竹山校長は、市場の見学を終えると、
そのまま生徒たちを近くの寿司屋に引率した。 その寿司屋は、椅子のない、立ち食いの寿司屋である。 客のなかには、昼間から酔っている者もいた。 生徒の大半は、このようなところに足を踏み入れたことがない連中ばかりである。 彼らの当惑ぶりを見るのが、竹山校長の楽しみでもあった。 竹山は寿司屋のカウンターに全員を並ばせるや、 寿司の講義をはじめた。 「寿司の御飯のことを、シャリというんだよ。 その名の通り、口の中でべたつかず、 しゃりっとした舌ざわりでなけりゃいけない」 竹山校長は注文した。 「ではまず、ギョクを握ってもらおうか。 ギョクというのは、タマゴ焼きのこと。 最初にこれを食べるのが通とされている」 ギョクのにぎりが出されるや、 竹山校長は、手づかみで口に放りこんだ。 生徒も、眼の前ににぎりを出されると、竹山の真似をして、手でつまんで食べた。 竹山校長は、次々に注文を重ねる。 生徒たちも、大トロ、ヅケ、ヒモ、カッパと、 竹山の真似をして注文した。 美智子も、嬉々として寿司をつまんでいた。 *** マザー・ブリッドは、こうも、いっていた。 「ものを頼むときには、忙しい人に頼みなさい。 暇そうな人には、頼まないこと」 *** そんな美智子の唯一の気休めが、学校の坂下にあった団子屋であった。 美智子は、自治会の仕事で遅くなった日は、 かならずここに寄った。 渋茶に団子を頼みながら、ひとつ息を吐いていった。 *** サンドウィッチの黒い文字は、焼きのりでつくることにした。 同時に、かっぱ巻きなど、手軽につまめるものもつくった。 が、白黒ばかりでも色合いが悪い。 マザー・ブリッドは、とても色彩に気を配る人物であった。 美智子たちは、色合いを考え、テーブルクロスをパステルピンクにし、 アペリティフと呼ばれる食前酒にワインをつけた。 *** 谷本は、美智子と組になった。 ふたりで話し合って、その日の献立はカレーライスということになった。 が、つくりはじめて材料が足りないことに気がついた。 いまさら、買いに走るわけにもいかない。 「ねえ、玉ねぎが足りないわ」 「茄子はあるけど…」 「入れてみましょうか」 「そうね、変わった味になるかもしれないわ。 ついでに、このトマトもなんとかしない?」 ふたりは、おもしろ半分に、カレーの鍋の中にどんどん野菜を放りこんだ。 いざ食事となり、ひと口、口に入れた者がいった。 「これ、なあに?」 美智子は、すました顔をして答えた。 「ステガバ料理よ!」 美智子たちは、学生自治会、つまりスチューデント・ガバメントのことを、 略して「ステガバ」と呼んでいた。 見かけのわりに、味は好評であった。 *** 食事の献立も、あるもので間に合わせるのがやっとだったので、 毎日、ほぼ同じであった。 朝は、ふかしたサツマイモにおひたし。 昼はうどんか雑炊。 夜が、麦入りの御飯と野菜のいため煮である。 食べ物は、家族もお手伝いもいっしょだった。 館林でも、ヤミならば肉や砂糖も買えた。 が、母親の富美子は、そういうことはできるだけしないでいた。 平素の食事はなるべく切り詰め、 週末、父親の英三郎と長男の巌が来たときは、ここぞとばかりご馳走にしていた。 美智子たちは、出されたものを、文句もいわずにきれいにたいらげた。 学校へは、麦めしのおにぎりかふかしイモを持って登校した。 *** 別の日に井上が遊びに行ったときには、おやつにサンドウィッチが出た。 井上は、眼をまるくした。 当時、食事はまだ芋が主流であった。 白米でさえ珍しいのに、パンが出た。 パンは、小麦粉をイーストで練ってつくった手製のものであった。 井上は、おいしくて美しい食べ物を前にして、いたく観劇した。 <いつか自分の手で、サンドウィッチをつくってみたいなぁ…> *** 美智子は、マシュマロが好物であった。 修学旅行にも、しっかりとマシュマロを持って来ていた。 美智子は、マシュマロの袋を抱いてストーブのところに行った。 集まっている友達に、それとなくいった。 「こうやって食べると、おいしいのよ」 美智子は、そういうや、ストーブの上にマシュマロを乗せはじめた。 当時、マシュマロは、珍しい菓子であった。 美智子が、それを焼いて食べるのに、みな眼を見張っていた。 マシュマロは、外をこんがり焼くと、中がとろりととろけ出す。 それを半分に割り、あつあつのところを、フーフー吹きながら食べるのである。 美智子は、みんなにひとつずつ配った。 おいしいものだから、みな次を要求する。 またたく間に、袋は空になった。 大下英治著「慈愛のひと 美智子皇后」
by foodscene
| 2012-06-07 17:02
| ノンフィクション日本
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