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ワーキングガール・ウォーズ

「今から?」
讃岐定食、うどんと煮物と小椀のかやく御飯にプリンが付いて780円、
これでいいか、と店に入りかけたところで背後から声がした。

「ここ初めてなんだけど、うどんは本格的らしいんだ。
ちょっと試してみようかなと思ってさ。
ちょうどいいや、今日は奢るよ」

渡瀬が昼食を奢ると言い出した時は、必ず魂胆があった。
渡瀬の小遣いは昼食代込みで月額3万円という噂だったから、
1回の昼食に1500円かけたらコーヒー代もなくなる計算だ。

渡瀬の妻は怠け者だと思う。
弁当くらい作って持たせれば、渡瀬の小遣いを1万円に減らすことができる。
あたしがこいつの妻だったら絶対にそうする。
弁当なんて、前夜の夕飯の残り物を詰め込んでおけば
一丁上がりなんだから。

渡瀬の魂胆がどこにあるにしても、
奢ってくれると言うのだから奢ってもらうことにする。
讃岐定食780円はキャンセルして、こんぴら定食870円にした。
煮物の替わりに小エビと野菜のかき揚げがついて来る。
天ぷらセット1200円を選ばなかったのは武士の情けだった。

うどんはまずくなかったが、
うどんを水洗いしているのが水道水なので、カルキの臭いがした。
東京で冷やしうどんを食べるのはやっぱり不正解だった。
つゆ物にしておけば良かった。

「でね」
あらかた食べ終わって、盆の隅に載っていたプリンの容器に2人が手を伸ばした頃、
渡瀬はやっと用件に入った。

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「いえ、その…あたし、今、レストランにいるんです。
ダンディーズです」
観光ガイドには必ず載っている有名レストランだ。
カンガルーだのクロコダイルだのが上品に食べられるので、
珍しいもの好きの観光客に人気がある。

それはいいとして、何よ、まさか今からあんなところで
エミューでも一緒に食べませんか、なんて言うつもりじゃ…

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開店して間もないので店は大混雑だったが、5分ほど待って運良く席が空いた。
まだ開店サービス期間中で、サラダと飲み物が付いたランチセットが
通常より100円安い600円。

パスタの種類は豊富だったが、
ランチセットになるものは限られていた。
心惹かれたのはガーリックのパスタだったけれど、
さすがに午後の仕事を考えて思いとどまり、
オリーヴとトマトソースの無難そうなスパゲティを選ぶ。
麻美は茄子入りのミートソース。
やはり若い子は肉っぽいものが好きだ。

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欲張って南禅寺まで歩いたらさすがにくたびれて、
名物の湯豆腐屋さんに入ってランチタイム。
ひとり客は冷遇されるかと少しびくびくしていたけれど、
幸い、選んだ店は感じよく迎えてくれて、
ひとりなのに庭園を眺められる和室の4人用席を用意してくれた。

湯豆腐の他に野菜の炊きあわせ、ごま豆腐、青菜の白和えと精進天ぷら。
少々予算オーバーの昼食だったけれど、
宿泊代を浮かせた分贅沢ができる。
なんて優雅。
なんてリッチ。

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「あたしもまだ、御飯の気分じゃないかな。
あのね、正木さん、トマトジュース、飲める?」
「割と好きですけど」
「ならよかった。
ここのブラディマリー、トマトジュースが本物の生絞りなのよ。
生トマトをジューサーで搾って作ってくれるの。
だからすごくおいしいんだ。
ね、試してみない?」

澄子が頷いたので、あたしはブラディマリーを注文した。

世間話というか、社内の噂を少しの間だらだらと喋りながら、
運ばれて来たブラディマリーをすすった。おいしい。
「ほんとにおいしいですね、これ」
澄子も嬉しそうな顔になる。
こういう笑顔の時、このひとは本当に綺麗だ、と思う。

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そして翌朝は、なんと夜明け前に叩き起こされ、
バスに詰め込まれ、エアーズロックのサンライズを、朝食ボックスに入れられた
バナナとマフィンにパックジュースをすすりながら眺める。

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ショッピングアーケードには食料品を扱っているスーパーもあるので、
簡単に済ませたい人は、パンとハムを買ってサンドイッチにビール、
という手もあるが、いちばんカジュアルなホテルのバーベキューレストランなら、
買った肉をセルフで焼いて食べることもできて、それだと日本で定食を食べるのと
料金が変わらない。

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気楽にビュッフェで食べることにして、
ワインだけ選ぶ。
2人ともオーストラリアのワインには詳しくないと言うので、
あたしが乏しい知識から適当にセレクトした。

乾杯してから、まずは料理を取りに。
オーストラリアに住んでいて何より嬉しいのは、
狂牛病の心配がないので牛骨の髄が食べられることだ。
髄を焼いてとろっとさせたものは、
あたしの大好物なのだ。
日本に帰ってしまうと、そう簡単には食べられなくなる。

このレストランのビュッフェは豪勢だった。
タスマニア産の生牡蠣まで並んでいて、
野菜も果物もたっぷりある。
とりあえず、お腹がきつくなるまでは食べることを中心にすればいいので気楽だ。

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「このあたりのおしゃれなレストラン、なんて調べて来なかったもの。
いいわよ、展望レストランで湖畔定食でも」
「なんスか、湖畔定食って」
「いかにもありそうじゃない。
刺身と煮物に、湖でとれたって触れ込みの、養殖のアマゴのフライか何か付いてるの。
それでさ、茶わん蒸しとデザート付きで2500円」
「そのくらいだったら手を打ちます?」
「そうね。でも3000円なら考える」

柴田よしき著「ワーキングガール・ウォーズ」
by foodscene | 2011-11-25 08:45 | オーストラリア


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