「乾杯」 今夜の絵美子は、ひどくはしゃいでいた。 「おいしいわ、このソーセージ。こんなの初めて」 「スパイスが変わってるんじゃないかしら。 自家製だっていってたわ」 「おいしい」 二切れほど続けざまに食べ、絵美子はため息をつく。 オムレツと、ウナギの稚魚のオリーブ炒めが運ばれた時、 絵美子は突然口を開いた。 「私も働けないかしら」 「働くって、茨城で?」 「ううん、東京でよ」 「いいんじゃない」 全く本気にしていないから、 圭はウナギの稚魚をつつく。 フランスパンにのせるようにすると、 オリーブ油ごとしみ込むようになる。 これは圭の大好物だった。 「頑張れば、今の世の中、なんだって出来るわよ」 歯で噛むと、フランスパンはちょうどいい具合にやわらかくなっている。 *** 「コーヒーぐらいは飲んでくでしょう?」 「飲む、飲む。コーヒーの他にもなんか食わせてくれよ。 オレ、なんか今朝は腹が空いてるんだ」 「はいはい、目玉焼きでもつくるわ」 バスローブを羽織って圭は起きあがる。 クネッケにオレンジ、それに玉子を二個ずつバターで焼いた。 *** 駅前の駄菓子屋で、ケーキを四つ買った。 イチゴ・ショートをふたつと、 シュークリームをふたつ。 この場合、シュークリームは添えものだ。 二人にケーキ四つは多すぎて食べきれない。 しかし、二つだけでは格好がつかない。 シュークリームを入れてもらうと、 ちょうど都合よい箱の大きさになるのだ。 しかもシュークリームは、他のケーキに比べると、 ずっと値段が安い。 絵美子の家でも、 ケーキを買う時はいつもこうしていた。 けれども、いかにも主婦らしいこんなつましさが、ふっと不安になる。 圭に笑われないだろうか。 *** 勢いよくビールの栓を抜き、さまざまな肴をつくった。 肴といえば、なにか出さなければいけないのだろうか。 一瞬ためらったが、冷蔵庫を開ける。 ほとんど何も入っていない。 英語で「ダイエット・マーガリン」と書かれた箱が目をひいた。 しかし絵美子は、キッチンをつっ切る時に、 クラッカーと海苔の箱を見ている。 そのクラッカーも"ダイエット"と大きく記されていたが、 構わず使うことにした。 手早くマーガリンを塗り、海苔を乗せる。 その上につくだ煮を置いた。 和風即席カナッペとして、家でよく作っていたものだ。 ほんの一分もかからない。 それを三つ小皿に並べ、ビールと一緒に盆に乗せた。 *** 「さやえんどう、ひと袋ちょうだい」 「まいどー」 智英は風邪をひいているという。 えんどう豆でスープをつくったらどうだろうか。 新婚時代、誰でもそうであるように、 絵美子は料理の本をしこたま買い込み、さまざまな料理をつくった。 ポーク・ピカタ、タンシチュー、ビーフストロガノフなど、 それらはカタカナ料理に限られていた。 やがて生活が落ち着き、シチューが焼き魚と煮物にとって替わるようになっても、 絵美子はこうした料理をつくるのが好きだったのだ。 スープには、少し生クリームを入れた方がいいかもしれない。 コンソメの素はあっただろうか。 しかし絵美子は、そのスーパーの中に入っていくことはしない。 *** 結局、その夜の圭は、よく喋り、よく笑い、 パスタの他にスズキのグリルまでたいらげたのだ。 そのつけが、今朝こうしてかすかにあらわれている。 *** 「いやあ、これはすごいや」 雅彦が歓声をあげた。 絵美子が拡げたアルミホイルの中には、 小さなお握りが並べられていた。 具を上に見えるようにしていたから、 鮭の赤、おかかの茶色と、漬け物の緑と、彩りもいい。 「そんなに言われると恥ずかしいわ」 絵美子は両手をそえて、雅彦がとりやすいようにしてやった。 「娘の学校に、月に二回だけ、お弁当デーというのがあるの。 それでついでにつくったのよ。 あまり物で悪いけど…」 *** パルコのちょうど裏側にある鮨屋は、 七分の入りといったところだろうか、打ち水をした石床の上を、 着物姿の女が、忙し気に立ち働いていた。 「章人さんって嘘つきね」 「何が?」 「汚ないところだなんて言って。 すごく立派なお鮨屋さんじゃない」 「ふつうだよ。ここのいいところはね、握ってくれる前に、 親父さんがいろいろつき出しをつくってくれるところかな」 そう言う間にも、白魚の小鉢が運ばれてきた。 細かく刻んだオクラが入っている。 「絵美子さん、何が好きなの。 好きなものを言ってお刺身を切ってもらったら」 「そう言われても…」 絵美子はショーケースを眺めた。 イクラの赤や、コハダの銀に圧倒されるようだと思った。 林真理子著「満ちたりぬ月」 #
by foodscene
| 2012-05-28 14:46
| 日本
どのくらいたくさんの芽が必要だろう。
クッキーを一口かじり、瑠璃子は考える。 台所の隅に置かれた段ボール箱をちらりと見た。 じゃがいもは、夫の郷里の帯広から毎年届く。 茹でたり焼いたり揚げたり煮たりつぶしたり、 ニョッキやパンケーキまでつくって食べても、 夫婦二人では食べきれなかった。 ごつごつした小ぶりのじゃがいもは、 まだ二十やそこらは余っているだろう。 そのうちのいくつかは、そろそろ芽が出始めていた。 *** 顔を洗い、さっぱりした様子でやってきた聡が、 皿の上のポーチドエッグをみて言った。 「嬉しいな。落としが食べたいと思ってたんだ」 へんなの、と、瑠璃子は思う。 へんなの。 それならさっきそう言えばよかったのに。 *** 午後、瑠璃子は桜のリキュールを使ったお菓子を試作した。 部屋にこもってコンピューターゲームに熱中しているらしい夫に 携帯電話をかける。 「お茶、のみますか」 「え、あ、じゃあいただきます」 緑茶をいれ、桜のムースと一緒に運ぶ。 しずかな土曜日。 *** 吉野家はひさしぶりだった。 通勤電車のなか同様、ウォークマンで音楽を聴いたまま食べる。 たいていの客は一人で、雑誌に目をおとしたまま食事をしていた。 玉つきの並盛四百五十円が、特価の三百五十円になっていた。 *** 「きょうはお店に顔をだすことになってるの」 薄いトーストにスクランブル・エッグ、ミルク紅茶に桃、 という朝食のトレイを運びながら瑠璃子が言うと、 聡はまず、 「へえ、ひさしぶりだね」とこたえ、 「暑いから気をつけてね」と、つけたした。 *** 瑠璃子と登美子はカウンター席にすわり、 牛の腹身肉とオクラのたたきを食べた。 *** 夕食には、聡の好きな冬瓜の煮ものがあった。 *** その保養施設は料亭ばりの料理が自慢で、 夕食にはたくさんの皿がならんだ。 かぶら蒸しだの穴子の煮物だの、見馴れないものをすべて残した聡をみて、 瑠璃子は苦笑した。 - おいしいのに。 と言い、 - 聡はほんとうに偏食。 とも言った。 しかしそれでいてその瑠璃子もひどい偏食で、 刺身もステーキも、しゃもたたき鍋も食べられないのだった。 似たもの夫婦なのだと聡は思う。 *** 「ちょっと待っててね。いま白玉をつくってたの」 湯の中に白玉をおとす。 小さな鍋のなかにはいくつものこまかい水泡が生まれては立ちのぼってくる。 「これおいしいねー」 うらごししたあんずのシロップと、白玉を一つ口に入れて文は言った。 「これ、どうやってつくるの?」 説明してやると文は最後まで聞き、ふうん、と、言った。 「ふうん。でもいいや、あたしはべつにつくらないから」 *** 十分もしないうちに、コーヒーとオムレツ、へたをとったいちごがテーブルにならんだ。 *** 小さなバスケットに詰められたサンドイッチは三種類で、 端にピクルスとプチトマトが添えられている。 自分の食事もそこそこに、聡の食べるのを熱心に眺めていたしほは、 「それならいいですけど」 と言って、缶入りの緑茶を一口のんだ。 三種類のうち、ポテトサラダのはさまったやつ - これだけはなぜか薄茶色の食パンでつくってあった - がいちばんましだ、と思いながら、 聡は言った。 ピクルスとトマトを残したら、しほは気を悪くするだろうかと考える。 *** 登美子の雑誌に、瑠璃子は季節ごとのお菓子の頁を持っている。 きょうは夏のお菓子の撮影で、果物を葛で寄せたゆるいゼリーと、 黒あんを使った揚げ菓子をつくった。 *** あぶら腹身肉とオクラのたたき - この店での瑠璃子の気に入りのメニュー - をつつき、ビールをのみおえて時計をみると、 8時になっていた。 *** 「ごはんできました」 携帯電話で瑠璃子に呼ばれ、聡は、 「はい」と返事してリビングにいく。 「昼間つくっておいた」というビーフシチュウには、 聡の苦手な緑黄色野菜が、影も形も - 無論匂いも - なくなるまで煮込まれていて、 聡の好きな肉とじゃがいもと玉ねぎは、 大きなままちゃんとやわらかくたっぷりと入っていた。 *** 青山のそのイタリア料理店には、 会社の連中とではなくしほとでかけた。 二人で食事をすることを愉しいと思い、 しほをいとしいと思ったことは、でもいまは問題ではなかった。 一皿ずつの量がすくなく、 野菜を使った料理が多く、パスタが補足きりりとしていた。 瑠璃子が気に入りそうな店だ、と、あのとき聡は頭の隅でたしかにそう考えたし、 大切なのはそのことだった。 *** それにしても、と、聡はへんな香草をのせてグリルした魚をつつきながら考える。 *** 三時間仕事をし、仕事をしながら豚のあばら肉を夕食のために煮込んだ。 部屋じゅうに八角の匂いがたちこめている。 八角という星形の香辛料が瑠璃子は好きだ。 香港にいる気分になる、と、香港にいったことはないが瑠璃子は思う。 かわいた、なつかしい、濃密な匂いだ。 江國香織著「スイートリトルライズ」 #
by foodscene
| 2012-05-20 16:29
| 日本
彼らはイタリアでは身体にいいオリーブオイルを使っていたが、
いまではラードで料理している。 イタリアで食べていたピザは、塩とオイルを使った薄いクラスト生地に、 例えばトマトやアンチョビー、オニオンを乗せていた。 だがアメリカでは、パン生地にソーセージやペパローニ、 サラミにハム、ときには卵を乗せている。 ビスコッティや、タラッリと呼ばれる故郷プーリアの代表的なパンは、 クリスマスやイースターのお菓子だった。 ところが、いまでは日常的に食べている。 典型的なロゼト住民の食生活を栄養士に調べさせたところ、 全カロリーのなんと41%が脂肪で摂取されていた。 *** ある夏などは、ネイティブ・アメリカンの保護特別保留地の円錐形のテントで暮らし、 政府が余剰品として放出したピーナッツバターとコーンミールで生きていた。 ネバダ州のヴァージニアに住んでいたこともある。 *** 母親はいつも、朝食代 —ニディックスのスタンドでドーナツ3個、オレンジジュース、コーヒー1杯分として 10セント硬貨を渡した。 *** ラドローストリートにある妹の魚屋に出かけ、 ニシンをつけで分けてくれるように頼んだ。 そして、魚の入った樽を歩道にふたつ置き、 樽の間を飛び跳ね、ドイツ語で歌った。 油で揚げて 焼いて 調理して 食べてももちろんおいしい ニシンはどんな料理にも どんな階級の人にももってこい! 週の終わりには8ドルを売り上げた。 翌週は13ドル。 *** 中国南部の人々の朝食は、 少なくとも食べる余裕のある家族の場合は、 レタスや魚のペースト、タケノコ入りの粥が定番である。 昼食も粥。 夕食は米に”トッピング”。 米は市場で売って生活必需品を買うものだ。 富や身分の尺度でもある。 彼らの労働は米にはじまり米に終わる。 マルコム・グラッドウェル著 勝間和代訳「天才!」 #
by foodscene
| 2012-05-15 15:39
| ノンフィクション・アメリカ
食生活も変わった。
肉や卵やバターを食べる人は少なくなり、 菜食主義者がふえた。 朝食も昼食も食べない人もいる。 ニューヨークのパーティーでは、 どのくらい短時間の睡眠ですみ、どのくらい少量食べ、 どのくらいの距離を走れるか、が最も頻繁に話題になる。 広告会社ヤング&ルビカムのアートディレクターをしている 24歳のキャシー・クラウチは、毎朝5時半に起き、 セントラルパークに行って自転車を乗り回す。 それから10時間働き、退社後は泳ぎに行く。 夕食後には電車に乗ってバレーボールをやりに出かけ、 深夜まで練習をし、最後にまた泳ぐ。 それでいて、彼女の食事といえば、朝はシリアル、昼はヨーグルトとナッツ、 夜は野菜だけだというのだ。 戯曲家のジャンクロード・ヴァンイタリーは、 乳製品、肉、塩、砂糖、コーヒー、紅茶、酒を一切とらず、 朝食も食べない。 毎月1日、毎年1週間は絶食することにしているという。 そして、毎日ジョギング、重量挙げ、エアロビクス、ヨガをやっている。 この新しい傾向は「新ピューリタン主義」と呼ばれるようになった。 千葉敦子著「アメリカの男と女」 #
by foodscene
| 2012-05-10 15:01
| ノンフィクション・アメリカ
それでも私たちは予定通り、毎日夕方の五時ごろまでに宿に着き、
ソーセージかベーコンに野菜とパンという簡単な夕飯をすませ、 冷たいシャワーを浴びて、おかいこ棚にもぐり込んだ。 そして翌朝は八時ごろまでに起きて、 コーヒーとパンの朝食のあと、 パンにスクランブルド・エッグをはさんだサンドイッチなどを作ってリュックに入れ、 モーターウェイの入口まで歩いてヒッチを始めるのだった。 *** それに反して、人がめっきり少くなった大学の研究室で私は資料をまとめ、 英語で論文を書く準備をしていた。 そしてときどきシーラの車で、 ケンブリッジやサフォークの田舎へ遠出した。 田舎の古いパブやレストランでランチに自家製のパイを食べたり、 スコーンという、パンとお菓子のあいのこのようなものに ジャムと生クリームをたっぷりつけて食べる午後のお茶を楽しんだ。 *** 翌日のクリスマスには、私は長いドレスを着て、 再びイブリンを訪ねることにした。 今度はイブリンのボーイフレンドも一緒に、 そして前夜のドイツ人ともう一人英国女性が加わって、 七面鳥とクリスマス・プディングのごちそうを食べた。 イギリスのクリスマス・プディングには面白い意味があった。 その中にコインを一つ入れておいて焼き、 切ったときにそれに当った人は、一年以内に結婚するというのである。 私たちも試みたが、コインは本当に結婚するはずのイブリンでも、 もしかしたら願っていた私でもなく、 ドイツ人に当った。 プディングを切り分ける前に、たっぷりブランディをかけ、 火をつけてアルコール分をとばすのだが、 一瞬燃え上る青い焰がとても美しかった。 *** Hは料理好きだった。 私たちは一緒に買物に行き、 料理をしては人を招いた。 子羊にニンニクで味をつけてローストした料理とか、 オーブンで焼いたグレープ・フルーツに蜂蜜をかけたデザートとか、 私たちは外でおいしいものを食べるだけでなく、 家でも新しい料理を工夫した。 *** 私たちに、美青年が台所でおいしいパテを作ってくれ、 ワインとともにサービスしてくれた。 *** 私がもう一つの約束をキャンセルし、食事の招きを承諾すると、 彼は大喜びで台所へ行き、ゆで卵を作った。 私にいくつ食べるかときき、 一つと答えると、私に一つ、自分には二つをゆでて、 トーストとともにテーブルの上においた。 それが夕飯だった。 *** ここの食事は、菜食主義だが、そのメニューは全部、 夫人の手になるものである。 菜食主義といっても、鳥のエサみたいなものとは大違いで、 スープやサラダの種類の多いこと、 おいしいことといったらない。 S夫人は、料理の本も書くくらいだから、 当然のことかもしれない。 パン、ミルク、ジュース、野菜、すべて自家製で、 農園は農業学校を卒業した長男夫婦が経営にあたっている。 *** とりわけ、見事なのはりんごだった。 10本以上あるりんごの木はそれぞれ種類が異なり、小さくて甘ずっぱいコックス、 黄色いデリシャス、大きい紅色のスターキング、 さらにサイダー用や料理用のりんごなど様々だった。 色とりどりに、ずっしりと枝をしなわせた様子は、 まさに一幅の絵だった。 もう真白に霜が降りる10月の早朝、 起きぬけに果樹園へ行って、今朝はどれを試そうかと思案しつつ、 一番おいしそうなのを選び、洗いもしないでパリッとかじると、 肉がしまって甘く、歯にしみるほど冷たかった。 「ここは魔法の国だ」と私は思った。 戦争中から戦争後にかけて、子供時代を飢えですごした私は、 その後も果物はお金を払って買うものだと思っていた。 英国では、プラムもさくらんぼもあんずも、りんごも、 シーズンにはとても安くておいしく、 果物好きには何よりだったが、それでもポケットのお金と相談しつつ、 ほんの少しだけ買うのがそれまでの生活だった。 だから、大好物の果物が庭でとれるなんて信じられないことだった。 *** プラムや梨やりんごは、放っておいても困るくらい実った。 庭からいくら果実がとれても、 とれたことに気付きもしないマイケルに反して、 私はそれを利用することを真剣に考えた。 冷凍できるものは冷凍し、ジャムや瓶詰もたくさん作った。 ラスベリーやカラントのシーズンには、 私は朝から晩までジャム作りをした。 田舎の家に客を招くとき、 一番のごちそうは、夏ならば庭に座って太陽と自然を楽しむことであり、 雨の日や冬の夜には、炉に薪をたいて、その前で一杯飲みながら、 おしゃべりをすることだった。 そんなときの食事は、庭からとってきたばかりの野菜類が主で、 それにシーズンにはキジ、あるいは新鮮な鮭、ムール貝、 子羊のローストなどが加わる。 野菜を作る庭があって贅沢だと人はいったし、 その通りであったが、この贅沢は、座っていてできるものではなかった。 庭から掘ってきたじゃがいもやにんじんの泥を落とし、 キャベツもレタスもきれいに洗って食卓に出すのは、 洗ってある野菜を店から買ってくるほど、簡単ではない。 それどころか、きゅうりも、トマトも、いんげんもちょうど食べごろにとらないと、 たちまちお化けのような大きさになってしまうから、 とれてとれて困るときには友人に分けたり、それでも余れば、 トマトはピュレーに、きゅうりはピクルスに、 いんげんやそらまめは、さっとゆでて冷凍に、と忙しかった。 料理を習ったこともない私が、 自分で工夫してジャムやピクルスを作り、 プラムを青いうちに塩づけにして、梅干しまがいのものを作るのを見て、 みんなは驚いたが、すべては子供時代にやったことの応用だった。 それは戦争のおかげともいえようか。 砂糖の買えない時代、 白いフカフカのパンなど見たこともない時代に育った私は、 残念ながらあまり大きくは育たなかったけれど、 いわば自然食品だけで育てられた子供だったわけだ。 山梨県に疎開していたあいだは、 子供ながら味噌も梅干しも、白菜漬けもタクワンも母が作るのを脇で手伝ったし、 薪でごはんも炊けば、太い不揃いのうどんを母に代わって作ることもした。 おやつには、自家製の干しいもや干し柿、 あるいは庭からとってきたきゅうりやトマトやとうもろこしを食べた。 英国でみんなに羨ましがられる生活が、 戦争中の疎開生活と同じだったとは! しかし夫のマイケルは、そういった新鮮な食べ物には大した興味を示さなかった。 彼は好きな物が決まっていて、 それさえ食べていれば機嫌がよかった。 好き嫌いも多く、魚はダメ、玉ねぎ、レタス、キャベツの類もダメ、 生野菜も好きではなかった。 子供時代を大勢の乳母に囲まれてすごし、 いつも子供用の食事、お腹をこわさない食事で通した習慣が、 大人になっても抜けなかったらしい。 卵料理か鶏料理、それに、じゃがいも、ほうれん草、豆類、 あとはバナナかりんご、そして甘い物しか食べなかった。 「妻はジャム作りが上手でね」と、みんなに自慢はしたけれど、 私がせっかく作ったジャムも、マイケル本人は決して食べず、 もっぱら「マークス・アンド・スペンサー」印の物にしか手をつけなかった。 マークス寿子著「英国貴族と結婚した私」 #
by foodscene
| 2012-05-09 16:17
| ノンフィクション・イギリス
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