人気ブログランキング | 話題のタグを見る

作家以前 3

日暮れに帰り、夕食には皆で、醤油、酒、砂糖で甘辛く煮つけた巻き貝を、
針で身を引き出して食べた。
煮汁のついた指先からは、潮の匂いがしばらく消えなかった。

***

1月4日 昼前に起きる。各局のニュースを見ながら、乾しそばをゆでる。
そばにも、このところ、凝っている。
食べ歩きをする一方で、家でもいろいろなそばをゆでている。
専用の器も揃えてしまった。
薬味はゴマとワサビと大根おろし。
酢の物、電子レンジで作るだし卵、沢乃井の純米酒を一合。

***

出雲空港からタクシーで両親の家へ。
昼食は久々に母の手料理、牡蠣のてんぷら(フライもおいしいが、てんぷらもオツである)や
ワカサギ料理など。
幼い頃から大事にしていた御殿付きの雛人形が飾られていて懐かしい。
私と同い年の人形を見ていると子供の頃の雛祭りが思い出される。

***

旅先で不意に始まった病院暮らしに、滅入らなかったのは、
今思うと、いかにも贅沢な読書三昧にひたることが出来たからである。

そして、優しかった同室の人たち。
佐久や松本の出身というおばさんたちが、味噌で炒めた茄子入りの饅頭、
みずみずしい野沢菜漬け、花梨の蜂蜜漬けなどを競うようにして分けてくれた。
長野のお国言葉とともに、とても珍しかった。

***

夏休みは、手作りの西瓜や味瓜を井戸で冷やし、
昼食の後のおやつに食べた。
井戸の内側は鮮やかな苔に被われており底知れぬ様子が恐ろしかったが、
ふつふつと水が湧き出て僅かに揺れる水面や、独特の甘いような水の匂いには、
心惹かれるものがあった。

祖父が近くの斐伊川からとってきた鯉を処理するのも井戸端だった。
腹を裂く様子は怖くもあり興味深くもありで、
私は顔をしかめつつ足を踏んばってしっかり見ていた。

鱗を落としはらわたを出した後は、
台所で調理するために中へもって入る。
祖父がいた跡の地面は血で赤黒く染まり、青く光る浮袋が転がっていた。
私は、そういうものを見ずにはいられない子供だった。
鯉の身は、洗いや、濃い味の味噌汁になった。
私は生魚が嫌いだったが、祖父のために平静を装い、噛まずに呑み込んだ。

祖父は投網が趣味で、夜明け前に起き、
車で2時間かけて中国山地の渓流に行く。
新鮮な天然鮎をたくさん塩焼きにして貰った。
清流の苔を食べて育った鮎は、内臓が美しい緑で、それを塩漬けにしたうるかを作っていた。
子供には気色悪かったが、今の私には素晴らしい酒の肴である。

鶏も飼われていた。
朝御飯の目玉焼きの黄身や手作りのカスタードプリンは、
濃くて紅味がかっていた。
卵を生まなくなった鶏は、明治女の曾祖母がつぶした。
子供たちには内緒で処理されたが、
どういう訳か私は、殺され羽をむしられる気配をいつも察知した。
お昼の肉うどんや親子どんぶりになって出て来たが、
肉は硬く、古い家屋特有の暗い台所が、一層暗く思えた。

核家族で貧弱だった自宅のおせちに比べ、年始客の多いこの家では、
すべて祖母の手作りのおせちが輝くようだった。
祖母は酒の燗をしながら、小鯛のお吸いものや茶碗蒸しなどの客料理を手際良く作った。
早足で廊下を行き来する若やいだ後ろ姿は今も忘れられない。

そして春休み。
祖父と近くの山に蕨取りに行った。
長閑かな雲雀の声に誘われうろついた私は、森で祖父からはぐれ不安になったものだ。
蕗のとうの味噌和えのほろ苦さ、ちらし寿司にのせた山椒の木の芽の青い香り、
祖父が作った小豆を祖母が粒あんにしたお彼岸のお萩も、春の思い出だ。

松本侑子「作家以前」
# by foodscene | 2009-12-28 11:22 | ノンフィクション日本

ナラ

まず最初の夕食は、ベトナム風中華料理の「玉城酒楼」で。
しかし時差ボケからか、何を食べたのかほどんと思い出せない。
ただ、白人客ばかりの店内で、
東洋人の店の主人が親切にしてくれた。

タイ料理の店「MANORA」は、神秘的だった。
薄暗い店内には、オリエンタルな匂いのお香が微かに漂い、
タイの民族音楽が流れていた。

エビ料理、肉と野菜の炒めものなど、
幾皿も注文したが、中華の味付けに近かった。
魚を発酵させたナンプラーのスープが、酸っぱい中に複雑な味わいがあり、
私は大好きになった。

キムチの卵焼きやジンギスカン風の焼肉が珍しかった韓国料理の店の名前は、
「NARA」といった。
韓国語にも、ナラという言葉があるのですかとたずねると、
女主人が教えてくれた。
ナラとは韓国語で祖国とか国という意味で、
日本の奈良という地名は朝鮮半島から渡った人々が祖国をしのんで付けたのだと。

アラブ料理の店「CHEZ LE PRESIDENT」は、街角で催涙ガスを浴びた直後で
動揺していたせいか、これもまたよく覚えていない。
しかし、珍しかったので頼んでみた北アフリカの赤ワインが印象的だ。
葡萄の甘味も渋みも強くて、コクがあった。
ポルトガルのワインに似ていたが、もう少しダイナミックなのだった。

中華料理の店「ミラマ」は、鴨蕎麦が、死ぬほど美味しかった。
鴨をのせたラーメンだが、麺の色が蕎麦のように灰色で、
韓国の冷麺のようにコシがある。

透明なスープは、鳥や野菜の旨味がよくきいていて、しかも癖がない。
そして、上にのっている鴨は、北京ダックのように、蜜を塗って香ばしくローストした代物なのだ。
辛み味噌か芥子を塗って食べる。
スープには喉が鳴り、鴨には、ほっぺたがとろけた。

忘れられないのは、オルセー美術館での1人きりの昼食だ。
青空の下、セーヌ河沿いをのんびりと歩きながら美術館に行った。
美術品をじっくりと鑑賞した後、
最上階のレストランに入った。
天井には美しい絵画、壁には大鏡、金色のシャンデリアや壁細工のある店内は優雅で、
宮殿の広間のようだ。
客も少なく、ゆっくりと時間が流れている。
薄緑色をした冷えたミュスカデの白ワイン、野菜や魚介類のオードブル、
サーモン料理の皿を前に、私は1人で幸福な笑みを浮かべていた。

松本侑子「作家以前」
# by foodscene | 2009-12-28 11:17 | フランス

作家以前 から

杉田さんは、天気が、店でのメニューの出方と関連があることにも気付いた。
雨の前はスタミナのつく物(焼肉定食など)がよく出て、
晴れの前は、野菜類や塩分の多い物(野菜いためやタンメン)の注文が多いという。
***
子供のころから私は、このお茶の時間が楽しみだった。
私の家では、午前と午後の2回で、ときにはコーヒーや紅茶、ココア、
そして洋菓子が並ぶ。
そんなときはテーブルの上の色合いが目に鮮やかで何だか嬉しかった。

まだ、友だちの家でも手作りのお饅頭をいただきながら、
その家の方とお話しする。
人見知りする子だったから、恥ずかしくもあったが、やはり楽しい思い出だ。

と言っても、子供の脳細胞にカフェインが悪影響を与えると母が言い張り、
中学に上がるまでコーヒーも禁止され、薄い緑茶しか飲ませてもらえなかった。

ただしミルクをたっぷりいれた紅茶だけは例外だった。
来客時やおいしい洋菓子があるときは、
母が熱い紅茶を入れてくれた。
当時はティーバッグだったが、甘いミルク・ティーの味は、ほんわかした湯気と楽しいおしゃべりがあった
幼い日のお茶の時間を思い出す。
***

私はリプトンの青缶やアールグレイの缶を買い、
家族が寝静まった夜更け、受験勉強のあいまに1人でいれた。
台所の時計はすでに午前を指していて、静まり返った深夜のお茶の味は忘れられない。

1人暮しを始めたとき、紅茶用ポット、ミルクピッチャー、シュガーポットなどをそろえた。
まだ学生だったから、ウェッジウッドなどの外国製品は買えず、
国産のボーンチャイナ。
流れるような花模様が気に入って、茶渋をこまめに落とし、いつもぴかぴかにして、
もう何年も使っている。

そういえば大学生のころ、紅茶にうるさいボーイフレンドがいて、
いつも砂時計で抽出時間を計ったりして丁寧にいれたお茶を飲ませてくれた。
しかし茶飲み友だちとはよく言ったもので、
車を飛ばして会いに行っても、紅茶ばかり飲んでいて手すらつながなかった。

当時はオーブントースターしか持っていなかったのに、
紅茶に添えるスコーンを焼いた。
材料は小麦粉と膨らし粉とミルクなどの簡単な菓子だが、焼き上がると
部屋中にバターの甘い香りが漂って、幸せな気分だった。

私は料理が好きだが、一番得意なのが、緑茶や紅茶を入れること(料理のうちに入らないか)、
でも皆がおいしいと言ってくれる。

松本侑子「作家以前」
# by foodscene | 2009-12-28 11:08 | ノンフィクション日本

英語と1日1冊の読書

その夜、ビジネスホテルのわびしい部屋で胸に浮かんだのは、
仕事以外に何か自己を高めることをしないと、本当に「都会のみんな」に置いていかれてしまう、という
焦燥感でした。

何ができるか。
自分の好きなことは何か。
直感的に、自分に対してこの問いを投げたのです。

答えは「勉強」でした。
都会のみんなも簡単に手が出ないような高みに到達するほどの猛勉強をやろう!と。
それは英語の勉強と、1日1冊ビジネス書を読むこと。

英語は、英検を受験することに。
読書は、ひたすら読むことを目指しました。
感想文を書くとか、二次的な目標は立てませんでした。
結果的にこれが良かったようです。
目標設定の時には、シンプルに、後で検証しやすいものが良いですね。

英語は英検2級合格、1級は筆記試験で落第し、そのままです。
でも、その後翻訳できるまでに上達。
雑誌『TIME』を定期購読したのが効果的だったようです。
読書は、何と、18年後の現在も続いています。
出張で移動が多い時は1日2冊読むことも。

この読書体験が現在の私の知的活動の土台となりました。
つまり、広島に長くいて、都会の同僚との距離で焦ったことは、プラスに働いたのです。

坂本啓一「氷河期の乗り越え方」
# by foodscene | 2009-12-28 10:29 | 学習

Grapes 1

Down at one end the cooking plates, pots of stew, potatoes,
pot roast, roast beef, gray roast pork waiting to be sliced.

Al never speaks.
He is no contact.
Sometimes he smiles a little at a joke, but he never laughs.
Sometimes he looks up at the vivaciousness in Mae's voice,
and then he scrapes the griddle with a spatula,
scrapes the grease into an iron through around the plate.

He presses down a hissing hamburger with his spatula/
He lays the split buns on the plate to toast and heat.
He gathers up stary onions from the plate and heaps them on the meat and presses them in with the spatula.
He puts half the bun on top of the meat, paints the other half with melted butter,
with thin pickle relish.
Holding the bun on the meat,
he slips the spatula under the thin pad of meat, flips it over, lays the buttered half on top,
and drops the hamburger on a small plate.

Quarter of a dill pickle, two black olives beside the sandwich.
Al skims the plate down the counter like a quoit.
ANd he scrapes his griddle with the spatula and looks moodily at the stew kettle.

Steinbeck "The Grapes of Wrath"
# by foodscene | 2009-12-26 11:24 | アメリカ