝間着のまま台所へ行って、
半キロ弱のジャガイモの皮を剝き、
茹でてスライスして、バターで揚げ焼きにして、
たっぷりと塩をまぶして、ひと切れ残さず平らげた。

愛の行為による充足の代わりに、どうか、この半キロ弱のフライドポテトが
もたらす満足を受け入れて、と自分の肉体にお願いしながら。

****

こうして、わたしは偽物のアメリカ式ドライブの旅に出た。
道連れは、音楽の天才にして、流浪の境遇にあるクールなインドネシア青年。
バックシートには、ギターやビールや、
バリ式ドライブの非常食ー揚げせんべいや、さまざまな風味付けをしたインドネシアの
キャンディーなど—がいっぱいだった。

****

翌朝、同じ町にある家族経営の小さな食堂に入ると、
バリ人の店主が自分はタイ料理の凄腕コックだと宣言した。
料理はそれほどでもなかったが、
わたしたちは1日をそこでのんびりと過ごし、
冷えたコーラを飲み、脂っこいパッタイ(タイ風焼きそば)を食べ、
店主の息子である美少年と<ミルトン・ブラッドリー>のボードゲームを楽しんだ。

****

ここが元夫と初めてディナーを食べた店。
ここが妻と出会った場所。
街でいちばんのヴェトナム料理の店はここ。
ベーグルならここ、
いちばんおいしいヌードルはここ
(「いいや、きょうだい、いちばんのヌードル・ショップはここさ」)。
わたしが懐かしい”ヘルズキッチン”地区をさらに詳しく描きだすと、
ユディが言った。
「このあたりにうまいダイナーがあるんだ」
「<ティクタク>?<ジャイアン>?<スターライト>?」
「そう、<ティクタク>だよ、あんた」
「<ティクタク>のエッグクリームは飲んだ?」
ユディがうめいた。
「もちろん。ああ、あのうまさといったら……」

******
二番めの夢は、さらに確信を深めさせる夢だった。
わたしとフェリペがニューヨークのレストランで食事をしている。
ラムチョップとアーティチョークとおいしいワインと、
おしゃべり、幸せな笑い。


エリザベス・ギルバート 那波かおり訳「食べて、祈って、恋をして」
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# by foodscene | 2012-03-21 16:05 | インド