三度目で最後の大陸 2

あくる朝、新しい職場となるデューイ図書館へ出向いた。
メモリアル・ドライブに面したベージュ色の砦のような建物だ。
それから銀行へ行って口座を開いた。
郵便局に私書箱を借りた。
<ウルワース>でプラスチックボウルとスプーンを買った。
ロンドンでも名前を見かけた店だ。

スーパーマーケットでは通路を行ったり来たりして、頭の中でオンス表示をグラムに換算し、
イギリスの物価とくらべていた。
結局買ったのは小さい牛乳のパックとコーンフレークだ。
これがアメリカでの最初の食事になった。
机に向かって食べた。

マサチューセッツ・アヴェニューのコーヒーショップで、ハンバーガーなりホットドッグなりを食べるという唯一可能な代案もあったのだが、こっちのほうがよかった。それに、当時の私はまだ牛肉なるものを食べる習慣がなかった。

牛乳を買うだけの当たり前の行為ですら、新体験であったのだ。
ロンドンでは毎朝、瓶入りで配達されていた。

1週間だった。それなりに適応していた。
朝な夕なコーンフレークに牛乳をかける食生活で、いくらか変化をつけようと思えばバナナを買い、これをスプーンで切ってボウルに入れた。

それからティーバッグと携帯用の魔法瓶も買った。
<ウルワース>の店員はサーモスと言った。

朝の出がけに魔法瓶に湯を入れて持ち歩けば、1日に4回はお茶が飲めた。
コーヒーショップなら1杯分の値段だったろう。
牛乳も大きめのパックで買うようになった。
窓辺の日陰に置いておけばよいことは、YMCAに同宿していた人に見習った。

夜は暇つぶしに新聞を読みに下へ降りた。
ステンドグラスのある広々とした部屋で、『ボストン・グローヴ』の記事にも広告にも残らず目を通した。世情を知りたいと思って読んでいた。目が疲れれば寝た。


(ジュンパ・ラヒリ著 小川高義訳 「三度目で最後の大陸」より)
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# by foodscene | 2006-05-17 02:05 | アメリカ

三度目で最後の大陸

玉子カレーをつくってある、と私は言った。
「機内食は何が出た?」
「食べませんでした」
「カルカッタからずっと?」
「牛の尻尾のスープだそうだから」
「ほかのメニューもあったろうに」
「あんなのが食べものになると思っただけで、食欲がなくなって」

「いいお家ね―。このカレーも」
彼女は胸元のサリーの端を左手で押さえて、頭に巻いた形を崩すまいとしていた。
「自炊できるレパートリーが乏しくてね」
彼女はうなずいた。ジャガイモが出るたびに皮をむいて食べている。

早起きなのも彼女だった。最初の朝、私がキッチンへ行くと、もう彼女は昨夜の残り物をあたため、スプーン1杯の塩を添えた皿をテーブルに出していた。
ベンガル人の男ならライスで朝食が当たり前と考えたのであろう。
シリアルでいいのだと私が言えば、次の朝は私のボウルでコーンフレークが出されていた。

翌朝、出かける前に、いくらかお金をくださいと言われた。
少々引っかかるものはあったが、これもまた当然のことなのだろうと思った。
仕事から帰ると、キッチンの引き出しにジャガイモの皮むき器があり、テーブルにクロスが広がって、真新しいニンニクとショウガを使ったチキンカレーが火にかかっていた。

(ジュンパ・ラヒリ著 小川高義訳 「三度目で最後の大陸」より)
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# by foodscene | 2006-05-17 02:00 | アメリカ

人生のなつかしい時期

だが、いまでも大学時代の本が部屋にあると、人生のなつかしい時期を思い出す。
いつも夕方になれば、マサチューセッツ・アヴェニューの橋を渡って、チャールズ川の対岸にある行きつけのインド料理店でムガール風チキンを注文し、また寮へ帰っては課題の清書をしたものだ。

「屋根裏の掃除はしたのか」と、彼は言った。
トウィンクルは紙ナプキンを折って、皿のわきへ押し込んでいた。
引っ越してからの大掃除も、まだ屋根裏だけは手がまわっていなかった。

「してない。でも、する。それより味のほうはどうかしら」彼女はあつあつの鍋をキリスト鍋敷きに置いた。
ほかには小さなバスケットにイタリアンブレッド、またアイスバーグレタスとおろしニンジンに瓶入りドレッシングをかけクルトンをのせたサラダ、そして赤ワインのグラス。
彼女はキッチンで本領を発揮するタイプではない。
チキンはロースト済みのスーパーで買ってきたのだし、いつ製造されたのかわからないパック入りのポテトサラダを添えてある。

インド料理は面倒くさいと言っていた。ニンニクを刻むのもショウガの皮をむくのも大嫌いで、ミキサーの使い勝手もわからないから、週末になるとサンジーヴがマスタードオイルにシナモンスティックとクローヴを合わせて、しっかりしたカレーをつくるのだった。

ところが、きょうばかりは、何が出来上がったにせよ、味は上々で見かけもいいと言わざるを得なかった。あざやかな白身魚の角切り、パセリ少々、新鮮なトマトが、濃い赤褐色のスープの中で輝いていた。
「どうやったんだ?」
「オリジナルよ」
「というと?」
「適当にお鍋に入れて、あとでモルト酢をちょいちょい」
「酢の分量は?」
彼女は肩をすくめ、パンをちぎって自分のボウルへ突っ込んだ。
「わからないってことがあるかい。メモしといたらいい。また今度ということもあるだろう。パーティーとか何とか」
「覚えとけばいいわよ」
彼女がパンのバスケットに布巾をかけたのを見て、彼は不意に気がついた。
モーセの十戒がプリントしてある。彼女は笑顔をきらめかせ、テーブルの下で彼の膝をきゅっと握った。
「観念なさい。この家には神の恵みがあるの」

パーティーの献立は、まずシンプルと言えるものだった。
シャンペンを1ケースに、ハートフォードのインド料理店のサモサ。チキンとアーモンドとオレンジピールを入れたライスの大皿は、サンジーヴが朝からほぼ1日がかりで用意したのだった。

これだけの人数を招いたことはなかった。
飲み物がなくならないかと心配になり、念のためもう1ケースシャンペンを買い足しに走ったりした。そんなわけでライスを1皿分こがしてしまい、やり直しになったりもした。

(J・ラヒリ著 小川高義訳 「神の恵みの家」より)
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# by foodscene | 2006-05-14 23:02 | アメリカ

セン夫人の家

この日課は1時間で終了した。
それまでエリオットが飽きないように、夫人は新聞の漫画欄や、ピーナツバターをつけた
クラッカーを用意した。
アイスキャンディーのときもあった。
例の刃物で彫刻したニンジンスティックだったりもした。

エリオットの母が迎えに来る6時20分までに、セン夫人は野菜切りの現場を跡形もなく消すことにしていた。
刃物はしっかりと汚れを落とし、洗って、水気をとって、折りたたんで、脚立に乗って戸棚の上のほうへしまい込んだ。
エリオットも手伝って、新聞紙を捨てるついでに、皮や種を包み込んで、くしゃくしゃに丸めた。

満杯のボウルと水切りがカウンターにずらりと整列し、スパイスとペーストが量をはかって混ぜ合わされ、ついには各種のカレーが青紫の炎の上でぐつぐつと煮えていった。
とくに変わった日でもなく、来客があるわけでもない。
これがセン夫妻の夕食になることは、皿とグラスが2人分しか出されないのを見てもわかる。
ナプキンや銀器を持ち出すまでもなく、居間の壁に寄せた四角い合成樹脂のテーブルに支度するのだった。

とにかく坐らせて食べるものを出す。
バラのシロップをかけた明るいピンク色のヨーグルト、レーズン入りのメンチコロッケ、セモリナ小麦のお菓子。
「おかまいなく、センさん。わたしランチが遅いんですよ。ご面倒おかけしてもいけませんし」
「とんでもない。エリオットと同じで、ちっとも面倒なことありませんよ」

セン夫人特製の味をこわごわ賞味する母は、上目遣いの思案顔になっていた。きちっと膝をそろえ、脱ごうとしないハイヒールが梨色のカーペットに食い込んでいた。
「おいしいですね」と最後に言って、一口か二口しか食べなかった皿を下に置く。

それが方便であるのをエリオットは知っていた。
車の中ではっきり聞いたこともあるのだ。

勤め先でランチをとっていないのも知っていた。
海岸の家に帰り着くと、まず母は、グラスにワインをついで、パンとチーズを食べ、
つい食べすぎてしまって、お定まりの夕食になる宅配ピザに食欲がわかないこともあった。
エリオットが食べているそばで、またワインを飲み、きょうはどんなだったかと尋ね、
結局はタバコを一服したくてデッキへ出るから、エリオットが残ったピザを包んでおくことになるのだった。

このあと、夫人はいても立ってもいられず、無性に外へ出たくなった。エリオットと2人で本道を渡り、いくらか歩きではあったが大学の中庭まで行った。
石の鐘楼があって毎時の鐘が鳴るところだ。そこから学生開館へ入っていって、カフェテリアのカウンターにトレーをすべらせ、おしゃべりに興じる学生にまじって、ボール紙の舟形に山盛りのフレンチフライを丸テーブルで食べた。
エリオットは紙コップのソーダを飲み、セン夫人はティーバッグを湯にひたし、砂糖とクリームを入れた。

車のトランクに積み込んでしまってから、腹が減ったなとセン氏が言い、そうだわねと夫人も言った。それで道路を渡って、とあるレストランへ行った。
テークアウトの窓口がまだ営業していた。貝のスナックのバスケットを2つ買って、屋外テーブルで食べた。夫人はタバスコとブラックペッパーをたっぷりかけた。
「天ぷら(パコラー)みたいね?」顔が明るく染まって唇の色もかすむほどで、セン氏の言うことにいちいち笑い声をあげていた。

(J・ラヒリ著 小川高義訳 「セン夫人の家」より)
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# by foodscene | 2006-05-14 22:50 | アメリカ

セクシー

「ねえ、食べなきゃだめよ」と、ラクシュミは言い聞かす。
「いま病人なんかになってられないんだからね」
 
いとこに電話していないときは夫に電話していた。
やや短くなった話の行き着く先は、今夜はチキンにしようかラムにしようかという議論だった。
「ごめん」と言っている声が聞こえたこともある。
「これって考えてるとそればっかりになっちゃうんだもの」

ミランダとデヴには言いあうことがなかった。
<ニッケルオデオン>で映画を見て、その間じゅうキスしていた。
デイヴィス・スクエアで、豚肉のスモークとコーンブレッドを食べた。
デヴが襟元に突っ込んだ紙ナプキンはネクタイのようだった。

スペイン料理のレストランのバーでサングリアを飲んだら、飾り物の豚の顔がにっと笑って、談話の進行役のようになっていた。

ボストン美術館ではミランダの寝室用に睡蓮のポスターを買った。


それでもミランダは日曜日を楽しみに待っていた。
朝のうちにデリへ行って細長いフランスパンを買い、デヴが好むようなものを
小さいパックで買った。
ニシンの酢漬け、ポテトサラダ、バジリコソースとマスカルポーネチーズのトルテ。
ニシンをつまんだり、パンをちぎったりしながら、ベッドの中で食べた。

デヴは子供の頃の話を聞かせた。
学校から帰るとトレーにのせて出されるマンゴージュースを飲み、白ずくめの服装をし湖のそばでクリケットに興じたのだという。
それが18歳の年になってニューヨーク州北部の大学へ留学させられることになった。
非常事態といわれるようなご時世だったらしい。
ずっと英語で教育を受けていたのに、アメリカ映画を見てしっかり聞き取れるようになるまで何年もかかったそうだ。

ある土曜日、なんとなく暇なものだから、わざと歩いてセントラル・スクエアへ行き、
インド料理のレストランでタンドリーチキンを頼んだ。
食事中、メニューの下のほうに印刷してある「おいしい」「水」「お勘定」といったような意味の言葉を覚えようとした。
なかなか覚えられない、というのがきっかけでケンモア・スクエアの書店へ立ち寄ることが多くなった。
外国語コーナーにある独習書のシリーズで、ベンガル語の文字を頭に入れた。

(J・ラヒリ著 小川高義訳 「セクシー」より)
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# by foodscene | 2006-05-14 22:25 | アメリカ

暑そう

昼食どき、街道筋でフリッターとオムレツサンドイッチを食べさせる店へ立ち寄ったのだが、
いつものツアーならカパーシーが熱い茶で一服できる楽しみな時間であるのに、
きょうばかりは中断が恨めしかった。

ダス一家が、白とオレンジの房飾りをつけた赤紫のパラソルの下に席をとり、
昔の軍人のような帽子をかぶって軍隊調に歩いているウェーターに注文を出したとき、
カパーシーは1人で隣のテーブルに向かった。

「あら、カパーシーさん、こっちに坐れるのに」と、奥さんが呼びかけた。
ご一緒してもらわなくちゃ、と言って娘を膝に引っぱり上げる。
そんなわけで全員がそろって、瓶入りのマンゴージュース、サンドイッチ、タマネギとポテトに
全粉粒の衣をつけた揚げ物を、腹に入れることになった。
食べているところを、またダス氏が写真に撮った。

(J・ラヒリ著 小川高義訳 「病気の通訳」より
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# by foodscene | 2006-05-14 21:56 | インド

およばれ

女の子7人のピクニックである。編んだ髪にリボンを結び、一列にあぐらをかいた坐り方で、バナナの葉に盛ったチキンカレーを食べていた。
「誰が誰やらごちゃごちゃで―アイシャ、アミラ、アミナ、アジザ・・・・・・ほらね」

母は、ホウレン草とラディッシュを炒める火加減を見ていたから、換気扇の音やら、さかんに動かすヘラの音やらで、わたしの声が聞こえないようだった。そこで父はと見ると、冷蔵庫に寄りかかり、スパイスのきいたカシューナッツを片手ですくうように持って食べていた。

マンゴーのピクルスを食事のつけあわせにして、毎晩ライスを手にとって食べた。部屋に入るときは靴を脱いで、食後には消化にいいとしてウイキョウの種を噛み、アルコールは嗜まず、デザートとは名ばかりの味も素っ気もなさそうなビスケットを何杯もお代わりするお茶につけて食べる、というところも両親と同じだった。

蜂蜜入りのドロップや、ラズベリー風味のトリュフチョコ、細長い酸味の焼き菓子などが、絶えずこちらへ流れてきたのだが、それでもわたしは静かなままで、とりたてて応ずる態度を見せたわけではない。ありがとうとさえ言いづらかった。うっかり言ったときには―ひらひらした紫色のセロファンにくるまれたとびきりのペパーミント味ロリポップをもらったから言ったのだが、かえって「ああ、またサンキューか」と逆襲されてしまった。

さて、この晩、いつものことながら食事はダイニングテーブルではなされなかった。その位置からはテレビが見にくかったからである。だから、わざわざコーヒーテーブルに寄り集まって、ろくな話もせず、膝の上にあぶなっかしく皿をのせていた。料理は母がキッチンからつぎつぎに運んできた。
揚げタマネギを添えたレンズ豆、ココナツ風味のサヤインゲン、魚とレーズンのヨーグルトソース煮込み―。あとからわたしも水のグラスや、くさび形に切ったレモンの皿や、トウガラシを持っていった。月に一度くらいはチャイナタウンに行くことがあったから、トウガラシをまとめ買いしてフリーザーに入れておいた。指先でちぎって、料理にまぜ込むのだ。


戦争のつづいた12日間で覚えているのは、父がわたしにニュースを見ようと言わなくなったこと、ピルザダさんがお菓子を持ってこなくなったこと、母がライスとゆで卵しか夕食に出さなくなったことだ。

ドーラの家まで歩いた頃には、2人ともふくらんだ麻袋を持つ手がすりむけそうになっていた。足も痛いほど張っていた。
ドーラの母が靴ずれに巻く包帯をくれて、リンゴを搾ったあたたかい飲み物と、キャラメル味のポップコーンを出してくれた。

(ジュンパ・ラヒリ著 小川高義訳 「ピルザダさんが食事に来たころ」より)
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# by foodscene | 2006-05-08 02:58 | アメリカ

「インドみたいだわ」

ひとが遊びに来ようものなら、ショーバは冷凍や瓶詰めにしておいた材料で、半日がかりかと思われる料理を整えた。お手軽な缶詰とはちがって、ピーマンのマリネはローズマリーを添えた自家製だし、チャツネはトマトやプルーンを日曜日にぐつぐつ煮込んだものだった。

ラベルを貼った密閉式のジャーがキッチンの棚にびっしりならんで、封印したピラミッドというべき隊形が延々とつづいていた。これだけあれば、と口々に言われた。孫の代まで賞味できる―。

だが、もう食べつくした。シュクマールが備蓄を取り崩したのだ。2人分の支度のため、カップで米を量り、ビニール袋の肉を解凍する毎日だった。午後になると妻の料理本を丹念に見ていって、コリアンダーは粉末を小さじに1杯ではなく2杯だとか、レンズ豆は黄色ではなく赤いのを使うとかいう、鉛筆の書き込みにしたがった。

どの献立にも日付がついていたから、初めて2人で食べた日がわかった。
4月2日、フェンネルを薬味にしたカリフラワー。
1月14日、アーモンドとスルタナぶどう添えのチキン。
とまあ、そんなものを食べた記憶もなくなっていたが、とにかく書いてある。
校正係らしい小ぎれいな字だ。このごろは料理がおもしろくなった。それくらいしか、生産性を感じるものがないとも言える。このおれがいなかったら、ショーバのやつ、シリアル1杯で夕食をすますに違いない。

今夜は電気が消えるらしいから、いやでも一緒の夕食になるだろう。このところの数カ月は、それぞれ勝手にできあがったものを調理台から取っていた。彼は勉強部屋へ持っていき、冷たくなるまで机の上に放っておいてから、思い出したように平らげたし、ショーバは居間へ持ち込んで、ゲーム番組を見るなり、色鉛筆を総動員して校正の書き入れをするなりしていた。


あの日は浴槽がワインクーラーと化し、ヴィーニョ・ヴェルデが何本も氷に寝かされていた。妊娠5カ月のショーバは、マティーニグラスでジンジャーエールを飲んだ。
カスタードとカラメルを使ったバニラクリームケーキもつくってあった。

シュクマールは、ラム肉を取り出し、火傷しないように素早くつまんだ。もっと大きな肉を、今度は取り分け用のスプーンで突ついて、すんなり骨が離れるか確かめる。
「ようし、煮えてる」
電子レンジが鳴ったとたんに、ちょうど明かりが消えた。音楽も止まった。
「タイミングぴったり」と、ショーバが言った。

さっきロウソクをさがしていたら、空箱と思ったなかにワインが1本だけあった。これを膝にはさみつけ、コルク用の栓抜きをねじこむ。こぼすと面倒だから、グラスを引き寄せ、膝の上でワインをつぐ格好になった。
2人がそれぞれに食べる。フォークでライスをまぜ、寄り目のようになってベイリーフやクローヴを煮込みから取りのぞいた。ほんの数分ごとにシュクマールは新しいロウソクを何本か灯し、鉢の上に突き立てた。
「インドみたいだわ」ショーバは、間に合わせの燭台に火を絶やすまいとする彼を見ていた。

(ジュンパ・ラヒリ著 小川高義訳 「停電の夜に」より)
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# by foodscene | 2006-05-08 02:43 | アメリカ

舌は保守的

「さて、晩飯にしましょうか、ホテルの食堂でまた羊の串焼きかと思うと、ぞっとする、といって、外は寒いから、中華料理店へ行くのも億劫だし」
「少し遅くなってもいいのでしたら、すき焼きをしますよ、あまり固くない牛肉が手に入ったのです、野菜も、ありますし」
 客室担当者が、云った。
「え、すき焼き!待つとも!手伝うよ」
 一同、唾を呑むように、雀踊りした。
 
 客室担当者は、手早く粒の細長い現地米を研ぎ、日本から持参の電気炊飯器にセットすると、恩地たちもバスルームの洗面台に俎を置き、風呂場の水道で洗った野菜類を刻んだ。
 ご飯が炊き上がると、アルミ鍋に肉、ネギや白菜に似た野菜類、マッシュルームを入れ、今日だけは豪勢に使おうと、貴重品の醤油と砂糖で味つけした。食べることだけが楽しみの単身赴任者たちは、目を輝かせて、せっせと取り皿に醤油味の沁みた肉や野菜を取り、舌鼓をうった。

(山崎豊子著 「沈まぬ太陽」より)
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# by foodscene | 2006-05-08 02:23 | テヘラン

キャンティー地方で

ここの旅館にには食堂はついていない。そこまではとても手が回りきらないのである。

そのかわり、彼女は近くにある美味しいリストランテを紹介してくれる。車で十分ほどで、いちばん近い村に着くし、ここには美味しくて安いリストランテが何軒かある。

昼はラ・ビスコンドーラという森の中にある戸外のリストランテで、三種類のパスタもりあわせとキノコと牛肉の料理。

夜はラ・サロット・ディ・キャンティーという小さな店で、ヴェッケ・テーレ・デ・モンテフィーリの86年を飲み、ポモドーロ・ストゥッツキーニと夏野菜のマカロニと茄子のグラタン・ア・ラ・メントゥッチャというのを食べた(ついでながら僕のつれあいは夏野菜のムースと、リゾット・アル・ドラツィーノとチョコレート・ムースを食べた)。

どちらの店もまず文句のない味だったし、値段もリーズナブルだった。材料もとても新鮮だったし、料理も丁寧に作ってあったし、接客態度もフレンドリーであった。何よりもあくせくしていないところがいい。とくに後者は若い人が二人で新しく始めたという店だけあって、料理にもいろいろと新鮮な工夫があったように思う。

朝になると、奥さんが眠そうな顔をしながら車を運転して、町まで朝食の食品の買い出しに行く。そして新鮮この上ないヴォリュームたっぷりの朝食を作ってくれる。パン屋の窯から出たばかりの焼きたてのクロワッサンと、ロールパン。大きな皿に並べた何種類ものチーズとハム。生みたての卵で作ったスクランブルド・エッグ。たっぷりと水差しに入った生ジュース。コーヒー・フルーツ・カクテル。庭で取れた果物のもりあわせ。アップル・パイ。

僕はどちらかというと目が覚めてすぐにおなかが減るので、朝食をたっぷりと食べる方だが、それでもこの朝食はとても食べきれなかった。でもすごく美味しかったので、奥さんにお願いして洋ナシとアップル・パイをお弁当にしてもらった。

旅館を出るときに、いろいろありがとう、とても楽しかったです、と言うと奥さんはとても嬉しそうな顔をした。でも僕らがまた今度来る時に、彼女がまだ旅館を経営しているかどうかは、かなりむずかしいところだと思う。だってそんな朝食を用意するだけでも、本当にすごい重労働だと思うから。

(村上春樹著 「遠い太鼓」より)
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# by foodscene | 2006-04-17 03:09 | イタリア