作家以前 3

日暮れに帰り、夕食には皆で、醤油、酒、砂糖で甘辛く煮つけた巻き貝を、
針で身を引き出して食べた。
煮汁のついた指先からは、潮の匂いがしばらく消えなかった。

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1月4日 昼前に起きる。各局のニュースを見ながら、乾しそばをゆでる。
そばにも、このところ、凝っている。
食べ歩きをする一方で、家でもいろいろなそばをゆでている。
専用の器も揃えてしまった。
薬味はゴマとワサビと大根おろし。
酢の物、電子レンジで作るだし卵、沢乃井の純米酒を一合。

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出雲空港からタクシーで両親の家へ。
昼食は久々に母の手料理、牡蠣のてんぷら(フライもおいしいが、てんぷらもオツである)や
ワカサギ料理など。
幼い頃から大事にしていた御殿付きの雛人形が飾られていて懐かしい。
私と同い年の人形を見ていると子供の頃の雛祭りが思い出される。

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旅先で不意に始まった病院暮らしに、滅入らなかったのは、
今思うと、いかにも贅沢な読書三昧にひたることが出来たからである。

そして、優しかった同室の人たち。
佐久や松本の出身というおばさんたちが、味噌で炒めた茄子入りの饅頭、
みずみずしい野沢菜漬け、花梨の蜂蜜漬けなどを競うようにして分けてくれた。
長野のお国言葉とともに、とても珍しかった。

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夏休みは、手作りの西瓜や味瓜を井戸で冷やし、
昼食の後のおやつに食べた。
井戸の内側は鮮やかな苔に被われており底知れぬ様子が恐ろしかったが、
ふつふつと水が湧き出て僅かに揺れる水面や、独特の甘いような水の匂いには、
心惹かれるものがあった。

祖父が近くの斐伊川からとってきた鯉を処理するのも井戸端だった。
腹を裂く様子は怖くもあり興味深くもありで、
私は顔をしかめつつ足を踏んばってしっかり見ていた。

鱗を落としはらわたを出した後は、
台所で調理するために中へもって入る。
祖父がいた跡の地面は血で赤黒く染まり、青く光る浮袋が転がっていた。
私は、そういうものを見ずにはいられない子供だった。
鯉の身は、洗いや、濃い味の味噌汁になった。
私は生魚が嫌いだったが、祖父のために平静を装い、噛まずに呑み込んだ。

祖父は投網が趣味で、夜明け前に起き、
車で2時間かけて中国山地の渓流に行く。
新鮮な天然鮎をたくさん塩焼きにして貰った。
清流の苔を食べて育った鮎は、内臓が美しい緑で、それを塩漬けにしたうるかを作っていた。
子供には気色悪かったが、今の私には素晴らしい酒の肴である。

鶏も飼われていた。
朝御飯の目玉焼きの黄身や手作りのカスタードプリンは、
濃くて紅味がかっていた。
卵を生まなくなった鶏は、明治女の曾祖母がつぶした。
子供たちには内緒で処理されたが、
どういう訳か私は、殺され羽をむしられる気配をいつも察知した。
お昼の肉うどんや親子どんぶりになって出て来たが、
肉は硬く、古い家屋特有の暗い台所が、一層暗く思えた。

核家族で貧弱だった自宅のおせちに比べ、年始客の多いこの家では、
すべて祖母の手作りのおせちが輝くようだった。
祖母は酒の燗をしながら、小鯛のお吸いものや茶碗蒸しなどの客料理を手際良く作った。
早足で廊下を行き来する若やいだ後ろ姿は今も忘れられない。

そして春休み。
祖父と近くの山に蕨取りに行った。
長閑かな雲雀の声に誘われうろついた私は、森で祖父からはぐれ不安になったものだ。
蕗のとうの味噌和えのほろ苦さ、ちらし寿司にのせた山椒の木の芽の青い香り、
祖父が作った小豆を祖母が粒あんにしたお彼岸のお萩も、春の思い出だ。

松本侑子「作家以前」
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by foodscene | 2009-12-28 11:22 | ノンフィクション日本


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